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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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密偵とサラダ(前篇)

 東王国からやって来たジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーが居酒屋ノブの暖簾を潜ったのは、全くの偶然だった。
 ジャンにとっては立ち寄る店はその街の平均的な住民が使う居酒屋であればどこでもよかったし、その意味ではノブは条件に合致していたと言える。

 旅装の身形をしているが、ジャンの正体は僧ではない。
 より正確に言えば、僧ではあるのだが他に東王国から密命を帯びているということだ。

 奇譚拾遺使。
 またの名を御伽衆とも呼ばれるこの集団は、東王国の王族の無聊を慰めるために、大陸各地の奇妙な話や珍しい話を集めて編纂し、読み聞かせるのが仕事であった。

 だが、その仕事は同時に別の面も持っている。
 つまり、密偵だ。東王国の手厚い援助を受けながら、各地の政情や噂話を蒐集し、王の政策立案や陰謀の材料とするのである。

 今年で三十五になるジャン=フランソワ・モーント・ド・ラ・ヴィニーは御伽衆長官の片腕として主に連合王国方面を調査してきた敏腕の拾遺使だ。
 その彼が今回古都に派遣されたのは、東王国にとってこの地域が非常に重要な意味を持つ可能性があるからである。

「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」

 珍しいガラス製の引き戸を開けると、気持ちの良い挨拶と清潔感の溢れる雰囲気がジャンを迎えた。
 場末の居酒屋としてはまず及第点を与えてよい。
 仕事柄、噂話を集めるために居酒屋に立ち寄ることの多いジャンとしても久しぶりに心から寛げそうな店である。

 まだ時間が早いからか店内に客は疎らだ。
 店主から話を聞きたいということもあり、ジャンはカウンター席を選ぶことにした。
 丁寧に掃除されたカウンターは木目も美しくこの店の高い意識が伺える。

「こちらはお通しになります」

 東王国にも前菜前に出されるアミューズ・グールというちょっとした一品がある。これもそのようなものだろう。器の中には少し大振りな豆が三粒、エメラルドグリーンに輝いている。

「これは?」
「蚕豆を塩茹でしたものです。そのままでお召し上がりください。それと、お飲み物は如何致しましょう?」
「この通りの旅の僧でね。湯冷ましの水でも頂ければありがたい」
「畏まりました」

 カウンターの隅で飲んでいる僧形の男が少し気まずそうに盃を隠したようだが、ジャンは気にしない。
 旅から旅の身の上だから、現地の僧の心証など掻き捨てである。

「ああ、それとサラダを貰おう」

 居酒屋ではサラダを頼んでみるのがジャンの調査方法だ。
 生野菜は保存が利かず、長距離の輸送にも適さない。だからサラダを食べてみればその街の力を見ることができるのだ。

「どのようなサラダがお好みですか?」
「この店には何種類もサラダがあるのかね?」

 給仕の娘の返事が意外だったので、思わずジャンは聞き返してしまった。
 普通、居酒屋でサラダといえば一種類しか置いていない。
 その街で手に入る野菜がよほど豊富でない限り、何種類ものサラダを作ることはできないからだ。まして王侯貴族でもなければ、手に入れられる野菜の数には限りがある。

 ジャンの見立てでは古都というのは帝国北部の要衝とは言われながら、歴史が古いだけの街だ。そこの居酒屋がどんなサラダを出してくるのか、純粋に興味がある。

「はい、この店のタイショーが今、サラダ作りに凝っておりまして」
「なるほど。では、色々なサラダを食べてみたいな。他の料理はいいので、サラダだけを持って来て下さい」
「それでは色々なサラダが召し上がれるように、一皿一皿の盛りは少なく致しましょうか?」
「そうして頂けると大変嬉しい」

 サラダの種類といっても高が知れているだろうに、わざわざそのような注意をするところを見ると、やはり見栄かはったりなのかもしれない。
 いずれにしてもジャンは今、無性に野菜が食べたくなっていた。
 旅の間に食べられるものはどうしても保存の聞くものになる。新鮮な野菜を身体が欲していることは、旅慣れたジャンにはよく分かっていた。

 運ばれてきた湯冷ましの水を飲みながら、店内を見渡す。
 どうやらここは異国風の造りになっているらしい。東王国からの旅で立ち寄った帝国内のいずれの居酒屋とも雰囲気が異なっている。
 却ってこういう店の方が、その街の実力を計るには丁度いい。それがこれまでの経験から導き出したジャンの結論だ。

「お待たせいたしました。温玉シーザーサラダです!」

 最初の皿は、レタスを主体にしたサラダのようで、上にとろりとした半熟の卵が乗っている。料理の先進地域である東王国でも見たことのない形式のサラダだ。

「シーザーサラダか。はじめて見るな」
「上に乗っている玉子をよくかき混ぜてお召し上がり下さい」

 手渡されたフォークとスプーンで小振りなサラダボウルの中をしっかりと混ぜ、小皿に盛る。
 出て来た時には気付かなかったが、細かく刻んで炒めたベーコンや粉チーズ、揚げたパンの欠片などが入って実に賑やかなサラダだ。

