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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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ある宿屋店員の初恋(前篇)

 何だか妙なことになってしまった。

 隣の席で酒と肴に舌鼓を打つパトリツィアはさっきからシモンの方を見向きもしない。
 カウンター席でジョッキのエールをちびりちびりと舐めながら、シモンは何故こんなことになってしまったのかを思い返している。

 そもそもの発端は、シモンの勤める宿の客がちょっとびっくりするくらいに駄賃を弾んでくれたことだった。
〈四翼の獅子〉亭と言えば古都で一番と評判の宿で、やんごとない身分の方も投宿される。
 それでも今日のように気前のいい客は六つの歳から十二年勤めるシモンの記憶でもはじめてだ。

 なんとも不思議な客だった。
 身なりのいい老人で、少し西の方の訛りがある。
 どこかの街の織物問屋の御隠居だというが、本当のところはどうだろうか。

 御付きの人たちと一緒に宿に籠って日がな一日九柱戯(リップ・ヴァン)とかいう遊びに興じている。九本の瓶を並べてそこに球を投げて倒す遊びなのだが、シモンは倒れた瓶を並べ直す係だ。
 それだけで銀貨を何枚もくれるのだからどうかしている。

 とはいえ、シモンにとっては怪しげな老人でも単なる客だ。駄賃さえ貰えれば織物問屋の隠居だろうと何処かの大貴族だろうと豪商だろうと関係ない。
 後ろ暗い金かなと不安になったが、貰ってしまえばこっちの金だ。

 使い途は決まっている。
 幼馴染のパトリツィアだ。
 同じ宿に同郷のパトリツァイが女中見習いとして勤めに来たのはほんの一月ほど前のことだった。

 奇蹟のような偶然だと思ったが、そういうことでもないらしい。
 シモンが〈四翼の獅子〉亭を紹介してもらったのと同じ伝手を使ったのだという。
 さすがは馬鈴薯(ジムニャク)と物持ちの良さだけが取り柄の田舎だ。

 偶然だろうが必然だろうがシモンにはそんなことは関係ない。
 もう会えないと思っていたパトリツィアが手の届くところにいるのだから、声をかけないというのは大莫迦者のすることだ。

 駄賃のお陰で懐も少し温かい。
 古都に来たばかりでこちらのこともあまり分かっていないだろうし、旧交を温めながらエールでも一杯ひっかけようとパトリツィアを誘ったのが昨日。

 上手くいくか不安だったが、返事は意外にも「喜んで」だった。
 これは脈があるのではないか。ここで良いところを見せなければと思ったのだが。

「リオンティーヌさん、次のお酒もお願いします!」
「はいよ! お客さん、良い飲みっぷりだね!」

 田舎から出てきたばかりのお上りさんであるはずのパトリツィアは頬を上気させながら酒や肴を次々と頼む。
 最初は少し悩んだり考えたりもしていたのだが、何せ知らない酒と食べ物ばかりだ。

 食べ物はともかく、酒の方はリオンティーヌとかいう女給にお任せになっていた。
 頼めば頼んだだけ違う銘柄の酒が出てくる。

 パトリツィアが気に入ったのはレーシュという酒だ。
 透明な酒だが|火酒≪ゴジャウカ≫ではないらしい。
 さすがに酒場に勤めている女給だからだろうか、酒の選び方はしっかりとしていた。

 シモンの予定は大きく狂わされている。
 古都の勝手がからないパトリツィアに優しく酒や料理を註文してやり、成長したシモンの男ぶりを見せつけてやるはずだったというのに。

 店選びも反省材料だ。
 面白い料理を出す店だという噂は前々から聞いていた。パトリツィアを誘うならここだろうと目星をつけている店の一つだったのだ。
 だからこの居酒屋ノブを選んだのだが、結果としてこれが良くなかった。

 確かに見たことも聞いたこともない品書きが並んでいる。ただ、そのせいでシモンの方がどうすればいいのか勝手が分からないというのは全く予想外だ。
 逆にパトリツィアに註文してもらうというあべこべなことにもなっていた。

「リオンティーヌさん、このタルヘイっていうお酒、木の香りがします!」
「そこに気が付くとはお客さん、なかなかやるね。じゃあ、お次はこっちを試してみるっていうのはどうだい?」

 隣に座るパトリツィアを横目で見つめる。
 少しくすんだ金髪に真っ白な肌。
 なんにでも興味を持つ大きな瞳は変わらないが、背はずいぶんと高くなった。

 シモンの知っている幼馴染の彼女ともうまるで別人だ。
 小さい頃はチビだなんだと馬鹿にしていたのが、よくもまぁここまで育ったものだと感心する。

 それにしてもパトリツィアは美味そうにものを食べる。
 昔はもっと少食だと思ったが、今はそれも克服したらしい。一口一口味わっては目を輝かせる姿は、みているこっちまで幸せになる。

