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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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御曹司と硝子職人(後篇)

「何かな? 君と私は初対面だと思うが」

 見るからに純朴そうな顔つきの職人は、手に一抱えもある真新しい革の鞄を抱えている。

「実は、見て頂きたいものがあるんです」

 物売りか。
 金に窮した職人が手ずから商品を売るというのは、あまり褒められたことではないもののよくあることだ。本来であれば大商会の幹部であるロンバウトにとっては看過できないことだが、今日は機嫌がいい。

「分かった。但し、食事の後にしよう。その方が落ち着いて話ができる。違うかい?」
「あ、いえ、そうなんですけど、でも」

 食い下がるな。大した特産品もない街の職人がいったいそうまでして何を売りつけようというのか少し気になって来た。
 ベネディクタに視線を遣ると、諦めたような目で頷く。財布には余裕があるということだ。
 ロンバウトは改めて職人と向き合った。

「良いだろう、商談だ。君の提案を聞こう」

 職人は少し不思議そうな顔をして、鞄をカウンターの上に置く。革鞄それ自体は大した造作ではない。ただ、金具はしっかりとした鍛冶師が作ったもののように見える。この男は鍛冶職人だろうか。しかし、それにしては手や顔の火傷が少ない。何の職人だろう。

「はじめまして。私はこの街で硝子職人をしているフーゴというものです」
「フーゴ、私はロンバウトだ。よろしく。さぁ君の商品を見せて貰おうか」

 また少し不思議な顔をして、フーゴが鞄の金具に手をかける。

「先程ロンバウトさんは、ヒヤシチュウカの品書きを見る時に目を細めていませんでしたか?」
「ん、ああ、癖でな。字が見え難い時はどうしてもそうなる」

 やはりと言った風にフーゴが頷く。どういう訳か、店員たちも応援するようにフーゴの方を見ていた。常連なのだろうか。

「恐らく、ロンバウトさんは近視なんだと思います。あ、近視というのは聖堂のトマスさんに教えて貰った言葉なんですけど」
「つまり、目が悪いと?」
「ええ、それも、かなり」

 目つきが悪いと言われたことはあったが、目そのものが悪いと言われたことははじめてだ。
 考えてみればビッセリンクの兄弟は全員目つきが悪い。父親はそうでもないから、母親譲りなのかもしれない。
 しかしこのフーゴという硝子職人、目が悪いということを指摘してどうしようというのか。

「そこで、試して貰いたいのがこれです」

 カチリと小気味の良い音がして金具が外れる。
 鞄の中を覗き込み、ロンバウトは息を飲んだ。

「これは、レンズか。全部」

 箱の中は柔からそうな布で区切られ、おびただしい数のレンズが整然と並べられていた。
 盗品だろうか。
 質の高いレンズは聖王国でしか研磨できない。これだけの数のレンズが正規の取引で帝国に入って来ているなら、ビッセリンクにもそれとなく話が伝わってもよさそうな数だ。

 この純朴そうなフーゴが窃盗犯とは思い難いが、知り合いから盗品を売りつけられて困っているのかもしれない。
 フーゴはレンズを二つ取り出すと丁寧な手つきで金具に嵌め、ロンバウトへ差し出す。

「それを掛けてみてください」
「掛ける? ああ、眼鏡か」

 眼鏡というものの存在は知っているし、ビッセリンクと付き合いのある商人でも掛けているものはいる。だが、どうしても成金趣味という印象が拭えない。
 高価な物だし、目の悪い人間の掛けるものだ。
 しかし物は試しとロンバウトは眼鏡を掛ける。好奇心は大事にしなければならない。
 眼鏡を掛け、閉じていた目を開く。

「うっ」

 視界の変化に思わずまた目を閉じ、もう一度開いた。

「……なんだ?」

 物が、はっきりと見える。
 フーゴの顔も居酒屋の壁も自分の掌も店の客の顔も、全て。品書きの文字が目を凝らさずとも見えるし、何より鮮明だ。
 しかし左右がちぐはぐなのか、見え方がどうもおかしい。

「左右が違って見えるのは、目の悪さがそれぞれ違うからです」

 そう説明しながらフーゴはこれならどうですかと次の眼鏡を差し出す。
 何回かレンズを交換している内に、すっきりと見える組み合わせが見つかった。
 世界が美しい。これは全く、未知の体験だ。
 今までどうして眼鏡に手を出さなかったのか、不思議に思えるほどだった。

「これは素晴らしいな、フーゴ」
「ありがとうございます」

 フーゴが嬉しそうに微笑む。これが売れれば一息つけるという事だろうか。
 これをいくらで売り付けるつもりだろう。盗品だったとしても、欲しい。それだけの値打ちがこの眼鏡にはある。
 だが、フーゴの言葉は予想に反したものだった。

