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空想科学祭の(個人的)記憶

作者:丸屋嗣也
今という時を逃しては書けない気がしたので書いた。
 空想科学祭2010が閉幕した時、「しまった」と思ったのを今のことのように覚えている。
 まだ、わたしが別名で「小説家になろう」にいた時のことだ。あの頃のわたしは、企画道場破りをやっていた。名だたる大きな企画に顔を出して腕を磨いていたのだ。ハッキリ言おう。だいたいどこでもまあまあの評判と褒め言葉を頂き、鼻高々になっていた。道場破りの楽しさに目覚めていたと言っても過言ではない。ジャイアントキリングの楽しさ。あの頃のわたしはゴリアテに挑むダビデのような心境だった。そして、空想科学祭はその道場破りの最後の砦であった。時期的にも一年の中でも遅い方だし、何より、非公式企画の中では最大規模であり、厳しい感想を貰える場だという評判もあった。
 そして、初めて出場した空想科学祭2010において、わたしのテクストは部門賞の大賞を頂いたのであった。
 これだけ聞くと何やら自慢のようにも見えるかもしれない。でも、自慢にもなりはしない。むしろ、敗北感でいっぱいだった。
 自分で言うのも何だけれども、わたしのテクストはすごくとっつきやすい。難解さを売りにするような小説ではない。そして、他小説分野で磨いた説明技術のおかげで、科学的な説明もそれなりに出来るというアドバンテージもあって、「とっつきやすく、分かりやすい」小説が出来上がったわけである。しかしながら、それだけだった。
 その証拠は、空想科学祭2010における結果にも現れている。
 わたしのテクストには、キャラクター賞や世界観賞といった個別賞にはかすりもしなかった。
 つまるところ、わたしのテクストは「不可もないけど可もない」という、どうしようもないものだったわけだ。そして、わたしが賞を頂けたのは、減点法になりがちな読者様のジャッジにおいて、けなすところがないゆえの高評価だったのではないか、という結論に達したのだった。
 これはまずい。そう思った。
 それに、実はわたしがまずいと思ったのは、他の点にもある。2010に提出したテクストは、なんとなく手先で書いてしまったような感触があった。理屈を積み重ねるSFだからそれはそうだろう、と最初は思っていたのだが、日に日に「それは違う」という思いに駆られるようになった。セオリーを駆使し、まるでパズルを組み上げるようにしてあのテクストを作ってしまったのではないか? そんな疑問もわたしの中で渦を巻いた。
 こうも思った。このテクストは、何ら新しいものがないんじゃないか。素人の書いた小説だからまあまあなものであって、もっと広いところに出した時には『これ、もう他の人がやってるよ』と言われてしまうようなものなのでしかないんじゃないか。
 そして、企画道場破りという阿呆なことをやって来た自分にも腹が立ったのだった。
 きっとあの頃のわたしは、「競作企画において勝つために」テクストを組んでいたのだ。
 小説を作るっていうのは、どういうことだったっけ?
 そんな、一番大事なことを忘れていたのだ。
 皆さんの称賛の声とは裏腹に、わたしはひどく焦っていた。

 一年後、わたしは空想科学祭2011に参加するかどうか悩んだのだが、参加することにした。
 三作まで出していい、ということだったので、三作書いた。
 一つ目は、実際のわたしの趣味と思い付きをそのまま形にした、ぶっちゃけ手抜き感がある小説。
 二つ目は、わたしの得意分野を練り込み、わたし自身の感覚を多く取り込んだ小説。
 三つ目は、去年の受賞作に似せて作った小説。
 正直な話、今にして思えば、三つ目のものは発表してはいけないものだった。読み返してみても、ひどい尺伸ばしとテクストの裏に潜む数年前の自分のため息と逡巡が見て取れる。気が乗っていなかったのだろう。そんなものをあえて書いたのは、きっとわたしの心中に虚栄心のようなものがあったのだろう。あるいは、「これはA面で、他の二作はB面」とアーティスト気取りなことを思っていたのかもしれない。
 そして、わたしイチオシは二つ目のテクストだった。あれ以上のモノは書けないし、新しいものも書き込むことが出来た、そんな自信があった。そして何より、わたし自身をうまくさらけ出すことが出来た。
 のだけれども。
 結果は散々だった。
 あんまり思い入れのない一つ目のテクストが、まあまあの評価だった。
 自身作の二つ目のテクストは、色んなツッコミを頂く羽目になった。
 そして外向けに作った三つ目のテクストは、大した評判にもならずに消えた。
 正直、三作が三作、読者様からの反応は予想だにしないものだった。あんまりいい評価を貰えないと思っていた一つ目が好評を頂く(もっとも、「思い付きをそのまま形にするなバカ」という感想もあったけれども)のも驚きだったし、気に食わないとはいえまあまあなものを書いたつもりだった三つ目の不調も意外だった。そして何より、二つ目の低調ぶりが何より衝撃だった。
 新しい視座をあのテクストに盛り込んだ。平たく言えば、あの時のわたしが考えた「新しさ」が二つ目には溢れている。しかし、今になって読み返してみると、その新しさを消化できないまま提示してしまった感があった。小説を書き始めてからン十年にして、ようやく「新しいものを書く」ことの難しさを痛感したのだった。(あのテクストの感想欄における某○文さんのご感想は死ぬほど悔しかったなあ……(笑)。思わず目から血の涙が落ちましたよハッハッハ(爆笑))
 しかし、得たものも多かった。二つ目はわたしの「主戦場」にリンクしていたので、皆さんの「主戦場」に対するイメージみたいなものを感想欄から得ることが出来た。作り手として感じ取っていたことではあるけれども、やっぱりそういうイメージだったんだ……という感触。とにかく、空想科学祭2011で得たモノは自分の「主戦場」にもフィードバックできたのである。実はわたし、「主戦場」における立場は微妙である。正直、「主戦場」においては浮いているのである。もちろん浮かない書き方も出来るけれども、それはわたしの書きたい小説ではない。しかし、ここで頂いた感想が、わたしの歩もうとしている道が間違いではなかったという後押しをしてくれたのである。

