#35・グッバイ・ララバイ・デイ
早朝。
寝間着姿の桔梗は、キッチンに立っていた。
まだ起床する様子のない真九郎、彼は昨晩、一枚のメモを書いていた。
そのメモは、希望の朝食メニューだ。
両親を亡くして以来、真九郎は、買ってきた物で朝食を済ませたり、時に抜いたりもしてたので、正直、希望の朝食メニューと言われてもピンと来ない。
だが、せっかくのご好意を受けないのはどうかと思ったのか、一品だけメニューを記入しておいた。
「玉子焼きねぇ……」
桔梗は、苦笑いを浮かべながらぼやく。
一枚の白紙の隅っこの方にそう書かれていたのだが、どうも余白が多く見られることと、あまりにも定番のメニュー、それこそ自分でも作れるようなメニューを書いていたせいか、何とも虚しい気持ちが彼女を襲う。
だが、頼まれたからには仕方ない。
桔梗は、冷蔵庫を開けて卵を数個取り、調理の準備に取り掛かった。
小さめのボウル、四角いフライパン、味噌汁も作るため余り物の野菜を手に取る。
どうやら味噌はあるようだ。
ある程度の食材や調味料は、寮が置いてくれているのだろう。
賞味期限が切れていない可能性は否定できないが、桔梗の感性から言えば『カビてないなら大丈夫』と解釈される。
とても嫌な気がしてならない。
ボウルの角で卵を割る作業をしていると急に、桔梗の手が止まった。
遠くへ耳を傾けるように、静かに瞳を閉じる。
鋭い針のような何かが、釣糸を張ったように伝わってきた。
桔梗は、溜め息をつく。
「まったく、朝っぱらから何を食べてんだか」
真九郎が熟睡している和室に向けて、遠くを見るような細い目つきで見た。
そして、声を上げずに笑う。
「どうして、大人ってやつは、こうも面倒なんかねぇ」
数十分後、桔梗は全ての朝食のメニューを作り終えた。
白いご飯と味噌汁と焼き魚と玉子焼き。
絵に書いたような定番メニューだが、あまり時間を掛けた物は作ってられない。
「まだ未完成だが……やるしかないかね」
遅かれ早かれ、そうなることは分かっていた。
絶対悪を対峙するその時が、肉迫していたことくらいは。
分かっていたからこそ、真九郎の家に半ば強引に押し掛けて、泊まったのかもしれない。
朔羅葉桔梗という、一人の人間は。
この世で一番、鉄が殺したい相手の住む家に、わざわざ嘘をついて泊まったのかもしれない。
いや、それは考え過ぎか。
だが、それが半々であることは変わりない。
そして、その半々の答えは、彼女だけが知っている。
誇らしげに笑う、桔梗だけが。
桔梗は寝間着姿のまま、玄関へと向かった。
靴を履き、立ち上がる。
「それじゃあ、まぁ、よろしくお願いしますよ」
静かに扉を開け――、
『俺の命運を握る、天使さんよ』
扉は、閉められる。
桔梗が家を出てから、二時間とちょっとが経過した後、真九郎は起床した。
まだ眠気がとれていない、釈然としない表情のまま、リビングで棒立ちの状態になる。
周囲を見渡し、頭を掻く。
「桔梗さん?」
朝食が置かれていた。
「そっか、仕事で先に出たんだ」
冷めた朝食が、置かれていた。
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