 サシミ、タコワサ、ダシマキタマゴ。
 カラアゲは塩とショウユの二人前にニコミとサバヘシコ。
 細い身体のどこに入るのか、店に来てからパトリツィアはずっと食べ続けの飲み続けだ。
 シモンも負けじとフォークを伸ばすが、なるほど確かに味は良い。

 正直に言えば、はじめはこの店もハズレかと疑っていたのだ。
 理由は簡単。
 壁に貼られた品書きにウナギやオジヤ、オデンの文字が躍っている。

 どこの店がはじめたのだろうか。
 発祥がどこかシモンは知らないが、どれも古都でこの数年に流行った料理だ。
 いくつか食べ歩いてみたが、当たり外れの落差がひどかった。

 一度はウナギとは名ばかりの得体のしれないものを食べさせられて体調を崩したので、それ以来品書きにウナギのある店は疑ってかかることにしているのだ。
 名前だけ真似をする見栄張りの店に碌なところはないと相場で決まっている。

 だからこの店も、と思ったのだが意外な掘り出し物だった。
 特にこのカラアゲというのがいい。
 サクッと揚がった衣を齧ると中からじわりと肉汁が溢れてくる。

 美味い。
 ニンニク(クノープラウホ)がガツンと利いているから気付きにくいが、臭みを取るのも忘れていないようだ。こういうひと手間が嬉しい。
 腕のある料理人だろうに、どうしてこんな居酒屋に勤めているのだろうか。

〈四翼の獅子〉亭の料理がこの世で一番美味いと信じているシモンだが、このカラアゲは認めてやるに吝かではない。
 この味が出せるなら、古都でももっと立派な通りに店を出せるだろうに。

 しかし、ここの払いはどれくらいになるのだろう。
 入口は見事な硝子を使った引き戸だし、内装にも金がかかっている。
 仮に相場通りだったとしても、パトリツィアのこの食べっぷりだ。

 ただただ美味そうに食べる。
 見ているこちらが惚れ惚れとする食べっぷりだ。
 チクワのイソベアゲに豪快に齧り付き、レーシュを呷る。
 いつまでも見ていたいくらいだが、問題は支払いだ。

 駄賃のお陰で支払いには余裕があると思っていたシモンだが、この食いっぷりを見せられると懐具合がだんだん不安になってくる。

「こちらのお嬢さんは随分と綺麗に食べるね。食べ方も見ていて気持ちがいい」

 パトリツィアを挟んで反対側に座る老人が気安く話しかけてきた。
〈四翼の獅子〉亭にもときどき来るクローヴィンケルとかいう吟遊詩人に似ている気もする。
 さすがに他人の空似だろう。こんな場末の酒場で飲んでいるはずがない。

 シモンは無言でジョッキを置き、老人の方をじっと見つめた。精一杯、睨んでいるつもりだ。
 パトリツィアはどう思っているか知らないが、シモンの方では今日はデートのつもりだった。邪魔してもらっては困る。
 だが老人の方は特に気にした様子もない。却って微笑み返されてしまった。

「ところでお嬢さん、その食べっぷり飲みっぷりに敬意を表して、ここの払いは私が持たせてもらいたいんだが、如何かな?」

 クローヴィンケル似の老人がとんでもないことを言い出した。
 奢る奢られるは古都の酒場ではよくあることだ。
 いつもならシモンも喜んで受ける。
 だが、今日だけはパトリツィアにいいところを見せたい。
 断ろうと口を開いたシモンの機先を制するようにパトリツィアが答える。

「いいんですか?」
「もちろんだとも」

 カウンターの下で拳を握り、シモンは歯噛みした。
 ここで断ってパトリツィアにかっこいいところを見せてやりたい。
 しかし、問題は懐具合だ。
 パトリツィアはまだまだ食べそうだから、このままだと確実に支払いが危うくなる。
 リオンティーヌという女給にこの店はツケが効くのかこっそり尋ねようとしていた矢先にこの申し出だ。実を言えば、ありがたいとさえ思っている。

 男の矜持か、それとも財布か。

 二つの気持ちが鬩ぎ合うが、答えは決まっている。
 ここで断って支払いの銀貨が足りないというのが一番無様で格好悪いのだ。
 苦渋の選択としか言うよりほかない。
 ありがとうございます、と言おうとしたところで、老人がしまったという表情になる。

「失敬、先に彼氏君(・・・)に意思を確認するべきだったな」

 彼氏君、という言葉に思わず噎せ返った。エールが喉に入ったのだ。
 それは、確かにいつかはパトリツィアと付き合いたいと思っている。
 今日誘ったのも長く離れていた時間を埋め合わせて二人の仲を回復させようという目論見があったからだ。

 しかし今はまだ彼氏彼女というわけではない。
 弁解しようとしたところで、パトリツィアが老人の背中をバンバンと叩いた。
 酔っているのか顔が赤い。

「いやだなぁ、お爺さん。シモン先輩と私はそんなんじゃありませんよ」
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