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一寸の虫にも5分の魂
作:ダストブランチ


― 人というのは、‘神’によって試練を与えられ、
  その試練によって人は自分が他の動物と同じだと悟る。
  そう、人の運命は他の動物と同じ、
  どちらも同じ運命にある。
  人が死ぬように、動物も死ぬ。
  人も動物も息があり、人も動物も心がある。

  それゆえ、人が動物よりも遥かに優れていて有利な立場にあるわけではない。
  何より人や動物の成す事などみんな、空しい。

  結局、すべては同じ場所へ行く。
  この地上に生きる物すべては塵から生まれ、そのすべてがまた塵に戻る。
  なのに一体、誰が、一度も死んだことのない者がどうして人の魂は天に昇り、
  動物の魂は地へと下るなどと知ろうか?

  だから、わたしは悟った。
  人にとって自分に与えられた使命を、その人生を喜び、
  それを楽しむことこそ幸せなものはないと。
  なぜなら、それが人の運命なのだから。
  人はただ、自分に与えられた人生を、
 ‘神’から自分にだけ与えられた使命に励み、
  それを楽しみ、そして家族や友人と愛し合って幸せになる為だけに生まれてきた。
  それ以外の運命など一体、誰が知りえようか?
  どうやって人が自分の未来を予測できようか?
  まして、自分が死んだ後の事など誰にも分かるはずはない。
                 
                   (『伝道の書』第3章18―22より)


      

      ************



「一寸の虫にも5分の魂」ということわざをご存知だろうか?

どんな小さな生き物でも心があり、それを馬鹿にして見下していると
自分がそのしっぺ返しを食らうこともある、という古くからの戒めである。


確かに、人が自分以外の他人や動物を差別するのは「自分が(相手より)強いのだ」とか
「自分は優れている」といった“優越感”からそうする。
しかし、実際のところ、人間が人以外の動物に立ち向かっていつも勝てるのか、と言うと、
案外、人間というのは弱い生き物だ。


例えば、最近、巷で出没するセアカゴケ蜘蛛。
ご存じない方もいらっしゃるかもしれないが、
オーストラリア、ニュージーランド、インドなどに生息する毒グモである。
これが数年前から荷揚げの多い全国各地の都市部の港から日本に侵入し、
建物の隅や側溝、ベンチなどの隙間に生息するようになった。
ただし、毒グモと言ってもこのセアカゴケ蜘蛛は何かに驚くと死んだ振りをするぐらいおとなしく、
こちら(人間)が攻撃しない限り、咬まれる心配は無い。
だが、中には命知らずの人間もいる。
そのおとなしさにつけこんで攻撃をしかけ、これにちょっと咬まれただけで、
その数時間後にはめまいや吐き気、呼吸困難、けいれん、激痛などに苦しむことになる。
まぁ、健康な大人ならめったに死ぬ事はないらしいが
体長15mm程度の虫でも1mを越す人間に死ぬような苦しみを与える事は十分、可能だ。


だが、このセアカゴケ蜘蛛よりもっと小さくても人間を死なす事が一瞬でできる生物もいる。


中世の頃、イギリスのオックスフォードで何と数百人もの僧侶や学者が一晩のうちに死亡するという怪事件があった。
文献によると、彼らはその頃、ヨーロッパで流行っていた魔女狩りにかこつけて貧しい人や障害者などにあらぬ罪を着せ、
彼らを拷問したり、処刑して解剖や人体実験などを行っていた。
そんなある日、思いがけない事故で赤ん坊を死なせてしまった母親が子殺しの罪で役所に訴えられた。もちろん、彼女に罪はない。
だが、格好の実験対象者が現れたことで浮き足立つ僧侶や学者達に促され、あいまいな憶測を口にする目撃者の証言により彼女はとうとう有罪にされてしまった。

そして、彼女の絞首刑はその日のうちに執行された。
この時代、処刑は一般人にも公開されるため、彼女を哀れに思う友人や隣人達も彼女の死を見守りに処刑場にやってきていた。
実はこの頃の絞首刑は今とは違い、荷台や踏み台などに上がってそれほど高くない場所から首を吊るされ、荷台や踏み台をはずして気道を塞ぐことにより死に至らしめる。
そのため、受刑者は即死することはなく窒息死するまで数分間から場合によっては数十分間、もがき苦しむことになる。
それゆえ、彼女に哀れみを感じる者ほど吊るされた彼女の足を強く引っ張って早く死なせてやろうとした。
そうして、ようやく彼女の処刑が終わり、遺体を別の場所に移した僧侶や学者は早速、彼女の死体を調べようとしたが、
何と彼女はまだ、死んでいなかったのである。
どうやら失神していただけだったらしく吊るされた場所から下ろされてしばらくすると、再び息を吹き返した。

