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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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御曹司と仕出し弁当(前篇)

 街道沿いの平野は草の匂いが濃い。夏が近いのだ。
 晩春の麗らかな陽射しに照らされて四頭立ての馬車は古帝国時代からの街道を東へ向けてゆっくりと進んでいく。金のかかった馬車だ。

 凝った装飾の車内で馬車の主、ロンバウト・ビッセリンクが羊皮紙の束を見るともなしに視線を落としていた。帝国北西部商圏最大の商会、ビッセリンク商会の御曹司である。
 気乗りしない表情の原因は、これから向かう街のせいだ。

 古都(アイテーリア)
 古い言葉で<光り輝く場所>などと御大層な名前が付いているが、現状では帝国北部の交通の結節点という以上の値打ちのない街だ。目立った特産品もない。
 ロンバウトの使命は、この街にビッセリンク商会の支社を開くことだった。
 父に命じられた時は思わず反論してしまったほどに、ロンバウトはこの古いだけが取り柄の街に何の魅力も感じていない。資料を読んでも胸躍る記述が何もないのだ。

「お気に召しませんか」

 向かいの席に座ったベネディクタが気遣わしげに尋ねる。豪奢な赤髪を持つこの美女は、ロンバウトが見出した秘書だった。女だてらに読み書きができ、帳簿まで見る。拾い物だった。

「お気に召す要素が何もない。父の意図が分からないよ」

 全ての原因はバッケスホーフという男だ。
 東王国の先代、<英雄王>の飼い犬だという噂もあったこの男は、帝国北部で確固たる商圏を築いていた。古都の市参事会議長の座にまで収まっていたほどだ。
 それがつまらない密輸事件に巻き込まれて失脚した。貯め込んだ身代のほとんどを吐き出さされて投獄までされたという。先日の皇帝の婚姻による特赦が下されたともいうが、そのことにロンバウトは何の関心もない。

 問題は帝国北部のがら空きになった商圏にある。
 バッケスホーフが一人勝ちをしていたために、埋め合わせをする商会もない。そもそも魅力の乏しい市場なのだ。結果として、小さな商会が跋扈する状態に陥っている。

「それはあまりにも可哀想じゃないか」

 ビッセリンク商会総帥であるウィレム・ビッセリンクはこのことを重大な問題として支社長会議で取り上げた。
 商圏の安定は民の生活の向上につながる。その逆もまた然り。
 荒れ果ててしまった帝国北部の市場に秩序を取り戻すべく、古都に新たな支社を設けることが満場一致で決定した。支社長はロンバウト。次期総帥筆頭候補である。

「フィリベールとルネ辺りが父を(そそのか)したんだろうな」

 ビッセリンクの三兄弟の中で長男のロンバウトは孤立していた。
 商才があり過ぎたのだ。それでいて、他人に何かを説明するのはとことん苦手だった。
 思いついたことを思い付いた通りにやれば利潤が出る。そんな兄を弟のフィリベールとルネが煙たがっているのは痛いほどよく分かった。ロンバウトも人の心が分からないではないのだ。

「古都はそんなに詰まらないところですか?」
「ああ、詰まらんね。何もない。硝子職人にローレンツ、鍛冶師にホルガーというのがいるが、それもまぁすこし腕が立つという程度だろう」

 何もないことは父にも説いた。交通の結節点ではあるが、先にあるのは北方三領邦と、さらに東の大公国だけだ。莫大な利益を上げられるド・メス支社からロンバウトを引き抜いてまで充てることの意味は分からない。
 いや、理由はあるのだ。ロンバウトがそれを認めたくないだけだった。

 父ウィレムは、死を見つめ始めている。
 若い頃は猫も鼠も構わず捕ると言われたほどの商人だったが、このところの父の表情は満ち足りたかのように穏やかだ。
 あくどい方法で儲けた金を寄附と喜捨とに費やし、諍いのあった古い友人に詫び状を認める。
 昔の雄姿が嘘のように枯淡の日々を送る父ウィレムにとって、ロンバウトを古都に送ることは善意であり、悪行を尽くした商売への反省と罪滅ぼしなのだろう。

 そのことがロンバウトは気に入らない。
 ロンバウトにとって父は尊敬すべき大商人であると同時に、倒すべき好敵手であった。
 もし同じ時代に生まれていたら、誰構うことなく商才を比べることができたはずなのに、不幸なことにロンバウトはウィレムの息子として生まれてしまったのだ。

 だからこそ許せない。
 人生でも貴重な若い時期を、古都などという北の寂しい片田舎で過ごさねばならないのだ。
 野菜も乏しく芋ばかり食べているという街だ。まともな料理もないだろう。
 自分のことを美食家だとロンバウトは思わない。ただ不味い飯が許せないだけだ。

「今日の顔合わせはどうなっている?」
「はい、<四翼の獅子>亭という宿で市参事会の主だった方々と会談の予定です。当面の投宿も同じ宿です」
「料理はその宿が担当するのか」
「古都で一番の腕だと聞いております」

 古都で一番というのは他の地域ではどの程度の腕前になるのだろう。腕前の問題だけではない。素材が手に入らなければどんな料理人も羽を捥がれた渡り鴨だ。
 ああ、クローヴィンケルが褒め称えるような料理を食べてみたい。最近は彼の詩を読む暇すらないが、子どもの頃はあの詩に歌われる美食に憧れたものだ。
 しかしこれから赴任する古都では望むべくもない。何とも残念なことだ。



「料理が出ない、と?」

 <四翼の獅子>亭の主が頭を下げる姿を見て、ロンバウトは卒倒しそうになった。
 これだから田舎は嫌なのだ。まさか賓客が地元の名士を迎える際に食事の用意一つできないとはどういうことなのか。

「大変申し訳ございません。当店の調理場を預かる司厨長が体調不良だという言って参りまして」
「うぅむ」

 代わりの者を、と言いかけてロンバウトは口を噤んだ。
 はじめて会う相手に間に合わせの料理を出したのではビッセリンクの名が廃る。事前の作を考えねばならないが、この状況では採り得る手段はあまりにも少ない。

「こんなことなら料理人も連れてくるのであったな……」

 今さら歯噛みしても仕方がないが、悔やまれる。いっそのこと食材も馬車を連ねて運んで繰れば良かったのだ。そうすれば大商会の威を示すことができた。
 そこまで考えてロンバウトは頭を振る。
 いやいや、ここで成功するべきではない。古都での支社は適当に失敗して、さっさと中央へ戻った方が良いのではないか。そうすれば後からいくらでも挽回できる。

 そうと決まれば方針変更だ。こんな何もない場所とはおさらばすべく、可能な限りやる気を出さずに失敗するしていこう。
 そんなことを考えていると、料理屋を探させていたベネディクタが息を切らせて戻ってきた。

「ロンバウト様、弁当なら用意できる店があるそうです」
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