挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
2/145

おでんのじゃがいも(後篇)

「ああ、オデン、ね」
「……知っているのか、ニコラウス?」訳知り顔のニコラウスに、ハンスが尋ねる。
「いいや、知らん」

 そんなやりとりをしていると、目の前に大ぶりなスープ皿が運ばれてきた。
 具が、大きい。
 これはスープ料理というよりも、煮込み料理の類なのだろうか、とハンスはあたりを付ける。外を吹く風が冷たくなったこの時期に煮込み料理は有り難い。
 オデン、という名も、何処となく北方異民族の神の名を思わせるし、ひょっとするとこれは寒い地域の伝統料理なのだろうか。

「オデンな。これは卵、これは、馬鈴薯(じゃがいも)か。腸詰(ヴルスト)は入ってないのか? あれも煮込むと美味いんだが」ハンスが言うと、タイショーがニヤリと笑う。
腸詰(ソーセージ)か。確かにありゃ美味い。が、今日は無しだ。代わりに、これも入れてやる」

 そう言って、肉を刺した串をハンスの皿の中に入れる。
 ハンスには、それ以外の具の名前も材料も見当がつかない。何だかよく分からない、柔らかそうな具だ、という印象だ。
 透き通ったスープの優しい香りが鼻孔をくすぐる。こんなのは、嗅いだ事がない。

「さ、早く食おうぜ」

 ニコラウスに促されるままに、フォークを彷徨(さまよ)わせる。
 どれだ。どれから食べる。
 知っているものから攻めるか、知らないものから攻めるか……

 ハンスは薄い円柱形の具に狙いを定め、ゆっくりとフォークを入れた。
 フォークがほとんど抵抗なく吸い込まれていく。スープをしっかり吸っているのだろう。色がしっかり沁みている。
 恐る恐る口に含むと、ほろりと崩れた。
 熱い。が、美味い。

「お、大根か。しっかり沁みてるだろう?」とタイショー。
「はふ、うむ、はふ、美味い」

 ダイコン、とは何だ。分からない。が、美味い。
 訓練で汗をかき、冷えた身体にこの温かさは、どうだ。
 胃の腑の形までそのままに温まり、身体の心から解されて行く。

 黒くふにゃふにゃしたコンニャクは、意外な歯応え。
 串に刺したギュウスジの蕩けるような濃厚な味わい。
 しっかりスープの沁みたチクワ。
 そして、

「……馬鈴薯(じゃがいも)、か」

 こればかりは、どう料理してもそれほど美味くならないような気がする。
 煮ても焼いても蒸しても揚げても、それは最早ハンスの身体に染み付いた味だ。
 生まれ付いてから二〇年。母の乳を吸うのを止めた日から、毎日毎日この塊を食べ続けてきた。今更これを少々美味いスープで煮込んだところで、それほど味に変化があるとは思えないのだ。

「なんだ、じゃがいもは苦手か?」タイショーが訝しげにハンスの皿を覗きこむ。
「いや。散々食い慣れたもんだからね。オデンの感動が薄れやしないかと思って」
「ふぅん。じゃ、これ、付けてみるか?」

 そう言ってハンスの皿の縁にべっとりと黄色いペーストを塗り付けた。
 香りに覚えがある。マスタードだ。

「マスタード? 馬鈴薯(じゃがいも)にマスタードを付けるのか?」
「マスタードというか、カラシだな。ま、食ってみな」

 ハンスもマスタードはよく知っている。
 ちょっとした辛さと酸味を付けたす調味料で、肉の臭みを誤魔化すのに使う。それを、馬鈴薯(じゃがいも)に、というのは聞いたことがないが、味の想像は付かなくはない。
 少々の物足りなさを感じながら、ハンスはカラシを付けた馬鈴薯(じゃがいも)を口に運んだ。

「ん、ふは? んん?」

 辛い。鼻に抜けるツンとした辛さだ。これは、マスタードではない。
 そして、馬鈴薯(じゃがいも)
 ほっこりとして、甘くて、美味くて……カラシの辛さと、合う。
 何だ、これは。

「な、じゃがいも、うめぇだろ?」

 頷きを返しながら、ハンスはまた馬鈴薯に齧り付く。
 辛い。美味い。辛い。美味い。
 こんなのは、馬鈴薯ではない。ほくほくした、別の何かだ。

 この感動を共有しようとニコラウスの方を見れば、ニヤニヤと笑いながら何かを啜っている。ジョッキではない。小さな素焼きのカップで、だ。

「ニコラウス、なんだ、それは?」
「ああ、これはな、アツカンだよ。おでんに、合う」
「アツカン? タイショー、オレにも同じものを!」
「あいよ、熱燗一丁ね」

 何が嬉しいのか楽しげに口元を緩めながら、タイショーが熱燗を準備する。
 ほのかに香る酒精は、エールの物ともヴァインの物とも、ヨードの物とも違う。

「はい、お待っとぅさん」

 そう言って持って来られたのは、首の長い焼き物のいれものと、素焼きの小さな小さなカップだった。
 体温ほどに温められた中身を、ハンスは溢さないように慎重に注ぐ。
 (かぐわ)しい。
 喩えようもない香りを漂わせる澄み切った透明の酒は、伝説にあるネクタルを思わせる。

 まずは、一口。
 きゅっ、と口に流し込むと、頭の中にふわりと酔いが広がる。
 強い。
 これは、火酒か。
 いや、違う。火酒のような、刺すような辛さではない。
 熱く、それでいて、透き通った力強さ。静かな強さともいうべき味わいが、喉を通りぬけていく。何という旨さだ。

 馬鈴薯にカラシを付け、口に運ぶ。
 そしてそこに、アツカンを注ぎ込むと……
 えもいわれぬ妙味(シンフォニー)が口の中に広がる。
 言葉では言い表せない幸せだけが、そこにあった。


 気付けば、オデンの皿を平らげ、アツカンとトリアエズナマも追加で飲み干していた。
 心地良い酩酊感と、浮揚感。
 かつてこれほどまでに幸せな晩飯があっただろうか。

「お代は四分一銀貨一枚です」

 給仕係の女に半銀貨を渡しながら、ハンスははてと思う。
 本当にこれだけ飲んで食べて、四分一銀貨一枚で良いのか?

「少し、安過ぎはしませんか?」

 ハンスがそう言うと、給仕係の女は小さく微笑んだ。えくぼが、愛らしい。

「お客さまのその満足そうな顔が、何よりのお代ですよ」



 兵舎への道を急ぐでもなくぶらぶらと歩きながら、ハンスは溜息を吐いた。
 それを見て、ニコラウスはにやりと笑う。

「なんで溜息を吐いたか、当ててやろうか?」
「うるさい。お前には関係ない」

 ハンスの顔が赤かったのは、酔いの為だけだったか、それとも。
 空にはオデンのじゃがいものような、円い月が浮かんでいた。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