こうなると、僧侶や学者達は彼女の罪を二度、問うことはできない。

何せ一度は処刑し、彼女の死を公に認めてしまったからだ。
そのため、彼女は奇跡的に無罪放免となった。
だが、その日の晩、不思議な事が起きた。
彼女を子殺しの魔女だと糾弾した僧侶や学者達がなぜか一晩のうちに次々と倒れ、翌朝にはみんな死んでしまったのだ。
これには当然、誰もが気味悪がってオックスフォードの呪いとして現代にまで語り継がれることとなったのだが、
実は最近、この伝説に基づいて疑わしい場所を掘ったところ実際に死んだ僧侶や学者達の骨が出てきた。
そして、その骨を調べてみると彼らの死はどうやら呪いではなくて微生物による感染症だということが分かった。
つまり、人間の目には見えない微生物がある晩、突然、増殖して彼ら数百人を一瞬にして殺してしまったのである。
しかし、不思議なのはなぜ微生物がこの晩に発生したのかということと、
なぜ僧侶や学者達に寄生したのかということだ。

もちろんこの偶然というのは科学の知恵でも、人の力でも操作できるものではない。

なぜなら、人は偶然に生まれ、偶然に死ぬ。
考えてみれば、人の人生にはこの“偶然”というものが数多くある。
偶然、ある土地(国)のとある両親の下に生まれ、偶然、友人達や恋人に出会い、
偶然、職(使命)を得、偶然、家族を増やすこととなり、
そしてある日、偶然、死ぬことになる。

だが、その偶然がこのオックスフォードの呪いでは不思議にも権力者達から不当に差別されて魔女狩りの標的にされてきた弱い立場の人々を救うこととなった。
そして、この偶然の使命を担っていたのは何と普段は誰の目にも映らない、誰からも認められることのない小さな小さな微生物だったのである。



      ************



だから、このように人は強いように見えてその実、とても弱く愚かしい生き物である。
そして逆に人間以外の動物は弱いように見えてその実、とても強くて賢い。

例えば、人や動物も草を食べれば、肉も食べる。
この地球上の生物はみんな、何かの命をもらって生き繋いでいる。
だが、それは自然界の掟、つまり天と地の摂理を守っているから
‘神’により生(命)を与えられるのである。


アフリカのある奥地にたった一つしか池がない地域がある。
しかも、その池は浅くて水が少ないため人が生活するには到底、足りず
人間はもちろんその地域には住んでいない。
だから、そこは動物だけの水飲み場となっている。
だが、それでも池の水は多くないので
自然と彼らは飲む時間と順序を決めている。
最初に来るのは鳥、次に来るのは猿やシマウマなどの小動物、その次がライオン、
そして最後はカバが水を飲みにやってくる。
この時、彼らは必ず順番を守っていて、水を飲んでいる最中、ライオンのような肉食獣が小動物を襲うことは無い。
草食動物、肉食獣、どちらも水飲み場では紳士・淑女的(?)に振る舞うが、
それが終わって狩りの時間になるとどちらも容赦はない。

そうやって彼ら動物は自然と秩序を保っている。
つまり、彼らは“平和に長く生きる智恵”というものがきちんと身についているのである。

だが、人にはその智恵がない。
人はその秩序を、平和を自らの我欲によって壊し、その秩序を、平和を侮る。
生(命)を繋いでもらっている身でありながらその身を忘れ、
その生(命)の上にあぐらを掻く。
そして生(命)はいつでも自分の手に入ると勘違いし、時にはそれをもてあそぶ。

だが、人は自分が生まれる時を知らなければ、死ぬ時も知らない。
それはただ‘神’のみぞ知り、‘神’のみぞその“時”を定めている。
だから、人が生(命)のすべてを操ることなど決してできない。
しかし、それでも人は生(命)を操れるものと固く信じ込んでいる。
そして、自らの生を支えてくれている生(命)を見下し、ぞんざいに扱い、
それを使い果たし、そして自らの過ちによって自らの生を汚し、傷つけていく。
そうとも知らずに・・・。
そうとも考えずに・・・。



― だから、わたしは心に思った。
 ‘神’は必ず裁きを行う、
  心善き者にも、心悪しき者にも。
  なぜなら、すべての行いには時がある。
  すべての生(命)に‘神’は時を定めていらっしゃるのだ。
  
  生まれる時、死ぬ時。
  植える時、引き抜く時。
  殺す時、癒す時、
  壊す時、築く時、
  泣く時、笑う時。
  求める時、あきらめる時。
  保つ時、捨てる時。
  黙っている時、話す時。
  愛する時、憎む時。
  戦争の時、そして平和を求める時。

  この天の下ではすべてに時があり、すべての行いに時節がある。
 
                  (『伝道の書』第3章1―8、17-18より)














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