「気に入ってくれて良かったです。それはロンバウトさんに差し上げます」
「差し上げる? 何を言っているんだ?」

 眼鏡だぞ、これは。
 ロンバウトは叫び出しそうになる。商売人として絶対に無視できない言葉だ。この眼鏡なら、人によっては金貨を支払いに使うだろう。

「でもそれ、試作品ですし。ロンバウトさんのように目立つ人が眼鏡を掛けてくれていれば、皆興味を持ってくれると思うんですよ」

 のんびりとそう言い放つフーゴの言葉に、ロンバウトは戦慄した。
 高く売りつけるより、目立つ人間にただで渡して周囲の人間に興味を持たせる。それは確かに有効な方法かもしれない。検討の余地がある。
 ただ、ロンバウトにはどうしても聞いておかねばならないことがある。

「ところでフーゴ、つかぬことを聞くのだが、これはどこで手に入れたものだ?」

 尋ねるとフーゴはきょとんとした表情になった。何を聞いているのか、という顔だ。

「これは私が作ったものです。少しは親方にも手伝って貰いましたけど」
「作った? これはレンズだ。聖王国でしか研磨できない」
「はい、研磨用の研磨皿は聖王国から取り寄せました」

 ロンバウトは自分の手が震えていることに気付いた。
 フーゴの目を見れば分かる。これは嘘ではない。商売人として、信頼できる目だった。
 何が特産品のない田舎街だ。古都の事を完全に見くびっていた。
 眼鏡。
 これがあれば、世界は変わる。眼鏡を、売らねばならない。
 ロンバウトはここ数年で初めて父に感謝した。眼鏡とめぐり合わせてくれたことに。

「分かった、フーゴ。君の言葉を信じよう。だが、私も商人としてただで物を受け取るのは心苦しい。本当ならいくらくらいの値を付けるつもりなのだ?」
「値段は決めてないんですよ。その人が満足してくれたなら、払いたいだけの額を払ってくれればいいかなって」
「そんなことではいけない。絶対にだ」

 ビッセリンク商会の名にかけて、そんな商売を許すことはできない。自分の惚れ込んだ商品は、丁寧かつ大胆に売るべきだ。
 事態のあまりに急な成り行きにベネディクタが驚いているようだが、今のロンバウトを止めることはできない。

「フーゴさん、一緒に商売をしましょう。私が、ビッセリンク商会が、全力であなたを応援します」

 両手でフーゴの手を握り締めるが、フーゴの方もあまり状況を上手く把握できていないようだ。
 助けを求めるように厨房に視線を彷徨わせた後、呟くように言った。

「料理が来てますよ、ロンバウトさん。お話は食事の後に」

 言われて見てみると、丁度料理が運ばれてくるところだ。
 すっかり忘れていたが、ヒヤシチュウカとは何だろうか。胃にもたれるものでなければいいと思いながら皿を見て、ロンバウトはほぅと声を漏らす。
 麺だ。硝子鉢の麺の上に種々の具材が綺麗に盛られている。なんとも涼やかな見た目だ。

 しかし、美しい。
 眼鏡を掛けているお陰で、これまでとは料理が全く違って見える。
 隣席のベネディクタの顔もはっきりしているのでまじまじと見つめていると、何故か赤くなってヒガワリ定食を猛然と食べ始めた。あちらの揚げ物も美味しそうだ。

 仕出し弁当の時と同じく木製のフォークを手に取り、しばし悩む。
 この料理はどう食べるのが正解なのだろうか。混ぜてしまうのが楽なような気もするし、それぞれの具ごとに食べていくのもあるだという気がする。
 ロンバウトは適度に混ぜながら食べるという第三の道を選んだ。

 ちゅるり。
 啜ってみると、少し酸味がある。ザワークラウトよりは柔らかな甘みのある酸味だ。
 これはいい。今まで麺のことは保存食だと莫迦にしていたが、実に食べやすい。
 暑さで食欲がない時にも、これなら食べられるのではないか。具材も多いから、味に飽きるということがない。

 冷えた赤茄子(トマト)もまた、いい仕事をしている。まるで熟れた果実のようだ。
 綺麗に全部平らげて、ロンバウトは一息ついた。

「フーゴさん、まずは百。眼鏡を売りましょう。ベネディクタ」

 何も言わず、ベネディクタが財布を取り出す。それを受け取って、ロンバウトは中身を金貨銀貨の区別なくカウンターに並べた。

「これは手付金です。まずはお納めください」
「え、でも」

 受け取れないとばかりに掌を見せるフーゴの手首を取り、金貨を握らせる。

「お願いします、フーゴさん。この通りだ」
「お、親方と少し話し合っても良いですか?」
「それは勿論」

 視線で合図を送ると、ベネディクタは懐のもう一つの財布から金貨を居酒屋の女給仕に手渡した。

「騒がしくして申し訳ございませんでした。また来ます」

 挨拶をして、ロンバウトは店を出る。フーゴも一緒だ。まだ戸惑っているようだが、これからゆっくりと時間をかけて口説き落とす。それだけの価値のある商売だ。
 しかしヒヤシチュウカは美味かった。
 これからはちょくちょくこの店を使っても良い。

「あ」
「ロンバウト様、どうされましたか?」

 不安げにベネディクタが尋ねる。眼鏡を掛けて見ると、前よりも美しく見える。

「いやな、アスパラガスの秘密を聞くのを忘れていたと思って」

 まぁ、また聞きに来ればいいことだ。
 三人はローレンツの工房へ急ぐ。
 夏はもうそこまで迫っていた。
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