「シノブさん。こんなサラダ、前からあったかのう」

 カウンターの老僧が給仕の娘に問い掛ける。

「前にシュニッツェルの事件があったでしょ? あれ以来タイショー、得意分野以外の料理も練習したいって言い出して」
「ほぅ、良いことじゃないか」
「それが良くないんですよ。参考にしたレシピを律儀に前から順に練習していくもんだから、サラダのレパートリーばっかり増えて」
「なるほどな。いい機会じゃないか。こちらのお客さんはサラダが大層お好きな様であるし」

 そう言ってジャンの方に軽く会釈をする僧の表情は何か言いたげだ。
 どこかで会ったことがあるかと記憶の中を探ってみるが思い当たる節名は無い。会釈を返し、ジャンは自分のサラダボウルに向き直った。

 シャクリ。
 シャクシャク。
 歯触りの瑞々しいレタスに、半熟の玉子とがとろりと絡み合い、味わいを濃厚で奥深いものに変えている。
 カリカリに炙られたベーコンは適度な塩気で味を引き締めているのもさることながら、カリッと揚がったパンの欠片と一緒に食感に良いアクセントを生んでいた。

「これは素晴らしい」

 使われている材料の組み合わせは、珍しいものではない。居酒屋で供されるものとしては少々欲張りな気もするが、大都市であれば揃えようと思えば揃えられるものばかりだ。
 しかし、味わいと食感を考えた組み合わせが実に素晴らしい。食材の特長を最大限に引き出す、技巧のサラダだと言える。

 正直を言って、ジャンはここまでのサラダに居酒屋でお目にかかれるとは想定していなかった。このシーザーサラダであれば、東王国の宮廷の晩餐会に供されても不自然ではない。

 だが、それだけのサラダでもある。
 技巧を凝らしてあるが、逆に言えばそれだけなのだ。古都という街をサラダを通して分析する上では、あまり大きな意味のある一皿ではない。

 長い年月をかけて積み上げた古都の歴史のなせる技か、それともこの異国風の居酒屋の叡智かは分からない。ただ、どちらにしても東王国を脅かすようなサラダではない。

「お気に召しましたか?」
「大変素晴らしいサラダですね。感服しました」
「それは良かったです。私の故郷でも大人気なんですよ」
「なるほど。それで次のサラダは何でしょう?」
「はい、次は大根サラダです!」

 次の皿は細く切った白い野菜の上に、ピンク色のとろりとしたソースのかかったサラダだった。
 これもジャンの見たことがない一品だ。恐る恐る口に入れてみると、白い野菜の思わぬ歯応えに驚かされる。
 それだけであれば単に食感の良い水っぽいサラダだが、にかかったソースの適度な塩気と滑らかさがこのサラダの味わいを何倍も奥深いものにしているようだ。

「この野菜は?」
「大根を千切りにしたものです」

 そう言って給仕が取り出したのは、ラディッシュのお化けのような根菜だった。似たようなものと言えば連合王国にも白ニンジンというものがあるが、それよりも遥かに太い。
 白ニンジンはどこまで大きく育てても、大根のように子供の足ほどには育たないことをジャンは知っている。

「面白い食感の野菜です。それと、もう一つお尋ねしたい。上にかかっているソースは何でしょうか? これほど鮮やかなピンク色のソースを私は見たことがない」
「それはたらこって言います。魚の鱈の卵ですね。それを絞り出して、ソースに混ぜるとこういう色になるんです」
「鱈の、卵?」

 大根という野菜にも関心が湧いたが、それより問題なのは魚卵だ。
 鱈と言えば海を隔てた連合王国を含む沿岸国家でよく食べられるありふれた魚だ。その卵もジャンは一度ならず食べたことがある。

 問題は古都が内陸にあるということだ。
 帝国北方の要衝であるこの街は、確かに北に流れる川と運河を使った水運で海に繋がっている。
 しかし、そこからもたらされる水産物が気軽に庶民の口に入るというのはジャンにとってにわかには信じられない。

 古都の水運に関する資料には、ここを訪れる前に全て目を通している。
 そこから予想される状況を、このたらこを使った大根サラダは全く覆していると言っても過言ではない。
 帝国か古都の参事会が意図的に水運の流通量を隠しているとしか考えられないのだ。

「このサラダも素晴らしいな」
「気に入って頂けましたか? 次はこのサラダです」

 警戒感を新たに次の皿に目を向けたジャンだが、そこで目にしたものは予想とは大きくかけ離れたものだった。
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