#44・天使が残した平和
早朝のまだ日の出が顔を出していない頃の空から、小さな雪が降っていた。
住宅地の静けさが寒さを感じさせる。だが、付近から感じるこの強大な存在を考えると、より寒さを感じさせた。
ふと、真九郎と時雨は疑問に思う。互いの顔を確認し合う。
そして、中央にそびえる倉庫に目を向ける。
「私達は、何故ここに?」
その問いに対し、真九郎は首を横に振った。
再び倉庫に目を向ける。
白い息を吐きながら、真九郎は言った。
「分からない。けど、ここに来たってことは、やっぱり絶対悪のことで」
来たと思う、と言いかけた瞬間、二人の体に重く乗しかかる何かが襲う。まるで重力に押し潰されるような感覚だ。
その強大なる存在の正体を、二人同時に察した。
絶対悪――
その言葉を思い浮かべた時、ふと二人の頬から口元へ一筋の涙が流れた。
自分でも何故泣いているのか分からないのか、二人は袖でそれを拭き取りながら、
「悲しい。何かよく分からないけど、とても悲しい思いをした気がする」
「えっ、時雨さんも? 実は、僕もそうなんだ」
空を眺めた。
遠くを見つめるような目で、何かを懐かしむような目で。
何も思い出せなかった。
しかし、二人の体内に在する悪魔達は、それに気づいていた。
だけど、悪魔達は各々の契約者様にそれを伝えずにいる。
伝えない意味が理解できない。だが、もしかすると何らかの縛りによって、伝えたくても伝えられないのかもしれない。
――“数時間前“、彼等は史上最凶と恐れられる悪魔・絶対悪と戦っていた。しかし、圧倒的な力の差により、一度は全滅した。
そう、一度は全滅したのだ。
だけど、最後の一瞬、まさにいまわの際で、全滅は回避した。
たった一人の人間の、存在を犠牲して。
天使の力、その全てを使い、“失った時間を限界まで戻した“のだ。
その結果、生きているはずのない真九郎と時雨の二人の契約者達が、元々いるはずのない時間と場所に送ったことになる。
もちろんこの時はまだ、絶対悪も倉庫には到着していない。
元々の時間ならば、まだ“ある契約者“が倉庫内で絶対悪を待ち伏せしてたころだろう。
待ち伏せということは、もうすぐにでも待ち伏せてる相手が訪れるはずだ。
たとえば、この人気のない住宅地を通って……。
二人の背後から、不気味な笑い声が聞こえた。
振り向いたその先には――、
「久しいなぁ、天峰。よかったよかった……まだ生きてやがったか。まだ殺せる状態で残っていたか」
絶対悪が立っていた。
真九郎の全身に電流のような衝撃が走る。
強張る両足の筋肉。地に根を張ったみたいに動けない。
黒いライダースジャケットが、真九郎の視界から突如として消えた。刹那、彼の眼下に赤髪が写った。
赤髪が止まった反動で揺れる。その隙間から見えたものは、真九郎の脇腹を触れていた。
寒気が一気に脳味噌まで上昇する。
刹那、パンパンに膨らませた水風船を破裂させたような音が、物静かな住宅地に轟いた。
まさにその風船の中身が溢れたような音がだだ漏れ状態で流れる。
水風船ならぬ、肉風船の中身が溢れた。
影を覆うほど流れる血と、間隔的に小さく膨れた細長い、それ。
臍の緒のように直結している。
「最後の戦い(ファイナルラウンド)と行こうじゃねえか。勝敗は、ぶっ倒れるかぶっ倒れねぇかじゃねぇ。生きるか死ぬかだ」
寒空の下。
ある契約者が残した希望は、潰えてしまうのだろうか。
少年は断末魔の叫び声を上げる。
少なくともその声に、希望は感じられなかった。
|