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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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月と若竹煮(後篇)

「……奥さま、ですか?」

 思わずしのぶが聞き返してしまうほどに、ブランターノの妻は美しい。

「驚いただろう? 私も結婚を承諾して貰った時には随分と驚いたもんだ」
「承諾して貰ったってのはどういうことだい?」

 他の客の注文を取っていたリオンティーヌが興味深げに口を挟む。

「妻のカルラは我がブランターノ家の家臣の家のでなんだがね。見ての通りだから言い寄る相手が多かったんだが……」
「それを主君の力で無理矢理?」
「おいおいリオンティーヌ。そう言う無粋な真似はせんよ。こう見えてもブランターノ家の男子は名誉というものの意味を知っているからね。正々堂々と競争に加わったのさ」
「競争、ですか?」

 皿を洗う手が止まっている所を見るとエーファも話が気になるらしい。

「そう。競争だ。カルラの指定する宝物を取ってくる、という課題が出たのだ。随分と無理難題を出すもので参加者はみんな慄いたものだ」
「……もう」

 笑顔で昔語りをするブランターノの袖をカルラがそっと引っ張る。頬が薄く染まっている所を見ると満更でもないらしい。
 それにしても、見事な黒髪だ。しのぶが見ても惚れ惚れとする。
 古都を含むこの地域には黒髪の人は珍しい。アルヌの部下であるイーサクはもう少し北の出身だというし、ひょっとすると目の前に座るカルラが初めてかも知れなかった。

「九態の光璧、燕竜の子安貝、月の石に創縁の護符、そして黒い薔薇。それが五人に出された課題だった。どれも手に入らないものの代名詞のようなものだからね。私も半ば諦めていたんだが」
「黒い薔薇、か」

 猪口を口に付けていたイングリドがぽつりと呟く。

「さすがはイングリド。知っていたか」
「噂だけはね。ずっと東の方に咲いているという伝承がある。ロドリーゴの奴が調べた資料の中にあったはずさ」

 存在しているものなら、取り寄せることが可能だろう。ブランターノがそれを手に入れるためにどれだけの金貨を積んだのか、しのぶにはそれが気になった。

「で、いくら積んだんだい?」

 単刀直入に聞いたのは、リオンティーヌだ。こういうところに逡巡するような性格ではない。
 問い掛けに、ブランターノはにやりと笑うとカルラの手を優しく握った。

「取りに行ったのさ。自分でね」

 その言葉にはさすがに皆、目を瞠る。

「大変な旅だった。あっちへ行くと貴族だ男爵だなんてことは何の役にも立たないからね」

 ハンスが相槌でも打つかように頷く。遍歴職人のローレンツの息子だから、色々なところへ旅しているのだろう。

「結局、五人の中で宝物を見つけて来たのは私だけだった。それでも旅から帰る時は心配だったよ。他の奴に先を越されていないかという心配もあったし、持って帰っても結婚を承諾してくれないのではないかという危惧もあった」

 遠い目をするブランターノの声音はいつもよりも優しく、若々しい。
 最初は驚いたが、慣れてみると睦まじい良い夫婦のようだ。

「さぁ、料理の仕度ができました」

 信之が最初に出したのは若竹煮だ。追い鰹の香りが店内に優しく拡がる。

「ほぅ、これがあの緑筒の」

 両掌を擦り合わせながら、ブランターノは上機嫌だ。イングリドとカミラも筍を筍として見るのははじめてだからか、期待に満ちた表情をしている。
 ただ、ブランターノの妻のカルラだけは少し違った表情を浮かべていた。どちらかと言えば、懐かしげにも見える。

「では頂くとしようかな」

 ブランターノが若竹煮に箸を付けた。一口噛んで、目を見開く。

「この歯応えは素晴らしいな」

 イングリドとカミラもそれに続いて、筍を頬張る。

「ほぉ」
「へぇ」

 驚きの声を上げる二人の横で、カルラだけは優婉とした所作で若竹煮を味わっていた。
 のぶに来るのは初めての筈だが、箸捌きも美しい。

「クローヴィンケルも無理矢理連れてくれば良かったな」

 嘆息するようにこぼすブランターノの皿からはもう若竹煮が無くなっている。

「お口に合いましたか?」
「合った。合ったとも。しかしこれほど美味い物が自分の領地に植わっているのにこれまで食べて来なかったというのは、美食家として不明の限りだな」
「地上に頭が出てしまうと固くなり過ぎてしまうので、まだ地面の中にいる時に掘り返さないといけないんです」

 しのぶがそう言うと、ブランターノはさもあらんと目を閉じて頷いた。

「そうだ。それでこそだな。美味いもの美しいものは手に入れるのに苦労があるものだ」

 続いて信之が出したのは、筍の天ぷらだ。

「これは塩で召し上がって下さい」
「テンプラか。これも美味そうだな」

 しゃくり。
 しゃくり、しゃくり。
 四者四様に天ぷらに箸を伸ばすが、口に含んだ後の表情は皆、同じだ。
 歯応えの良さにうっとりと溜息を漏らす。

「カミラ、明日からはタケノコも必ず取って来るんだよ」
「はい!」
「ノブに引き渡す分とは別に、うちの分もね」

 分かりました、とカミラが微笑む。後で採るコツと下拵えを伝授しなければならない。

「そしてこれが筍ご飯です」

 ふんわりと温かい湯気と共に、筍ご飯が配膳される。木の芽のお吸い物も一緒にだ。
 ゆきつなでも信之の筍料理は絶品だった。
 四人とももう、感想を言うよりも口を動かすことに専念している。
 周りに座る他の客も、筍ご飯の注文を始めた。

「カルラ、美味しいかい?」
「ええ、とっても……」

 幸せそうに頷くカルラが、そっとお代わりを注文する。茶碗一杯では足りなかったのだろう。少し多めに信之がよそうと、柔らかく微笑みを返した。
 その口元にお弁当が付いているのを、ブランターノがそっと耳打ちすると、カルラの頬が真っ赤に染まる。


 夫妻の仲の良さに胸いっぱいになりながら一日の営業は終わった。
 暖簾を仕舞うために外に出ると、まだ双月は天に大きく輝いている。
 下駄の音が聞こえて、しのぶの後ろに信之が立った。同じように月を見上げているようだが、腕を組んで何か考え事をしている。

「どうしたの、大将?」
「いやね、竹と、月と、絶世の美女っていう組み合わせが気になってさ」

 まさか、と声を上げるしのぶと信之を、二つの月が優しく照らしていた。
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