#9・081
鉄に蹴り飛ばされた真九郎、その衝撃により黄緑色のフェンスが軋んだ。
白いタイルに垂れる血滴、唇が軽く切れてしまっている。
軽く切れただけなのに、真九郎は、焼き付くような痛みを感じていた。
単純に圧迫するこの距離感が、心音や脈拍を異常にさせ、過剰な痛みを感じさせていたのだ。
本当は、大した傷ではない。
真九郎はダッフルバッグを盾代わりにして構えた。
鉄が腹部に向けて蹴りを入れようとしてたからだ。
サッカーボールでも蹴るように、後ろから前に振り抜かれた右足は地面を一瞬擦り、真九郎の胸板に向かって飛翔した。
胸板にはダッフルバッグがある、が、蹴りによる衝撃がダッフルバッグを通り越して伝わってきた。胸板を張り手で突き飛ばされたくらいの衝撃はある。
肋骨が一瞬だけ悲鳴をあげた。
呼吸が遮断され、喉に何かが詰まったように息苦しくなり、大きく咳き込んだ。
更に蹴りは続く、何度も何度も蹴り飛ばされ、その度に焼き付く痛みが加速していった。
何度か蹴り飛ばされていくうちに、胸板の痛みの感覚がなくなっていた。麻痺している。
真九郎は 何で自分がこんな目にあっているのか、分からないでいた。
鉄は、何も言わずにただ自分を屋上に連れ出して、こうやって理不尽の一言に尽きる行為をしているのだから。
蹴りが止まった。
真九郎の胃が笑っている。
音のない笑い声、恐怖による震え、無音の空気が真九郎をより圧迫させ、恐怖を植え付けていたのだ。
鉄は真九郎が抱え持つダッフルバッグを無理矢理剥がし取り、胸ぐら掴み、フェンスに押し付けた。
釘で打ち付けられたように、真九郎の体はフェンスから離れない。
鉄の手によって強く押し付けられているからだ。
更に押し付けると、フェンスに填められたボルトが外れた。地面に転がり落ちるボルト。
瞬間、その他のボルトが一斉に外れかけ、真九郎に対し、全く別の角度からの空を焼き付けさせる。
「うわああああ!!」
思わず、空に向かって叫んでしまった。
今だからこそボルトが多少の支えになっているが、その支えが外れてしまったら――、
真九郎は自分の背後の風景を想像してしまった。
グランド、そう、マットも何もない、ただの地面。
花瓶のように脆く壊れやすいものを落としたら割れる。
人間も同じだ。
頭蓋骨が脳味噌を突き破って、即死亡。
(た、助けて! 誰か……!)
鉄は真九郎の思いを察することなく、ただ片足で真九郎の腹部を強く押し付けていた。
加えられた力がボルトを更に外れかけさせる。
殺される、と真九郎を思った。
理由は分からぬが、一物が勃起している。
クリーム色のズボンの股間の部分が、じんわりと濡れた。
心音が必死に扉を叩くように鼓動している。
「お前、藤牧に余計なこと言ったよな」
それは、何の前触れもなく口にされた。
真九郎は、口の中に溜まる臭い口臭を吐き出すように、大きく震えた声で言う。
「言ってない! 何も言ってない!」
腹部に向かって一発蹴りが入る。ボルトが一本外れ、更に下へ傾いた。
「うわあああ!」
「お前が藤牧に余計なこと言ったせいで、あのシスコン野郎(零華の兄)に、これやられたんだよ」
といいながら、鉄は自分の顔を傷を指差す。
「お前、何言ったんだよ? あぁ?」
「な、何も言ってない!」
そう、真九郎は本当に何も言ってなかったのだ。
けれども、零華は言っていた。
真九郎のいない、自分の家にて。
兄に真九郎と鉄の関係について相談し、妹が困っている姿を見て兄は、その根本的な原因である鉄を集団で暴行したのだ。
全ては、困っている妹を助けるために。
零華は、真九郎を助けるために。
けれどそれは、逆効果となり、今、このような現場を生むこととなっているのだ。
ボルトがまた一本、また一本と外れる。
鉄は、ナイフのように鋭く尖った声で告げた。
「お前さ、うざいんだよ。つか、とっとと死ね、このクソオタクが」
振り上げられた片足、真九郎にはそれが巨人の足のように映り、太陽の光を完全に遮断して、
瞬間、屋上の入口から零華が――、
「真九郎君……!!」
全力疾走で真九郎達の元に駆け寄っていった。
途中、鉄に渾身の体当たりを与え、真九郎から離す。
一瞬だけ倒れ込んだ鉄だが再び立ち上がり、零華も突き落とす勢いで向かってきた。が、そこに教員が現れた。
「何をやっているんだ! 君達は!」
零華は教員を呼んでいたため、少し遅れていたのだ。
チッ、と舌打ちを残し、その場を走り去る鉄、誰も鉄を追おうとはしない。
真九郎は何とか白いタイルに尻をつける状態になったのだが、恐怖のあまり失禁しており、ズボンがじんわりと濡れていた。
そんな惨めな姿を、真九郎は零華に、好きな人に見られた上に、助けられたのだ。
零華は真九郎に保健室に行こうと言い、肩を貸した。
真九郎は何も口にしない。
あまりにも自分が惨めで、そんな惨めな姿を一番見られたくない人に見られてしまったのだから。
その日、真九郎は保健室で傷の手当てをされた後、何も言わずに早退した。
そして翌日――、
真九郎は、自殺した。
これからのことと、これまでのことの考えに、押し負けたから。
だから、自殺した。
だが、その“翌日“のこと、
普段通り、教室の隅っこ方で頬杖をつきながら呆然と外を眺める、真九郎の姿があった。
真九郎は“自殺した“。“自殺したけど、自殺していなかったのだ“。
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