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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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仕事帰りのヤキトリ(後篇)

 なるほど。
 ヤキトリというのは串に刺して焼いた鶏肉のことだった。
 五本の串の部位と名前をリオンティーヌが教えてくる。

 ちょっと拍子抜けしなかったと言えば、嘘になるだろう。
 この辺りでは鶏肉を串焼きにする料理はないが、居酒屋ノブならもっと変わったものが出てくるのではないかという期待もあったのだ。

 ただ同時に、これはこれで嬉しいと思っているマルセルもいる。
 市参事会の議長ともなると渉外で貴族や豪商との会食も多い。やれ何々のソースがどうの、何々風がどうのという凝った肉料理には食傷気味だ。
 このヤキトリ、素材の味で勝負する類いの料理のようだから、その点は好感が持てる。

 それにこれなら翌日胃がもたれることもなさそうだ。
 正直、鶏むね肉のニンニク(クノープラウホ)ステーキでも出てきたら持て余しただろう。
 貧乏性のマルセルにとっては料理を残すなんてもっての外だが、串焼きなら好きなだけ食べて適当なところで註文を止めればいいのだ。

 それに、香りが良い。
 じうじうという音と肉の香りが食欲をそそり、胃の腑を締め付ける。
 皿に盛られた五本はどの串も美味そうだ。

「それでは、いただきます」

 考えてみれば久しぶりに食べる鶏肉だった。期待に手をこすり合わせ、まずは一本。
 もも肉からだ。

「ふむ」

 一口食べてにんまりと笑みがこぼれる。
 柔らかい。ただ柔らかいだけでなく、しっかりと美味い。
 脂と肉汁がじわりと口の中に広がるのは皮も一緒に焼いているからだろうか。

 良い。
 こういう味で良い。いや、こういう味が良い。
 ナイフだフォークだと面倒がないのも嬉しいところだ。豪快に串から食べるのは、美味しいだけでなく楽しい。

 これがまたトリアエズナマとよく合うのだ。
 程よい苦みが口の中をさっぱりと洗い流してくれるのは、食べる愉悦だ。
 慌てて二杯目を註文し、次の串に取り掛かる。

 お次はネギマだ。
 鶏肉の間に(ラウホ)が挟んでいるのだが、これも良い。
 葱の香ばしさと甘みが鶏肉の脂との取り合わせが絶妙なのだ。

 ネギマばかり食べていたいと思うのだが、そういうわけにもいかない。
 次はハツ。心臓だ。
 部位を聞いた時に血なまぐさいのではないかと思ったが、そんなことは全くない。

 串三本で、ジョッキが空になった。
 すぐに手を挙げて次の一杯を註文する。ここからは慎重に飲み進めなければならない。エールは一日三杯まで。自分に決まりを課すことは大切だ。

 だが、しかし。

 次に手を伸ばした皮に、マルセルはすっかり虜になってしまった。
 パリパリに焼き上げられた皮から滲み出る脂とトリアエズナマ!
 ただ焼いただけの鶏肉がここまで美味いものだとは思わなかった。

 凝った料理もいいが、こういう一見簡素な料理もいいものだ。
 刻んだ軟骨を練りこんだツクネを食べながら、マルセルは次のヤキトリを註文していた。

 お任せでまた五本。
 皮だけはもう一回註文した。あれは良いものだ。
 ボンジリ、レバー、ササミにスナギモ。
 色々あって、色々美味い。
 三周目は気に入ったものから、もも肉、ネギマ、スナギモを選ぶことにした。皮を二本頼むのは忘れない。

 串が進めばトリアエズナマも進む。
 一日三杯の誓いはどこへやら、既にジョッキで五杯目だ。
 量を過ごしたのは久しぶりだから、ほろ酔い加減が心地よい。
 トリアエズナマの泡が日々の疲れまでしゅわしゅわと溶かして行くかのようだ。

 美味い肴に美味い酒。
 こういう時間が持てるなら、日々の苦労も報われるというものだ。
 それにしてもこのヤキトリというのは美味かった。
 妻に頼んで作ってもらおうか。材料は鶏肉と葱だけだし串くらいならどこでも手に入るだろう。

 それとも単純に見えて意外に難しいものなのだろうか。
 前にこの店で出された料理と似たものを妻に作ってもらおうとしたら豪く手間がかかると怒られたことがある。

 三流の店はどれだけ手間をかけたか喧伝するものだが、この店はむしろ手間をかけたことを隠して客が気付きもしないことに喜びを見出しているようだと付き合いのある吟遊詩人が言っていた。

 いずれにしても、味を覚えるためにもう一度食べにくる必要があるだろう。
 もちろん、妻も一緒だ。その時は塩ではなくタレとやらも試してみるつもりだ。

 最後のもも肉を食べながら考える。
 素材の味で勝負するヤキトリがこれほど美味いのは、鶏が若いからだろう。
 マルセルも指折り数えてみればもう六十一。普通ならもう隠居していてもおかしくない歳だ。
 引退を考えたことはないが、若さに押される局面が増えたと感じることもある。

「マルセルさん、ヤキトリがお気に召したなら、こちらもどうですか?」

 そう言ってシノブが差し出した皿には表面を軽く炙った鶏肉の薄切りが盛られていた。

「これは?」
「親鳥のたたきです」

 親鳥のタタキ。タタキというのはこの表面を炙る料理のことだろうか。
 以前、薬屋のイングリドがカツオのタタキを絶賛していたことをふと思い出す。

 勧められるままに、一切れ食べた。
 ヤキトリとはまた違った鶏の旨味に驚かされる。
 思ったよりもしっかりとした歯ごたえと味わいだ。

 理由にはすぐに思い当たった。これが親鳥だからに違いない。
 古都で出回る鶏肉のほとんどは、こうした親鳥だ。
 卵を産まなくなった鶏だから廃鶏なんて呼ぶこともある。

 身が硬いばかりで人気がなく、マルセルも敬遠していた。
 だが、改めて食べてみるとこれがなかなか美味い。
 噛めば噛むほど味が出る、という奴だ。
 若鶏の肉汁溢れる美味さも素晴らしかったが、親鳥は親鳥で違った美味さがある。

「シノブちゃん」
「はい、ご註文ですか」

 トリアエズナマをもう一杯。

 そう言いかけて、マルセルは止めた。
 さすがに六杯も飲んでしまうと明日の仕事に差し障る。
 それに、これ以上飲んでしまえば今の心地よさは去ってしまうに違いない。深酒を楽しめる若さはいつの間にか失ってしまったが、節度ある酒を楽しめる分別を手に入れたのだ。

「いや、お会計を頼むよ」

 分かりました、と返事するシノブの声に満足げに頷く。
 そうだ。これでいい。
 明日も朝から参事会の仕事がある。
 水路の開鑿工事も一部でははじまっているから、参事会はますます忙しくなるはずだ。

「まだまだ若鶏には負けてられん、か」

 支払いを済ませ、マルセルは店を出た。
 空には大小二つの月が並んでいる。日はとっぷり沈んでいるが、まだ暑い。
〈馬丁宿〉通りを、鼻歌交じりに歩く。
 店に来た時よりも、心なしか背筋が伸びているような気がした。
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