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『笹ヶ瀬 衛』   【大野木 ココ】
 学校休んだのって久しぶりだな。
 横になって、そよ風に揺れるカーテンを眺めながら、ぼんやりそんなことを思う。
 あのあと、眼を覚ましたら保健室にいた。先生が言うにはささめ姉さんが私、氷垣先輩が笹ヶ瀬さんを背負って、保健室まで運んで来てくれたらしい。ささめ姉さんには帰ってその日に言えたけど、氷垣先輩にも明日お礼を言わなくちゃ。でも、どうしてあそこにあの二人が?
 枕元の目覚ましを確認、すぐ枕に突っ伏す。いつもなら下校中か、教室で笹ヶ瀬さんや鏡花さんとおしゃべりしている時間だった。
 ──そう、笹ヶ瀬衛さん。
 本当は学校に行きたかった。笹ヶ瀬さんの無事をこの眼で見ておきたかった。昨日は結局二人とも親を呼ばれて、笹ヶ瀬さんは眠ったままお父さんに担がれて帰ってしまったから、話す暇もなかった。
 身体はどこも痛くなかったけど、まこ姉さんには今日一日家で安静にしているようにと言われた。こういうときのまこ姉さんには逆らうだけ無駄だし、実際すごく疲れてたから、素直に甘えることにした。
 左腕を天井に向けて伸ばす。手首を回してみたり、グーパーを繰り返してみたり。うん、いつも通り、動いてる。確かに、千切れてしまったはずなのに。
 と、ドアをノックする音がした。まこ姉さんかな? いいよと返事をすると、ひょっこり顔を覗かせたのは、
「や、やっほー」
 笹ヶ瀬さんだった。どこか居心地の悪そうな笑みを浮かべている。
「さ、笹ヶ瀬さん?」
 起きて、掛け布団を胸まで引き上げた。パジャマ姿を見られるのは恥ずかしかったから。
「ど、どうしたの?」
「今さ。入っても平気?」
 うんっ、と無駄に力強く頷いてしまう。
「あはは。そいじゃあ、おジャマしますよっと」
 入って来た笹ヶ瀬さんはセーラー服姿だった。 
「学校、行ってたんだ」
「うん。別にどっか怪我したとか、そういうのなかったし。ユッキーは──ってどっか悪いから休んだんだよね」
 ゴメンねと謝る笹ヶ瀬さんには、いつもの元気というか遠慮のなさがない。
「う、ううん。私も特別どこかが悪いとか、そういうのはないんだ。ただ、やっぱり学校で倒れちゃったってことに変わりはないから。今日はお休みしなさいって」
「イイお義母(かあ)さんだねぇ。優しいし美人だしウチのとはホント大違い。あっ、そだそだ」
 笹ヶ瀬さんが鞄からクリアファイルを出した。中から数枚プリントを抜いて、ひらひら振って見せる。
「これ、今日の分のプリント。机の上置いとくね」
 それが机の上に置かれるのは、私がありがとうって言うより早かった。
 腕を組んだ笹ヶ瀬さんが、ふぅむと唸る。
「キレーだよね」
「何が?」
「机の上」
「モノが少ないだけだよ」
「キレーはキレーじゃん。私の何かとはダンチだよ」
