#45・穢れた世界のロミオとジュリエット
時雨は鉄を睨みつけるように一瞥してから、脇で断末魔の叫び声を上げる真九郎の方へと振り返り、そして、竹刀を強く握り締めた。
幸い、真九郎と鉄との間には僅かな隙間が生まれている。恐らく力の衝撃により発生したものと思われる。
時雨はその隙間に入り込もうとした。だが、己の体内に在する悪魔・赤鬼と青鬼はそれを止めた。
(忘れたのか! テメェ! アイツの力をよ!?)
時雨は一呼吸入れて、乱れた感情を落ち着かせる。
触れても触れられても駄目だったんだ、と奥歯を噛み締めながら思い出す。
(しかし……! このままでは、彼が……ッっ!!)
そうこうしている内に、鉄は間合いを詰めて、真九郎に接近していた。
だが、真九郎もただ一方的にやられるわけがなく、やや安定しない足並みだが倉庫の方へと逃げてはいる。
走りの勝負なら、真九郎にも分がある。だが、今喰らった一撃は大きい。
赤い液体が細長いそれを通じて、まるで道しるべのように赤い線を引いていた。あるいは、引きずっていた。
口の中に充満する鉄の味。真冬にも関わらず、嫌な汗のせいで体が熱っている。
「ンだぁ! 悪魔が生に縋って(すがって)んじゃねェ!」
背後で鉄が怒鳴りながら吠えていた。
(――本当の恐さを忘れたお前は、人間じゃなくて、正真正銘の悪魔だよ、馬鹿野郎)
彼は今、悪魔ではなく、正真正銘の人間だ。
痛みと恐怖。それは、悪魔と契約する前の、弱い時の真九郎が身をもって経験している。
だからこそ、今が“それ“だと分かるのだ。
そして、そういう時、必ずこう思っていた。
『助けて』
だけど、誰も助けてくれない。今時、そんな特撮アニメに出てくるような、正義の味方はいない。
いるのは、悪魔の心をもった、正義の味方を気取る人間だ。
自分の身を第一に考え、他人の身のことなど後回しにする。
当たり前だ。自分が損するだけなら動く意味がない。
損得感情でしか頭が回らない。そんな人間が多い、この世界だからこそ言える。
だから、最初から分かっているから、真九郎は誰にも頼らなくなっていたのだ。
次第にそれは、冷たい世界の住人の中に入っていた。
だけど、そんな彼に温かい手を差しのべてくれた者がいた。
『藤牧零華』
彼女はクラスの学級委員だ。だから、彼を助けたのだろう。最初はそう思ったが、それは違う。
零華は真九郎を、一人の人間を助けたい一心で助けたのだ。
最初はただの口だけだったのだが、今は違う。
自分の身を差し出してでも、他人を救う覚悟がある。
震える指先。汗で湿った皮膚。それが打つものは、一通のメールだった。
倉庫の裏側へと回り、セメントで作られたブロックの壁に挟まれながら打つ。
たった一言――、
助けて
という、本当の言葉を。
ブロックの壁が粉砕する。
脇目を振るったその先には、鉄がいた。
一方通行の隙間。まともな身動きなんて出来ない。
「これで」
終わりだ。と、言おうとした瞬間、鉄の足が何かに引きずられていた。
引きずられるその方向を見る。前歯を噛み砕くかと思えるくらい、力強く歯を食いしばる。
「女ァァ!!」
赤き光と青き光を両足に纏い、双方の光を渦巻かせながら、その彼女・五月雨時雨は、頭一つ下がった位置から、鉄を眼を飛ばしていた。
「覚えておけ、私の名前は女ではない。私の名前は、五月雨時雨。――貴様を消滅させる者の名だ」
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