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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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翼の折れた獅子(弐)

「あの……付き合う、というのは」

 怖ず怖ずと尋ねるパトリツィアに、小リュービクはもう一度首を竦めた。

「試食だ。オレの作るものを食べて、感想を聞かせて貰いたい」

 目の前に並ぶ豪勢な料理に、パトリツィアは思わず唾を飲み込んだ。

「それでは、失礼して」

 手を伸ばしたのは、仔牛の香草焼き。
 あばら骨をつまんで食べやすいように炙られている。
 はしたないかなと思いながらも思いっきり齧り付くと、中からじわりと肉汁が溢れ出した。

 美味しい。
 ただ美味しいというだけでなく、いくらでも食べられそうだ。

「どうだ。そんな肉、お前さんの稼ぎでは滅多に食えないだろう」

 ぶんぶんと大きく頷きながら、咀嚼した肉を幸せと共に飲み込む。

「とっても美味しいです。肉の味も勿論なんですけど、香草……エティカとラーモン、それと……ククルバゼットも使ってますよね? 臭みが全くなくて、いくらでも食べられそうです」

 感じたことを、感じたままに。
 天才料理人に感想を求められたのだから、素人が変に言葉を飾っても仕方がない。パトリツィアは己の味覚で感じたことを、率直に小リュービクに伝える。

 だが、パトリツィアの感想を聞いた厨房の主は黙り込んでしまった。
 形の良い顎を指先でつまむようにして暫く何事か考え込んでいた小リュービクは、パトリツィアの前に一つの皿を置いた。

 シチュー(アイントップフ)だ。
 具は豚肉と、玉葱(ツヴィーベル)。一見するとごく一般的なシチューに見える。

「このシチューを食べて、味付けに使っている何の調味料を当ててみてくれ。何も難しく考えることはない。分かるものだけ挙げてくれれば良い」
「ちなみに、何種類の調味料が入っているんですか?」

 尋ねると、一瞬の間があった。

「……七つだ」

 七つの調味料。
 何かの試験のようなものだろうか。
 そんなことをぼんやりと考えながら、シチューを木匙で掬い、口へ運ぶ。

 やはり、美味しい。
 頬も蕩けそうな味わいに、味を見るよりもついつい堪能してしまう。
 とろとろになるまで炒められた玉葱の甘みと、豚肉の旨味が遺憾なく発揮されたシチュー。
 晩餐の主役として供しても良いくらいの味に仕上がったそれを、パトリツィアは至福の表情で味わっていく。

 腕を組んで興味深げにこちらの様子を窺う小リュービクの視線も、気にならない。
 皿の残りも半分になったところで、いよいよ舌に意識を集中する。
 せっかくこれだけ美味しいものを食べさせて貰ったのだ。七つ全てとは言わぬまでも、せめて四つか五つは答えたい。

 調味料、ということは豚肉と玉葱は除外して良いだろう。
 パトリツィアは舌の上を通り過ぎていった味を頭の中で反芻し、指折り数えていく。
 しかし。

「……どうした。難しいか」

 黙り込んでしまったパトリツィアの様子を不審に思ったのか、小リュービクが声を掛ける。

「ああ、いえ、違うんです」
「違う、とは?」
「このシチューに使われている調味料、七つなんて数じゃありませんよね?」

 そう言って、パトリツィアは分かった限りの調味料の名を挙げはじめた。
 塩、胡椒、バター、ワインは言うに及ばず、ニンニク、パプリカ、トマト、アーセリンク、エティカ、ナルホマゼットと生姜……

「それと、砂糖が少しだけ入っているように感じました」

 答え終わってから、パトリツィアはやってしまった、と思った。
 分かったからといって、こんな風に答えて良かったのだろうか。
 小リュービクは、七つと言ったはずだ。十二も挙げろとは言っていない。

 腕を組んだままパトリツィアの方をじっと見つめていた小リュービクの肩が、ぴくりと震える。
 ひょっとして、怒られるのだろうか。
 身構えるパトリツィアを前に、小リュービクはさっきまでの厳しい顔つきからは予想も出来ないほど口を大きく開けて、笑いはじめた。

「くくく……ははははははは! お前さん、いや、パトリツィアだったか。凄いな。いや、素晴らしい。実に素晴らしい舌を持っている。こいつは傑作だ」

 腹をよじらせて笑い転げる小リュービクを、パトリツィアは呆気にとられてただただ見つめることしかできない。

「パトリツィア、お前さんの言う通りだ。このシチューには確かにそれだけの調味料が含まれている。まさか砂糖まで言い当てられるとは思わなかったけどな」
「あ、はい、いえ、たまたまです」

 故郷の村にいた頃から食い意地の張っていたパトリツィアは、近隣で結婚式や催し物がある度に手伝いに行っては、そこの料理を味わい尽くしてきた。
 砂糖の味も、そうやって覚えたものだ。