 おどけたように笑って、ヒナちゃんのベッドに腰掛ける笹ヶ瀬さん。鞄を床に置いて、うーんと伸びをした直後、まるでお尻を針で刺されたみたく腰を上げて、
「あっ、今すっごくナチュラルに座っちゃったんだけど大丈夫?」
 と、ベッドを指差し尋ねてくる。
 私は、自分のベッドをぽふぽふと叩いた。
「そっちでも別にいいけど、こっちに座ってくれた方がお話はしやすいかな?」
「そっか」
 笹ヶ瀬さんが、さっきよりそっと腰を下ろした。ぎしりとベッドが軋んだ。
 そこで──ようやく自分で口にした「お話」という単語が引っかかる。そうだ。笹ヶ瀬さんは家に何をしに来たんだろう? プリントだけなら、玄関でまこ姉さんに渡せば済むのに。
「ねぇ、ユッキー」
 ベッドに手を付いて、身を乗り出してくる笹ヶ瀬さん。
「何?」
「昨日の昼休みのこと、ゴメンね」
 それは──あまりにも唐突で。
「何で──」
 笹ヶ瀬さんが謝るの? 
「何でって、そりゃああたしが悪いと思ったからだよ。ホントは氷垣先輩に最初に謝っとくべきなんだろうけど、ユッキーにもイヤな思いさせちゃったから」
 だからゴメン、と笹ヶ瀬さんが頭を下げた。
「でも、イヤな思いをさせたって言うんなら私だって同じだよ? 私、笹ヶ瀬さんが信じてるモノを、好きで好きで仕方がないモノを、あんな風に否定したんだもの」
 だから、謝るのは私の方なんだ。批判されるべきは、責められるべきは、私の方なんだ。
 笹ヶ瀬さんが、むっとしたように眉を(しか)めた。
「じゃあ、ユッキーはあのとき自分が言ったこと、間違いだと思ってるの?」
「そうじゃないよ。あのとき私が言ったこと、間違ってないってそう思ってるよ。思ってるけど──」
「けど?」
「例え正しくても、笹ヶ瀬さんに対する思いやりには欠けてた……と思う」
 小動物のような眼が見開く。続いて呆れたような溜息。
 何だか怖い反応に、目を伏せてしまう。
 不意に、笹ヶ瀬さんの両手が伸びてきて──頬を抓られた。
「にゃ! にゃにひゅん……」
「あのねぇ、ユッキー」
 笹ヶ瀬さんは、私の眼を真っ直ぐ見て続ける。
「ユッキーにとっちゃ、あたしはKYだし、のーたりんだし、頼りない娘かもしれない。っていうか実際そうだよ。色々足りてないから、単細胞で無神経だから、今回みたいに二人を傷付けた。でもね、全部言葉で言われなきゃわかんない程、あたしだっておバカじゃない」
 ──ああ、そうか。
「だから、ユッキーがあれを悪気があって言ったんじゃないって、自分が正しいと思ったから、私や氷垣先輩への優しさからあれを言ったんだってことくらい、いちいち言われなくたってあたしちゃんとわかってる」
 私、こんなにも悩んだり、考え込んだりしてる人間は、世界に私だけだと思ってたんだ。
「だから、ユッキーがあたしに謝ることなんてない」
 こんなにも、近くにいたのに。傍にいたのに。

