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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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日替わり(前篇)

「シノブちゃん、こっちにヒガワリ定食!」
「この席にも同じもの二つ!」
「はい、畏まりました!」

 古都の昼、書き入れ時に威勢の良い注文が飛び交う。
 陽はまだ中天高く輝いているが、今日のノブはもうノレンを掲げていた。
 大市の続くことは春の陽気と穏やかな天候もあって、活気が満ち溢れているが、ハンスの勤めるここ居酒屋ノブも例外ではない。
 満席の店内は昼休みの荷運び人夫や職人、商人でごった返している。活気溢れる店内で注文を取るシノブとリオンティーヌも忙しそうだ。

「しかしノブが昼から開いてるって言うのは嬉しいね」
「全くだ。明日もやってるらしいから、仲間も連れて来てやるかね」

 嬉しそうにワカドリのタツタアゲを頬張る客たちの会話を聞いていると、厨房で盛り付けをしているハンスもなんだか嬉しくなる。

 昼の営業も始めようと言い出したのは、リオンティーヌだった。
 元女傭兵だが、色々あって今では居酒屋ノブの看板娘の一人に収まっている。

「せっかくのノブの料理を、昼にも食べられたら素敵じゃないか」

 居酒屋ノブの評判は古都の食通の間でも上々だ。ただ、店がそれほど広くないので食べたいときに食べられるというわけでもない。
 料理人見習いであるハンスの耳にも、なかなかノブの料理にありつけないという知り合いの怨嗟の声が届いている。
 美味い酒と美味い肴がどれだけノブにあったとしても、食べられなければ意味がない。

 店を広げられないとなれば、営業時間を増やすというのは一つの手だ。
 タイショーにシノブ、エーファとリオンティーヌ、それとハンスという今の人数なら、昼の営業をしても何とかなるだろうという手応えはあった。

 目標は、なるべく多くのお客さんに食事を味わってもらうこと。
 昼の品書きは定食と単品料理をいくつかに絞って、料理を出す時間を短縮することにした。
 お酒はどんな場合も一人一杯まで。
 エトヴィン助祭辺りは文句を言いそうな決まりだが、飲みたいお客さんには夜の本営業でゆっくりと飲んでもらいたい。

 ちょうど良い具合に皇帝皇妃両陛下の婚姻を祝う大市も開かれている。始めるなら今しかないということで、今日が昼営業の初日となった。
 おっかなびっくりはじめたことだが、今のところは大成功だ。
 揚げても揚げてもタツタアゲは飛ぶように売れていく。

 ハンスも試食してみたが、今日のタツタアゲは美味い。
 さくり。
 さくり。
 さくり。
 しっかり揚がったワカドリの胸肉に、とろりと甘酢の餡が掛かっている。食慾をそそる甘酸っぱい味は疲れた身体でもフォークが止まらない。
 自分の賄い用にハンスが二枚揚げたはずのタツタアゲが一枚になってしまったのは、シノブとエーファ、リオンティーヌがつまみ食いしてしまったからだ。

 定食にはパン(ブロート)米飯(ライス)が付いてくる。
 タツタアゲには米飯の方が合うというのがシノブの言い分だった。ハンスはどちらでも美味しいと思うのだが、リオンティーヌはパン派だ。
 エーファはどっちも美味しいと言っていたが、パンを半分に割ってタツタアゲサンドイッチを発明してからはあっさりパン派に転向した。
 タイショーはもちろんこういう無意味な争いには加わらない。賢明だとハンスも思う。
 お客の中にはパンをおかずと先に食べてしまって、タツタアゲを肴に一杯飲む人も少なくない。

「親方、まだ陽が高いですよ」
「いいじゃねぇかフーゴ。一杯だけだ、一杯だけ。それと工房の外では親方と呼ぶんじゃない」
「はいはい、父さん」

 ハンスの父親のローレンツと兄のフーゴも早速ヒガワリ定食に舌鼓を打っている。
 少し前は昼ごはんを食べに歩く暇もなく特別製のレンズを研磨する作業に勤しんでいた。ただ、最近はそうでもないらしい。
 フーゴの磨くレンズは確かに優れている。優れてはいても、誰もが使うものでもない。その上、手間暇が掛かっているのでとんでもなく高価でもある。
 天文学に通じた司祭のトマスが知り合いに紹介してくれているようだが、次々と注文が舞い込むという状況には到っていない。値段の張る買い物を実物も見ずに決断できるほどに懐に余裕のある天文学研究者というのはそれほど多くないということか。
 むしろ今回の春の大市で売るガラス食器の注文の方が多いということで、元の生活に戻ったということのようだ。

 ぐびりぐびりと一杯だけのトリアエズナマを名残惜しそうに飲み干し、ローレンツはフーゴを連れて店を出た。残酷なようだが決まりは決まりだ。どんなことがあっても、酒は一人一杯だけ。
親子の情に流されて例外を作るわけにもいかない。
 それに、この分ならローレンツは夜もまた顔を出すつもりだろう。

 定食の脇を固めるおかずも凝っている。
 今日は汁物と、小鉢が二つ。小鉢の一つはハンスの考えた一品だ。
 ハンスが考えたのは、ミソと雪割芽(はるまちめ)の和え物だった。昨日の晩ウニを注文したマルコという客が面白い食べ方をしていたのを覚えていたのだ。
 仕入れ値の高いウニは数が用意できないのでハンスは代わりの食材にミソを使ってみたが、これがなかなか良い出来だった。
 雪割芽の苦味がまろやかになり、柔らかい味になっている。口に含むと鼻腔を抜ける風味は春の山菜ならではのものだ。

 どちらかと言えばレーシュの酒肴といった味わいだから、晩のオトーシにも使ってもらえることになった。ペリメニに続いて採用第二段だ。
 ここのところエトヴィン助祭の熱心な布教でレーシュ党も増えてきている。レーシュに合う肴を考え付けたことが少し嬉しい。

 エーファは早速は友達で薬師見習いのカミラに連絡して、雪割芽を多めに摘んで来てもらうように頼んでいた。春は薬草採りの時期だから、ついでに採って来てくれるらしい。謝礼の額も抜け目なく交渉して、双方納得する額が決まったようだ。
 ときどき大失敗するタイショーよりも、仕入れについてはタイショーよりもエーファの方が余程しっかりしている。

 もう一品は、豆の煮物だ。
 ウニ好きのマルコが昨日の晩、古都を発つ前にと持ってきてくれた豆を使っている。

 この豆が、問題だった。
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