「ちなみに、なんで七つなんて言ったんですか?」
「ん、ああ。七つって言うのは、ここの料理人が答えられた調味料の数だ。つまりは、お前さんの方がしっかりした舌を持っている、っていうことだな」

 はぁ、と答えるパトリツィアに、小リュービクは次々と皿を勧めてくる。

「いや、大したもんだよ。お前さんの舌は。寝込んじまってるオレの親爺ほどじゃないにせよ、それだけの舌の持ち主はなかなかいるもんじゃない」

〈神の舌〉
 小リュービクの年の離れた父、大リュービクの二つ名を知らぬ者は〈四翼の獅子〉亭には誰一人としていない。
 伝説的な料理人にして、伝説的な舌の持ち主。
 それが〈四翼の獅子〉亭の総料理長である大リュービクだ。

「今でこそ目と足とを悪くして寝込んでいるが、親爺さえしっかりしていれば、この〈四翼の獅子〉亭の客が余所に流れることなんてあるはずがないんだ」

 それは、事実だろう。
 大リュービクが厨房に立っていた頃、古都における〈四翼の獅子〉亭の人気は盤石で、他の宿とは比較にならないほどに評価は隔絶していた。
〈飛ぶ車輪〉亭のような老舗の名を挙げる旅人はいても、いつかは〈四翼の獅子〉亭で晩餐を食べたいと語っていたものだ、というのは年嵩の女中の受け売りだが。

 大リュービクが病臥するようになり、小リュービクが厨房の長を引き継いでも、〈四翼の獅子〉亭の優位は揺らがなかった。
 その評価が傾きはじめたのはやはり、彼が自室に籠もるようになってからのことだ。

 パトリツィアは、内心で首を捻る。
 どうしてこんなに元気で料理の腕もしっかりとした小リュービクが、昼間は自室に籠もりっきりなのだろうか。
 この副料理長さえ調理場に立てば、〈四翼の獅子〉亭も活気が戻りそうなものなのだが。

「ま、こんな料理を出す店が持て囃されているくらいなら、〈四翼の獅子〉亭もまだまだ安泰だろうな」

 言いながら小リュービクがつまむのは、揚げただけの馬鈴薯だ。

「〈やみつき馬鈴薯〉ですか?」
「ああ、お前さんも知ってるか。馬鈴薯をただ揚げただけ。なんの変哲も無い、ただの揚げ芋だ。それなのに、これが古都では大人気だっていうんだから、不思議な話だ」

〈やみつき馬鈴薯〉は、パトリツィアも食べたことがある。
 シモンが余所への使いのついでに、どこかの露店で買ってきてくれたのだ。
 確かに、小リュービクの作る料理と〈やみつき馬鈴薯〉は、違う。
 食べ比べれば、一〇〇人が一〇〇人、小リュービクの料理を美味いというはずだ。
 だが、違う。違うのだ。

「この〈やみつき馬鈴薯〉にせよ、例のオーディン鍋にせよ、最近の古都には妙な料理が流行りすぎる。それもこれも、居酒屋ノビ……? ノベ……?」
「……居酒屋ノブ?」
「そう、その居酒屋ノヴとかいう店ができてからのことらしい」

 居酒屋ノブと言えば、シモンと一緒に行ったあの店のことだ。
 確かに料理は美味しかったが、〈四翼の獅子〉亭とはまったく違った店だし、料理の美味しさもパトリツィアにしてみれば、張り合う類いのものではないという気がする。
 獅子と鷹ではどちらが強いのか、と尋ねるようなものだ。

 ひょっとすると、小リュービクは居酒屋ノブへの対抗心か何かが原因で厨房に立つことができないのだろうか。
 だとすれば、直接行ってあの料理を食べて貰うのが一番だろう。

「すみません、その居酒屋ノブっていうお店、私行ったことがあります」
「何? 本当か?」

 パトリツィアの言葉に、小リュービクが両手を掴んできた。
 料理人らしい繊細な指だ。下働きに慣れてごつごつとしたシモンの指とは、違う。

「どこにあるんだ? どのくらいの時間帯まで店を開けている?」

 矢継ぎ早に問い質してくる小リュービクに圧倒されながら、パトリツィアは知っている限りのことを答えることにした。この副料理長には、何としても立ち直って貰わねばならない。

「えっと、場所は〈馬丁宿〉通りです。随分と遅くまでやっているっていうことでしたから、多分今の時間くらいなら、まだ……」

 今度、一緒に行ってみますかという言葉を口にする前に、小リュービクにぐいと手を引かれる。

「よし、それなら行こう」
「い、今からですか?」

 慌てるパトリツィアの様子など気にも止めず、小リュービクは宣言した。

「決まっている。今からだ。居酒屋ノヴに、討ち入りだ」
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