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1;黄昏の橋で(2)
 彼は黙って空を眺めている。 明らかにこちらを意識して女は話している。 だが、その唐突な馴れ馴れしさが彼を警戒させた。
 彼は再びタバコを取り出すと深々と吸い、女が僅かに視線を横にずらし、彼を視野に入れたのを確認すると、意識を集中して精神を分裂させた。

 人によっては魂と呼ぶ、もうひとつの彼の意識。 否、元の身体に残る精神は周囲を警戒し、生命維持と単純な行動 ―― たとえば今、彼がしているタバコを吸う、と言う様な ―― しか出来ないから、本当の意味での彼の意識は、今、身体を離れた方と言える。

 その精神は彼女の後ろへと回り、橋の外・川の上空から欄干を越えて、彼女の背中から彼女の中に入り込む。 やがて見えてくる彼女の視界、更に彼女の精神こころの奥へと潜って行くと光景は消えて・・・言葉、知識、印象、夢、様々な場面がモザイク状に現れて・・・記憶へ辿り着く。

 その『扉』を開けると真先に飛び込んで来たのは、怨嗟と悲哀の情。 同期現象で思わず痛みを覚えた彼は、少し警戒の度を高め、更に先へと・・・20年では積もるはずの無い記憶の渦と戦争の記憶、これは・・・

― 『リバーサー』か!

当然予測出来る事だった。 官庁の『黒服』は18,9の歳で着られるものではない。 国家公務員でも高卒程度の三級オペレーター(事務職)は青味の強い藍色の制服、彼女が着ているのは一級オペレーター(事務職および専門職)のものだった。 少なくとも大卒、22,3歳、否、1年間の研修期間中は襟に白い縁取り、俗称『初心者マーク』が付けられているので、若く見積もっても24歳となる。

 見かけは同い年位、実際は60代の彼女。 『リバース』したのが40前後ならそうなる。

 9000人に1人の割合の現象だという。 病気ではなく、有史以前からあったと思われる『現象』だった。
 ある日、不惑よんじゅう前後の男女が昏睡する。 目覚めるまで短くて1日、長い場合2,3年掛る。 そして昏睡状態の人間は髪の毛が元の色に拘わらず蒼く変色して行き、目覚めた時、完全に蒼い髪となっているのが見かけ上の特徴だ。 無論、そのままにして置く人間は少なく染髪するのが普通だが、戦前はそれもご法度だった。
 髪の変色だけではない。 この目覚めた瞬間から、その人間は歳が逆行する。 つまり歳を取る代わりに年が若くなって行くのだ。

 故に日本語で『幻歳』と呼ぶ。 REVERSEは英語だが、そうなった人間を示すリバーサーという言葉は和製英語で、英語では何故か再生産を意味するREPRODUCTION PEOPLEと呼び、スラングはストレートにBLUE HAIR。

 年々若返り、実際の還暦では20代から10代となるリバーサーたち。 その1人が彼女だった。

 しかし、彼女の記憶には彼をして、その先へ進むのを躊躇わせる何かがあった。 それは実体の彼の肌が粟立つほどおぞましい何かで、彼がそれに触れると大蛇か何かを触ったかの様なイヤな感じを全身に覚え、慌てた様に彼女から飛び出した。

 機械的にタバコを吸っていた意識に離れていた意識が重なると、思わず深い溜息が洩れる。 額に浮かんだままになっていた汗を無造作に拭う仕草に彼女が声を掛ける。

「今晩は。 夕焼けはお好き?」

 彼はタバコを川に投げ捨てると、

「好きですね。」

「そう。 軍人さん?」

「の様なものです。」

 クスッと彼女が笑う。

「の、ような、もの?」

 からかう様な声色はややハスキーで、このひとの奔放さを示している様に見える。 しかし、この屈託の無さの下に先程の深淵が横たわっている。

「『兵器』の調整をやっています。」

「ああ、技術屋さんね。」

 それとも違うが訂正する必要はない。

「お姉さんは?」

「え?お姉さん?」

 彼女は小首を傾げると、

「貴方と同じ位だと思うけれど・・・貴方、19? ハタチ?」

「19です。」

「じゃあ同じ様なものじゃない、ハタチよ。」

 なるほど自分はリバーサー、と認めなかった。 まあ、認める方が珍しい。 リバーサーは国家の『所有物』と言われる。 救済法という皮肉な名称の法律により、リバーサーは家族と引き離され仕事を失い、国に収監され新たな人生を歩む。 それにしても、彼女は一人でいる様子だ。 監視や護衛の気配はない、これは珍しい。 余程信頼されているか、それとも・・・

「名前はなんていうの?」

「・・・ハヤト。」

「それ、下の名前でしょう? 面白い人ね、普通苗字を言うのに。」

「シンカイ・ハヤト。」

 ニッコリと彼女が笑む。

「私はシノダ・エイコ。」
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