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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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肉詰め茄子(後篇)

「貴方の所にはショーユがあるんですか!」

 食いついて来たのは、ハンスだ。カウンターから乗り出さんばかりの勢いでアリイルを問い質す。

「あ、ああ、あるよ。この店で出しているものとそっくり同じかどうかまでは分からんが」
「どこです? ショーユがあるのはどの辺りなんですか! それと、ダイズは!」

 こんなハンスを見たのははじめてのことだ。
 視線で助けを求めるアリイルに、小さく肩を竦める。たかが調味料と思うのだが、何か事情があるのだろう。

「ショーユがどの辺りで作られているのか詳しいことは知らないが、オレの家があるナ・ガルマン領とその周辺ではよく聞くな。連合王国(ケルティア)の西の方で、温泉の有名ないいところだ。ダイズというのは豆のことだろう? そいつも確かに名前は聞いたことがある」
「ありがとうございます!」

 礼を言うとハンスは、そのままタイショーとシノブの方に向き直った。

「お二方にお願いがあります!」

「駄目です」

 しかし、機先を制してシノブがきっぱりと断る。

「ま、まだ何も言っていないのに……」
「醤油と大豆を探しに連合王国へ行きたいって言うんでしょ? 駄目です」

 取りつく島もない。

「そんな! ショーユがないと、店の味が……」

 懸命に訴えるハンスの様子を、トマスもアリイルも呆然と見つめるしかない。
 何故これほどまでにショーユを求めるのだろうか。トマスには想像することしかできない。
 例えば、のぶの不思議だが魅力的な味わいにはショーユが不可欠だが、現在は手に入れられない状態になっているとする。その可能性は十分にありそうだ。

 ショーユが古都で簡単に手に入るものなら、これほど取り乱すことはないだろう。トマスは料理に詳しくはないが、ノブ以外でショーユなるものを見た記憶はない。やはり、古都の外から手に入れたと考えた方が良さそうだ。
 ではなぜ、手に入らなくなったのか。原因は仕入先が遍歴商人か何かで、仕入れ元を明かさなかったと言うのはどうだろう。それなら一応の筋は通りそうだ。

「まずはアリイルさんに話を聞くのが先決じゃないですか」

 シノブとハンスを仲裁したのは、皿洗いを終えたエーファだった。

「あ、ああ。それもそうか」
「まずは話を聞くのが先決よね」

 視線が集まると、アリイルは今まさに食べようとしていたニクヅメナスを皿に戻し、気まずそうな笑みを浮かべる。

「いや、申し訳ないがあまりお役に立てそうではないな」
「どうしてですか?」

 いつの間にかカウンターの内からこちらへ出てきたハンスが尋ねた。

「よく知らんのだよ。いつの間にか広まっていた。オレが子供の頃にはなかったと思うんだがな」
「じゃあ、昔からあるものじゃないっていうのかい?」

 リオンティーヌの言葉に頷きながら、アリイルはニクヅメナスにショーユをかける。
 一口齧り、「ああ、ショーユだ」と呟く。
 連合王国のショーユとノブのそれは少なくとも似たもののようだ。

「シノブさん、やっぱりオレが確かめてきます。本当に連合王国にショーユがあるのか」
「本当にあるかどうかも分からないもののために貴方を送り出すことはできません。それにハンス、貴方はまだ修業中の身なんだから」

 ハンスに向けられたはずの言葉が、トマスの胸に刺さった。
 これはアリイルに言われたことと同じではないか。
 トマスもまた、修行中の身だ。大地が動いていることを証明し、世に示すのは余技に過ぎない。

 言わば、寄り道だ。寄り道のために本来なすべきことを疎かにしていいのだろうか。
 自分のこととして言われるより、他の人に対して言われた方が胸に迫るものがある。
 考えてみれば天体観測のために、日課に身の入らないこともあった。それは本当に神の御心に適うことといえるのだろうか。
 拳を強く握り締める。トマスにとって、本当になすべきこととはなんだろう。

「大将も何とか言って」

 シノブから急に話を振られても、タイショーに慌てた様子はない。
 スープ(ズッペ)の味を見るために持っていた小皿を置くと口を開いた。

「……アリイルさんにショーユを買って送ってもらえばいいんじゃないかな」

 一同が静まり返る。
 居酒屋ノブに妙な沈黙が満たされた。それまで聞き耳を立てていた周りの客まで黙り込んでいる。
 沈黙を破ったのは、アリイルだった。

「あ、ああ。それくらいなら構わんよ」
「ありがとうございます!」

 ハンスがアリイルの手を握りしめる。
 これで万事解決だ。アリイルが連合王国へ帰ってからの手配になるから随分と時間はかかりそうだが、それでも居酒屋ノブにショーユは届く。
 ハンスは旅に出る必要が無くなり、修業も続けることができるのだ。

「……但し、条件がある」

 和やかな雰囲気の広まった店内に、アリイルの重々しい声が響く。
 条件とは、いったい何だろうか。長い付き合いだが、アリイル・ブロスナンはあまり妙なことを言い出すことのない男のはずだ。
 衆人の注視の中で、アリイルは恭しく皿を掲げる。

「ニクヅメナスを、お代わり。それとナスのテンプラとナスのアゲビタシも頼む」

 一瞬、全員がぽかんとした後、笑いのさざ波が拡がった。

「ニクヅメナスとナスのテンプラとアゲビタシだね。全部大盛りにしておくよ」
「ああ、頼む」

 腹を抱えて目尻の笑い涙をふき取りながらリオンティーヌが注文を取る。
 そこから何が起こったのか、トマスはあまり憶えていない。
 ナスとナスとナスとナス。それとトリアエズナマが店内を行き交い、皆で莫迦みたいに笑ったような気がするだけだ。

 旧友と店を出る頃には、東の空はもう白み始めていた。
 春と夏の、ちょうど境目の朝。そう言われれば信じてしまいそうなほど、不思議な穏やかさに包まれている。

「で、トマス。お前さんはこれからどうするんだ」
「天体観測は続けるよ」
「……お前」
「でも、本分は修行だ。司祭としてまだまだ半人前だからね」

 今日のことで、全部吹っ切れた。
 大地は動いている。その信念は変わらないが、解き明かすのは自分でなくても良い。

「どういう心境の変化だ?」

 驚いたように顔を覗き込むアリイルに、トマスは全てを悟ったような笑みを浮かべる。

「ショーユと一緒だよ。自分で取りに行けないのなら、人に任せても良いんだ」
「なんだそりゃ?」

 自分が使うために注文した真新しい望遠鏡が今日には聖堂に届けられる手はずになっていた。
 それを、アリイルに渡す。少しずつお金を貯めて、各国の天体研究者に送っても良い。
 全てのことを自分で成し遂げる必要などないのだ。
 それよりも多くの人に手段がある方が、真実への道のりは近くなる。

「それに」
「それに?」

 山の端はまだ、寄り添うように双月が浮かんでいる。
 トマスの信じる神は、雄月であり、雌月であり、同時に太陽でもある。
 太陽と二つの月が揃って天に在るこの時間は、聖職者にとって最も神を身近に感じる時間だ。

「太陽も月も星も、全部天に浮かんでいるんだ。修行を続ければ、いつか分かることもあるさ」

 道端に転がる石を、トマスは蹴り上げる。
 石は他の全てのものと同じく、何かに引かれるようにして初夏の道にまた転がった。
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