 私は、なんてちっぽけな世界を生きていたのだろう。

 頬から離れた手が、プリーツスカートをぎゅっと握り締めた。
「何か──エラそうなこと言ったかも」
 笹ヶ瀬さんが上目遣いにこっちを見てくる。
 そんなことないと言って、かぶりを振った。
「笹ヶ瀬さん」
「まだ謝り足んない?」
 違うよと返して、微笑む。頬にはまだ抓られていた熱が残ってる。
「ありがとう。笹ヶ瀬さん」
 それは、心からのお礼だった。

「ねぇ、笹ヶ瀬さん」
「うん?」
 笹ヶ瀬さんの眼は、ぶらぶらと前後に揺れる自分の爪先を見ている。
「またやっちゃたな──って何のこと?」
 それは、昼休み笹ヶ瀬さんが残した自嘲めいた呟き。
 不意に、部屋が暗くなった。窓から射し込んでいる陽が急に薄れてしまった。
 笹ヶ瀬さんの脚が止まった。
「言わなきゃ……ダメ?」 
 返って来た固い声に、私は慌てて手を振った。
「うっ、ううん。そんなことない。ただ、その、さっきので笹ヶ瀬さんと前より距離が近付いたかなぁって、そんな気がして、ちょっと調子に乗っちゃったっていうか──」
 ごめんなさいと言って、頭を下げる。困ったように笑う気配がした。
「あー……なんつーんだろーねー」
 膝を抱え、天井を見詰めながら笹ヶ瀬さんは続けてくれる。
「二度目、なんだよね」
「二度目?」
「うん、二度目。あたしが自分の好きなコトのせいで友だちといや~なムードになっちゃったこと。一回目は小学生のときだったんだ」
 笹ヶ瀬さんは、そこから目を離そうとしない。
「笹ヶ瀬さんって、確か悠朝小の子じゃないよね」
「うん。あたしは奈々(ななはら)の子だよ。そのまま向こうの中学上がっても良かったんだけど、知り合い多いしなーんか居辛くてね。親に駄々捏ねまくって、結局悠朝中(こっち)来ちゃった」
 知り合いが多いと居辛くて?
「何か──あったの?」
 笹ヶ瀬さんが、脚を下ろした。ツーテールの先をいじりながら静かに笑った。

「あたしね。小学生の頃、霊能少女だったんだよ」
 
 霊能少女……?
 私の驚いた顔が面白かったのか、笹ヶ瀬さんは笑ってかぶりを振った。
「あはは。ホントにそうだったわけないじゃん。そういう設定があたしの中であっただけ。ホンモノの幽霊なんて、あたしにはちっとも視えてなかった。でも、髪の毛とか呪い人形みたく伸ばして、ぼそぼそ喋ったりとか手首に数珠巻いたりでそれっぽく飾ってさ、ウチの学校の屋上にはむかーし飛び降り自殺した女の子のユーレイが出るの。だから近付いちゃダメよ、ヘタしたら取り憑かれて向こう側に連れてかれちゃうよ、とかそーゆー警告を友だち連中にしたりしてたわけ」
「──どうして、そんなこと」
「必要だったからだよ。あたしにはどうしても、ね。周りは皆あたしなんかよりすっごいモノをいっぱい持ってた。キラキラ光るモノ、たくさんたくさん持ってた。だから、大して勉強も運動もできない、なーんの取り柄もないあたしはいつだっておいてけぼりだった。そんなあたしが皆の隣に並ぶためには、どうしても〈特別〉が必要だったの」
「それが──」
 霊能少女を偽ってきた、偽らなければならなかった理由。
「最初のうちは結構ウケ良かったんだ。小学校高学年って学校の怪談とか都市伝説とか、そーゆー怖いの流行る時期じゃん? だからそれっぽい雰囲気出して、それっぽいこと言ってれば結構皆ちやほやしてくれたんだよね」
 でも──と、声のトーンが落ちた。
「ある日、バレちゃったんだ。あたしが嘘吐きだって。クラスの中で一人、不正は何であろうと許しません! みたいなノリの委員長──じゃあなかったんだけど、委員長タイプの真面目っ娘がいてさ。その娘に面と向かって、皆の前で言われたんだよ。ウチの屋上で自殺した生徒なんていやしないって。だから幽霊なんて出るわけないって」
「それで、バレたから──いじめられた?」
 笹ヶ瀬さんが、寂しそうに眼を細めた。
「だったら、まだ良かったのかもねぇ。皆から無視(シカト)されるようになったのは──あたしじゃなくて、その真面目ちゃんのほう」
「え?」
「何でだと思う? ──空気読めてなかったからだってさ」
 霊能少女を自称する笹ヶ瀬さんの正体を暴くこと。それが空気の読めない行いなんだとしたら──
「あ」
 思わず声が出た。きゅっと唇を結んだ。

