#23・殺生のボーイミーツガール
(聞き取れる範囲で聞き取れ)
真九郎は何も反応しない。否、反応できない。
無邪気な子供が人形遊びをしている時のように、真九郎は時雨に乱暴に扱われていた。
徐々に吸い込まれていく体、抵抗する力なんてない。
赤き光が渦巻く旋風へと、ただ吸い込まれに行くだけ、蹴り飛ばされに行くだけだ。
そう、今の今まで魔王はそう思っていた。
最悪、殺されたとも思った。
だが、魔王はそれに気づく。
魔王の視線は、時雨の太股に向けられていた。
解れたレースのように焼け焦げた黒いスカートから晒け出る、太股は青く滲んでおり、まるで血の流れが止まっているかのようだった。痙攣もしている。
魔王は、そこに目を向けた。
(此奴の技は一時的なものじゃ、人が血の流れを止めて生きていられるのには限界があるからのう、儂の言っている意味、分かるじゃろ?)
力には、代価があったのだ。
真九郎の場合は、触れたい箇所に数秒触れること、それにより悪魔の力を発動できる。
そして時雨の場合は、体内の血の流れを止めること、それによりあの“吸引の力“を発動できるのだ。
最も、真九郎の力とは種類が違い、時雨の力は一撃必殺ではない。
あくまで、一撃必殺に値する力である。
太股の痙攣と血流の強制停止――そこから見出されることは一つ、この力には限界があるということ。
たとえそれが同じ距離であろうとも、最初から全力疾走で走るのと、一定のペースを保ちながら走るのとでは、全然違う。
一定のペースを保ちながら走るものは、最後まで持続できる。
だが、最初から全力疾走で走ったものは、途中で急激にペースダウンなる。
限られた力の器を全て空にしてしまったから、走る力が無い。
そう、つまり、そういうことだ。
時雨の力の器は、もうすぐ空になる。
ただの疫病神を背負った人間になるのだ。
真九郎と時雨の距離、あの強靭な蹴り技が直撃するのは、大股で五歩くらいの距離。
後一発は発動できるだけの力はあるだろう。
どちらにしろ、その一発の後は真九郎も時雨も倒れる。
けれど、真九郎は倒れて、死ぬ。
喰らってはならないのだ。
だが、真九郎は気絶しており、まるで起きる様子がない。
耳障りな警報が目覚まし時計のように鳴り響いているのに、ちっとも起きようとはしなかった。
遅刻だ。大遅刻だ。
派手に遅刻した挙げ句、そのまま永眠するなんて、さぞかし本望だろう。
何せ、永遠に眠ることができるのだから。
けれど、忘れ物があるのだ。
そこに、置いてきてしまったのだ。
まだ、それを取りに行ってない
取りに行かなきゃ、あの世で後悔する羽目になるだろう。
藤牧零華――、
彼女を一目見ずに死ぬなんて出来ない。
そして、こんな残酷な場面を、彼女に見せるわけにはいかない。
真九郎は、微かに残る意識の中で、それだけを考えていた。
この際、勝ち負けなんてどうだっていい。
互いが互いを甘く見て、力に自惚れた結果なら、納得がいく。
だからこれ以上、血の流れないよう、引き分けに持ち込もうと。
真九郎は、今すぐにでも死にそうなくらい弱々しい声で、言った。
「風を……」
魔王は、その手を走る。
風によって吸い込まれる、その右手へと。
数秒間、それに触れることで、全てを消滅させる力――悪魔の力。
右手の爪が矧がれ風に飲まれ、皮膚が、高温の油をぶっかけられたように、ズルズルと剥けていく。
熟した桃のような質感をした、赤い素顔を晒すその手が、確かに触れている。
『風』に触れていた。
風が、壊れる。
瞬間、蛍光灯が破裂したような音が、辺り一面に散った。
真九郎と時雨の二人の間を分かつ空間だけが無風となり、
他全体を、驚異的な突風が襲った。
屋根の瓦を一瞬で剥がし取るような威力、あまりの突風さに壁が凹んでいる。
まるで見えない誰かがいたずらに壁を殴っているかのようだ。
突風は、零華を下の階段へと突き飛ばした。
真九郎と時雨は、双方の背にある壁へと打ち付けられ、身動きできずにいる。
そこには、誰も踏み込めない。
音を聞き付けた野次馬達も、誰一人として。
突風は、30秒程で消えた。
解放された真九郎と時雨、地面へと滑り落とされる。
二人は、壁に嫌われた。
警報は壊れ、エレベーターは作動せず、セキュリティは停止状態に陥る。
静けさだけが残り、戦いの余韻さえも風が奪い去って消えた。
魔王は真九郎に、心配そうに声を掛ける。
(お主も趣味が悪いのう、返事くらいしたらどうじゃ?)
真九郎の心音は鼓動を打っていた。
何故なら、真九郎の心の臓腑は、魔王その者だから。
魔王が生きていれば、真九郎が生きている証拠なのだ。
「零華、さんは、無事、か、な……」
どうやら真九郎は、疲れ果ててしまったようだ。
そして、世界は闇に染まった。
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