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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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鯖定食(前篇)

 乱雑に積み上げられた羊皮紙の束を豪快に脇へ寄せると、間に合わせの食卓が完成した。
 立ち上がるのも億劫だが、ゴドハルトは戸棚から燻製肉と沖鰊の酢漬け、それとチーズ(ケーセ)を取り出して机の上に並べる。
 両の親指で目頭の上を揉むと、それまで霧のように頭を覆っていた眠気が少し晴れたようだ。

「もう朝か」

 腹が減ったから食事の用意をしたが、期せずして朝食になってしまった。
 遅めの夜食のつもりがとんだ計算違いということになる。今食べてしまえば床で眠ることはできない。それでも耐え難いほどの空腹が胃の腑を締め付け続けていた。

 この所、仕事の量が増えている。
 皇帝婚姻による大市は予定外だったが、それがなくてもゴドハルトは常に机に向かっていなければならない状態だ。食事もこうして執務室で摂ることが多くなった。

 原因は色々ある。
 商売の手を広げたということも大きいだろうし、ラインホルトとの協業のこともあった。
 水運ギルドである<水竜の鱗>が今や、商会の真似事のようなこともしているのだ。忙しくならないはずがない。他に懸案事項もあるし、気を抜くことは出来なかった。

 ナイフを持つと、親指の力でチーズを切る。
 一人だけの食事だから、作法は無用だ。燻製肉とチーズを行儀悪く重ねて持ち、口に運ぶ。肉の濃い塩気をチーズがしっかりと受け止め、何とも言えぬ味わいになった。
 本当はここで酒精も入れたいところだが、仕事がまだ残っている。沖鰊の酢漬けで舌をさっぱりさせると、また少し口の中が寂しくなった。また、チーズだ。

 食事の友は詩集だった。
 鍵のかかる抽斗(ひきだし)に仕舞い込んであるクローヴィンケルを引っ張り出すと、栞を挟んだところから楽しむ。
 食べるものの方がこう味気ないのだから、せめて心には馥郁たるものが欲しい。
 とろとろとした獣脂の蝋燭の灯と窓からの春の陽射しで読む美味礼讃の詩はゴドハルトのすさんだ心に染み入るようだ。

 (ページ)を繰りながらの早い朝食を楽しんでいると、いつの間にか燻製肉の最後のひとかけらを食べ終えてしまった。チーズも同様だ。酢漬けは残っているが、これだけは些か寂しい。
 部下に言って同じようなものを見繕ってこさせるのは当然として、わだかまるように残ってしまったこの空腹感は、どう埋めたものだろうか。

「そうだ、昼はあの店へ行こう」


 古都の外れの<馬丁宿>通りは春になると活気が増す。
 冬の間は御無沙汰だった遍歴商人たちが古都を訪れるようになると、この通りを根城にすることになるからだ。大商人の走らせる隊商の馬丁も皆、ここで宿を取る。
 水運ギルドとは水陸の違いはあれど、雰囲気にはどこか似たものがあった。

 肩の触れ合うような混雑の中をゴドハルトは泳ぐように進む。
 この通りに店を構える居酒屋ノブに足繁く通うようになって、もう一年近くになるのではないか。
 ウナギやタコなど、あの店で覚えた味も多い。

「昼はヒガワリ定食だったな」

 多くの客を短時間で相手しなければならない昼の時間に出す料理の種類を絞るのは賢明だ。
 経営者としてのゴドハルトから見れば、それは全く正しい。
 ただ、ノブを愛する常連としては若干の寂しさを感じないわけでもなかった。
 出てくる料理が美味くても、選ぶ楽しみは残しておいて欲しいというものだ。
 それでも、美味い料理が食べられるだけでもありがたい。そんなことを考えながら、ゴドハルトは居酒屋ノブのノレンを潜った。

「いらっしゃいませ!」
「……らっしゃい」

 いつも通りの活気に気圧されそうになりながら、ゴドハルトはちょうど一席空いたカウンターに腰を下す。隣席では肉屋の男が美味そうに定食を食べ終えるところだった。

「シノブちゃん、ヒガワリを一つ!」

 聞かれる前にと注文を告げると、シノブがにっこりと微笑んだ。

「ゴドハルトさん、今日の日替わりは選べるんですよ」
「選べる?」

 言われて見回してみると、周りの客が食べている定食には二種類ある。
 サバのミソニと、
「魚のカラアゲか……」
「はい、鯖の唐揚げです」

 うぅむとゴドハルトの喉奥から知らず唸り声が漏れた。
 サバのミソニとサバのカラアゲ。何とも難しい組み合わせだ。これがワカドリのカラアゲなら、間違いなくサバのミソニを選んでいる。この歳になってみると徹夜明けに肉というのは少し重く感じることもあるのは仕方がない。

 しかし、サバだ。
 サバという魚がどこで獲れるものなのか、ゴドハルトは知らない。興味はあるが、いつも店を出るとすっかり忘れてしまうのだ。
 だがそんなことはどうでもいい。今はミソニかカラアゲか、だ。

「うん、カラアゲにしよう。サバのカラアゲ定食一つ!」
「はい、鯖の唐揚げ定食一つ!」

 注文してしまうと少し手持ち無沙汰になる。夜と違ってオトーシはないし、一杯だけ頼めるというトリアエズナマも頼むわけにはいかない。
 そうなると自然に視線が店内を彷徨う。
 ミソニとカラアゲ、どちらを選んでいる客が多いのか。少しだけ気になってしまう。

「今のところミソニの方が少しだけ優勢かねぇ」

 なにを考えているのか察したのかリオンティーヌが声を掛けてきた。もうすっかり看板娘がいたに付いているが、元は女傭兵だという話だ。それだけに今も身体のこなしや目の配り方にはゴドハルトも時々どきりとさせられる。

「ミソニが人気か」
「晩にも食べられる料理だからね。味を知っている客が多いのだろうさ。カラアゲの方は全くの初の御披露目なだけあって、まだまだ様子見といったところかな」
「そういうものか。しかしどうしてまたヒガワリが選べるように?」
「タイショーも色々と挑戦しているってことじゃないかね」

 ゴドハルトは料理に詳しくはないが、ミソニとカラアゲでは一緒に作ってもあまり効率は良くならないという気がする。どうせならワカドリのカラアゲにでもした方が見た目の幅は分かれそうに思えるのだが。

 そこではたと気が付いた。
 ここで昼食を摂るのは圧倒的に労働者が多い。
 昼休みが明ければ、仕事をしながらの話は昼食のことになるだろう。そうなった時、サバのミソニとワカドリのカラアゲよりも、サバのカラアゲを比べた方が話も盛り上がるのではないか。

 ミソニが美味かった。いやいやお前はカラアゲを食べたことがないだけだ、となれば翌日もまたノブに足を運ぶ。そこではまた別の料理が現れるのだ。
 何とも心憎い仕掛けではないか。

「……なるほどな」
「ゴドハルトさんは何か難しいことを考えて納得したみたいだけど、単にタイショーがサバを仕入れすぎたって言うだけだからな」

 リオンティーヌがそう言うと、タイショーが面目なさげに頭の後ろを掻いた。シノブとエーファが膨れているところを見ると、時々仕入れに失敗するのだろう。
 仲のいい店員のやりとりにゴドハルトの口元も緩む。

「はい、鯖のカラアゲ定食、お待たせいたしました!」
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