 ──最初から誰も、笹ヶ瀬さんのことを霊能少女だなんて信じてなかったんだ。

「結局のトコ、あたしは皆にとって遠くから眺めてる分には面白い電波チャンだったんだよ。他の皆とは違う〈特別〉なんかじゃなかった。今思えばその程度の、それはそれはちっちゃな出来ごとだったわけだから、あのまま奈々原に通ってても問題なかったような気ぃすんだけどねー。今みたいにムダにはきはき喋ってたら、多分あたしがあの笹ヶ瀬衛だとは誰も気ィ付かないんじゃないかなって、今でもそう思う」
「それは──」
「そういうもんだよユッキー。案外人って人のこと見てないもんなんだよ」
 沈黙が降りた。心地いい静けさではなかった。だから、耐えられなかった。
「ごめんなさい」
「どーして謝んの?」
「だって、したくなかったんでしょ? さっきの話。それなのにわひゃ!?」
 また、頬を抓られる。さっきより手加減がなかった。
「ひゃ、ひゃひゃぐわふぇ!」
 ぱっと手が離れる。頬を撫で擦る私を他所に、笹ヶ瀬さんはまた溜息を吐くと、
「いーい、ユッキー」
 私の鼻に、人差し指をちょんと触れさせた。
「さっきも言ったよね。あたしは全部口で説明されないとわかんないほどおバカじゃないって。ユッキーはさっきの話、あたしが訊かれたら誰にでもカミングアウトすると思う?」
「そ、そりゃあ思わないけど──」
「でしょ!? あたしはね、ユッキーだから喋ったの。ユッキーになら話してもいいってあたしが決めたから喋ったの。だから、ユッキーが謝ることなんて全然ない!」
 わかった? と念と一緒に鼻まで押してくる笹ヶ瀬さん。
 頷くと、人差し指が離れた。笹ヶ瀬さんが、よしっと胸を張った。
 ──私になら、喋ってもいい。
 抓られたのとはまた別の熱が、頬にじわじわ広がってゆく。
「で、でも、ちょっとびっくりしちゃった」
「何の話?」
「笹ヶ瀬さんが幽霊のこと『趣味』だって言い切ってたところ。私てっきり、その、言い方は悪いんだけど、笹ヶ瀬さんは幽霊とかUMAとか、そういうのをキャラ作りのためだけに使ってると思って──」
「ちょっ、ちょちょっ、ちょいタンマ!」
 笹ヶ瀬さんが手をかざし、私の声を遮った。
「な、何かな?」
「何かな? じゃないでしょユッキー! えっ、いや、ホント、えっ? いっ、いつから気付いて──」
 笹ヶ瀬さんが、口を覆った。その手がゆっくりと離れていく。頬が赤く染まっている。
「もしかして、全部わかってて『あんなこと』に付き合ってくれてたの?」
 私も、鏡花さんも、知っていた。

 そう──笹々瀬さんは〈ある意味〉で心霊に取り憑かれていたのだ。
 
「だって、中学に入って初めての友だちだもの」
 一番異彩なオーラを放っていたから友だちになろう──そんなふうに声を掛けて来てくれた貴女と、本当に友だちになりたいって思ったから。
「私ね、もし笹ヶ瀬さんが無理してるんだとしたら、言っておきたいことがあったんだ。私も鏡花さんも、別に笹ヶ瀬さんが〈特別〉な娘じゃなくたって、友だち止めようなんて言ったりしないよって。私たちが好きなのは、笹ヶ瀬さんなんだよって。でも、そういう趣味はホントみたいだから、何だか安心しちゃった」
 余計なお世話だったかもと頬を掻いていたら、抱き付かれた。えっ、と思ったときにはもう天井が見えていた。笹ヶ瀬さんと私、お互いの頬が触れ合うくらい──近い。
「ごめんね。ごめんね」
「どうして謝るの?」  
「迷惑、かけてるから」
「そんなこと、ないよ。迷惑なんかじゃない」
 笹ヶ瀬さんがいる。友だちが腕の中にいる。そうだ。これまでとは、つくしちゃんのときとは違う。あのときはもう全てが終わってしまっていた。今回は違う。守りたい命がここにある。これまでみたいに、終わってしまったところから始まるんじゃない。
 眼を瞑った。抱き返す腕に、ぎゅうと想い(ちから)を込めた。


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