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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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おにぎり(後篇)

「なんだい、<鬼>ともあろう者が情けないねぇ」

 立っていたのは、リオンティーヌだ。
 少し目が腫れぼったいが、いつも通りの笑顔で硝子戸の前に立っている。

「退いてくれ、リオンティーヌ。オレは部屋に戻らねばならん」
「なに言ってるんだい、ベルトホルトさん。戻ったって何の役にも立ちゃしないよ。お産は女の戦場だ。男親にできるのは黙って祈ることだけさ。なぁエトヴィン助祭?」

 急に話を振られたエトヴィンが酒に噎せながら頷いた。
 確かに今できることは、待つことと祈ることだけだろう。
 何かを言い返そうとしたベルトホルトだが、リオンティーヌの顔を一瞥すると、自嘲気味な笑みを浮かべて元の席へ戻った。

「タイショー、酒……は拙いから、何か酒精の入っていない飲み物を」
「それと隊長殿に何か簡単に食べられて腹に溜まるようなものを作ってやってくれないかね。そうだね、オニギリなんてどうだろう」
「おいおい、リオンティーヌ。オレは食べ物までは……」

 断ろうとするベルトホルトを、リオンティーヌは笑い飛ばす。

「大方、ヘルミーナも飲まず食わずで頑張っているんだから、って言いたいんだろうけどさ。そんなことじゃ子供が生まれた後にヘルミーナもアンタも一緒に参っちまうよ。今の内にしっかり食べて力を付けておかなきゃね、お父さん」
「あ、ああ……」

 そう言われてしまうとぐうの音も出ないのか、ベルトホルトは大人しく黙った。
 リオンティーヌもさっそく店の給仕に入り、のぶの活気はいつも以上だ。
 前掛けを締めるリオンティーヌの顔をエーファが気遣わしげに見つめるが、リオンティーヌはその頭をくしゃくしゃと撫でて笑顔で客から注文を取る。

 しのぶが目配せすると信之は口元だけで笑い、おにぎりを作り始めた。
 熱い白米をひょいひょいと転がすようにして形を整えていく技は実に手慣れたものだ。
 あっという間に皿の上にはおにぎりの山が築かれる。

「お待たせしました!」
「あ、ああ、ありがとう」

 運ばれてきたおにぎりを見つめて戸惑うベルトホルトだったが、リオンティーヌに背中を叩かれ、大胆に頬張った。

「うん、美味い」

 腹が減っていたのだろう。その食べっぷりには鬼気迫るものがある。
 おにぎり一つを食べるのに二口しかかからない。
 右手に掴んだ分を齧りながら、左手ではもう次の一つを掴んでいる。
 頬に米粒が付くのも気にせずに食べるベルトホルトを見ていると、周りの客からはオレにもこっちにもとおにぎりの注文が上がった。

 慌ててハンスに米を炊く準備をするように指示を出しながら、信之はおにぎりを握る。
 その間にも、ベルトホルトの前に積まれたおにぎりの山は次第に標高を失っていった。

「……凄い食べっぷりだねぇ」

 感心したのか呆れたのか、あるいはその両方なのか、ベルトホルトに茶を注いでやりながら呟くリオンティーヌの声音からは判断が付かない。
 注がれた茶を啜る間だけ、ベルトホルトの咀嚼が止まる。

「腹が減っては戦にならんからな。食べられる時に食べておく。それが傭兵時代からの鉄則だ」

 わしわしとおにぎりを食べる豪快さは、見ている方も気持ちが良い。

「……そう言えば、出産の時に奥さんを実家に戻さなかったんだね」

 リオンティーヌの疑問は、この辺りの風習から出たものだ。
 古都とその周辺では出産の時には妻を実家に戻すことがとても多い。
 住み慣れた我が家で子供を産むことで母体の負担を減らすのと、産んだ後に妻の実家の援助を受けやすくするという意味があるようだ。

 若しくは、夫の実家で産むということもある。こちらは夫の実家とその家族の援助を受けやすくするのと、一族に迎え入れるという精神的な意味合いがある。
 だが、ベルトホルト夫妻はそのどちらも選ばなかったようだ。

「ヘルミーナと話し合って決めた。産む時は古都にしようってな」
「そりゃまたどうして」

 リオンティーヌが訝しげな声を上げるのも無理はない。
 まさかベルトホルトの仕事の都合という訳でもないだろう。
 おにぎりを口に運ぶ手を止めて、ベルトホルトは顎を撫でた。

「子供にとっては古都が故郷っていうことになるからな。傭兵隊長をやっていた頃は自分がどこで生まれたかも分からない奴をいっぱい見て来たから、子供には生まれも育ちもここだっていう故郷を作ってやりたかったんだ」

 へぇと客たちの間から感嘆の声が上がる。
 さすが<鬼>のベルトホルトだ。ちゃんと色々考えていると口々に賞賛が上がった。
 一番力強く頷いているのは、ハンスだ。
 遍歴職人の父の下で育ったハンスは、生まれてから古都に定住するまでの間、ずっと旅をしながら暮らしていたというから、特に感じ入るものがあるのだろう。

「それとまぁ、もう一つはな」

 ベルトホルトの視線が照れくさげに彷徨った。

「もう一つは?」

 聞き返すリオンティーヌに、ベルトホルトは苦笑する。

「まぁ、オレもこの街が好きだから、だな。子供が生まれて祝って貰うなら、ここの連中が良いっていうことだ」

 思わぬ告白に、店内は水を打ったように静まり返る。
 そして、爆笑と歓呼の渦に包まれた。

「<鬼>のベルトホルトさんがなぁ」
「この古都が好きと来たか。いや、こいつはめでたい」
「おい誰か、字の書ける奴は今の文言をどこかに書きつけておけよ」

 好き勝手な言葉が飛び交い、ベルトホルトが照れ隠しに茶を呷る。
 トリアエズナマの注文が次々に叫ばれ、乾杯(プロージット)の声が響き渡った。

「ところでベルトホルトさん、子供の名前はもう考えてあるんですか?」
「ああ、エーファちゃん。その辺りの抜かりはないさ。随分と悩んだが、ちゃんと男の子の名前も女の子の名前も考えてある」
「両方考えているなら安心ですね。ちなみになんていう名前なんですか?」

 エーファに聞かれ、ベルトホルトが得意げに鼻を鳴らす。

「ああ、まず男の子がな……」

 その瞬間、硝子戸が乱暴に開かれた。
 まるで疾風か何かのように飛び込んで来たのは、カミラだ。

「ベルトホルトさん、おめでとうございます! 母子ともに健康です! 元気な双子です!」
「ふ、双子?」
「はい、男の子と女の子の!」

 店の中の歓声はこの日一番の大きさになった。
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