 そして、空想科学祭FINAL。
 事情あり、WEBの場では今までの名前を捨てなければならなかった。そして、大好きな「ロボット刑事K」から拝借し、「リベンジャーK」を名乗ったのであった。もちろん、「リベンジャー」というのが何を指すのかは言うまでもあるまい。
 わたしは、リベンジしたかったのだ。
 わたしの全てを賭けて。底辺とはいえどもWEB小説家としての矜持にかけて。
 そうして発表したのが、「そして予定調和へ」である。
 ぶっちゃけ、このテクストは、ある方への意趣返しとなっている。
 2011の時、「説明なんかしなくても今の読者はググってくれる」旨の感想をくれた方があったのだけれども、わたしは「それは違う」と思った。説明だってテクストの一部であり、テクストの根幹部に組み込まれている限りにおいては説明すらも小説の一部なりえる。しかし、小説家たるもの、それを口にするわけにはいかないしアンフェアである。やはり、小説家の反論は小説でするものだ。(って、ここで明確に反論しちゃってるんだからダメだろ、というのは自分でも気付いているところであります。)
 というわけで、「そして予定調和へ」は、小説らしい物語を持たない、ほぼ説明だけで構成されたテクストとなった。説明っていうのは無味乾燥に見えて、実は一種のベクトルを含んでいる。そして、そのベクトルを組み上げていけば小説になりえる。それがわたしの答えだ。
 そして、それだけでは今までの論文形式の小説と全く同じつくりになってしまうので、この論文の書き手の輪郭が浮かび上がるような作りを心がけた。そして、この手の論文形式小説にありがちな矛盾、「なぜこの論文が現代語で読めるのか(大抵、この形式だと宇宙人が書いていたり未来人が書いているという設定なのだけれども、それが現代語で読めるっておかしくないか? ということと御理解下さい)」も回収するような作りにした。そして何より、2011年の原発事故によって世上にも露見した「言論、学問の恣意」にまで手が届いたテクストになったと思っている。
 でも実は、このテクストすらも、一部失敗したところがある。
 ラストシーンだ。
 実はあそこである効果を狙っていたのだけれども見事にスベってしまった。ああいうダダな感じは今時まずいのかなあと反省している次第だ(あるいは、もっとやりようがあったのではないか、という反省です、はい)。
 そして、このテクストは、読者様からの反応を完璧に予想できた。
 多分感想のベクトルは二種類だろうと思っていた。一つは「論文形式の是非」を取り上げる感想。もう一つはこのコンセプトを面白がってくれる人。その予想は見事にハマった。感想欄は小気味いいほどに二つに割れた。きっと感想欄から読んだ人は「なんだよこの小説!」と思ったに違いない。
 でもきっと、あのテクストは皆さんの心に残ったことと思う。

 簡単に言えば、わたしにとっての空想科学祭とは、「自己変革の場」だったのだ。そして、自分の武器になりえるものを教えてくれた場だった。
 きっと、空想科学祭で得たモノは、一生わたしの中で輝きと共にあるだろう。仮に、わたしが小説を書けなくなったとしても。だって、わたしが教えてもらったのは、「変わることを恐れない」ということなのだから。
 もちろん、自分にとって大事なものを守っていく。これも大事なことだと心から思う。
 しかし。
 それと同じくらい、変革することは大事なことなんだということを空想科学祭は教えてくれた。

 ありがとうございました、空想科学祭。
例の如く執筆一時間推敲なし。後悔はしていない。

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