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月を見るとき、

作者: あきら

この小説は「小説家になろう〜秘密基地〜」での、9月のテーマ小説「月小説」参加作品です。他の作者さまの作品は「月小説」で検索できます。

 深夜だというのに、空はほのかに明るい。街の明かりが空を包み、その深淵たる闇から人を守っている。薄闇の空に、違う世界から迷い込んで行き場のない旅人のようにただ一人ぽっかりと浮かぶ月を見上げる。幻影のように現実味のない月は目を離した途端、もう二度と見られないような、寂しい気持ちに僕をさせる。そして僕はその度に、もう二度と会えなくなった彼女の事を思い出す。僕が「生きる理由」になれなかった彼女の事を……。

 彼女と僕はよく一緒に月を見上げては、他愛もない話をした。月に初めて降り立った人の話や、かぐや姫、アルテミス、セレーネなどの悲恋の話から、月までの距離とか月にある鉱物資源とかそういった科学的な話まで、ありとあらゆる話をして、そこから二人で色んな空想を広げていった。その時間は僕にとっては、どんな小説や映画を見る事よりも充実していて、楽しかった。彼女の頭の中には無限とも言える空想力があり、もちろんそれを支える様々な知識もあった。その切れ端をかい間見ることに僕は一種の興奮を覚えていた。僕はそれで彼女のことを知ったような気分になれたし、何より彼女と知識を共有できた事がまるで世界の秘密を二人でこっそり分け合っているとさえ思えた。彼女の話の一つ一つが僕の魂の奥深くに今でも色鮮やかに残っている。その時彼女がどんな声色で、どんな顔で、どんな風に目を輝かせていて、その目に何が映っていたのか、はっきりと思い出せる。僕は彼女の言葉だけではなく、彼女の表情や仕草、その全てを汲み取ろうと必死だったし、何よりそこまで必死にならなくては彼女の意図してる物が何なのかさえ理解できなかった。彼女の話は、無限に広がっていく。僕はそれについていく事に全エネルギーを費やしていた。僕が生きるために蓄えて来た全てのエネルギーはそこにつぎ込まれていった。僕が今や生ける屍となっているのも、たぶんあの時に僕の一生分の(個人個人に割り当てられた固定の)何かを使い切ってしまったんだと思う。それでも僕は生きていかなければならない。だって彼女が僕にとっての「生きる理由」になってしまったのだから……。


「月はなぜその一面だけを地球に向けているんだと思う?」

 ある時彼女がいつものように唐突に話し出すまで二人で黙って月を見ていた。沈黙は気まずさを生むものだと――変な宗教を狂信している信者のように――信じて疑わなかった僕が彼女と出会ってからは、沈黙もまたお互いの距離を縮めるものだと学んだ。静寂と闇は現代においては忌み嫌われ、安息よりも刺激が世界を侵略して夜であろうとも雑音と光が我が物顔で居座っている。

「さぁ? 自転スピードが地球と同じだからかな? なぜかは説明できないけれど」

 僕はいつだって彼女を満足させられる答えを用意できなかった。彼女の方が僕よりも様々な知識に精通していたし、何より彼女が求めている答えがどんな類の物なのか、僕には想像もつかなかった。それでも彼女は僕の答えをいつだって求めていた。彼女にとって、僕の考えなんて必要としないはずだ、と僕は軽く考えていた。彼女が本当はそれを渇望してやまなかった事なんて、その時の僕に分かるはずもなかった。僕はもっと、もっと必死に彼女の求めている物が何なのかを考えるべきだったし、必要とされた答えを的確に答える努力をするべきだったのかもしれない。でもあの頃の僕は彼女と過ごす共通の時間に歓び、それを貪る事だけが全てだった。僕にとって完全に見えた彼女が実は僕以上に不完全だったなんて、今でも僕には理解できないんだ。

「月はね、地球に恋してるからなのよ」

 彼女の凛とした声に僕は彼女の方を向いた。彼女の目は真っ直ぐに僕を捉えて、瞬きさえもしていなかった。瞳に写る僕の顔が夜の薄明かりの中でもはっきりと見えた。ひどく間抜けな僕の顔が彼女の瞳に写っている事が妙にくすぐったくて、目を逸らしてしまった。彼女を直視する事がどんなに難しい事だったとしても、僕は一時も目を逸らさずに見つめ返すべきだったのかもしれない。そんな些細な後悔が積もり積もって僕の上に巨大な岩山を築き上げている。僕はそれを背負って一歩前に歩くごとに全身全霊に痛みを感じなければならなかった。

「恋だって? いつになくロマンチックな事を言うね」

 僕には彼女の真っ直ぐな目を見つめ返す勇気もなく、そして彼女の真っ直ぐな言葉を受け止める勇気もなかった。妙にくすぐったい空気からなんとか抜けだそうと必死にもがいて格好悪い受け答えをするのが精一杯だった。

「自分が最も美しいと思える面だけを見せて、その裏側は決して見せようとしない。完璧なレディーを演じてるのよ」

 僕は、彼女が言うところの完璧なレディーを見上げる。僕にとっての完璧なレディーと言えば、この時隣に座っていた彼女のことなのだが、そんな本心をぶつけられる器用さは僕にはなかった。

「完璧なレディーか……気の遠くなる年月、地球に寄り添っているのに、未だにその本性を見せないなんて、魔性の女なのかもしれないね、月は」

 僕の答えに静かに微笑む彼女。彼女も僕にとっては完璧なレディーであるのと同時にその本心に触れることは結局できなかった。自惚れかもしれないけど、彼女も僕の前では完璧なレディーを演じる月であったのかもしれない。だとしたら、僕は彼女にとってどんな存在であったのだろう? 結局僕は彼女の「生きる理由」には、なれなかったというのに……。それでも彼女は僕のことを少しは好きでいてくれたと願ってしまう。あの二人の時間が彼女にとっても大切な一時であったと、そう思いたい。


 そして彼女は世界から消えていった。手首に一本傷が入っただけで完璧であるはずの彼女の存在は地上のどこからも消え去ってしまった。残された僕は彼女であった抜け殻にしがみつくことで、彼女が戻ってくるのを願うことしかできなかった。願いは叶わなかった。彼女の抜け殻は依然として美しいままであったが、火に焼かれ灰になった。僕は彼女の親族に特別に招き入れられ、彼女の骨を拾った。彼女を失ったという実感に僕は泣き崩れた。重力を感じない。自分の周りの世界が全て砕け散って無の世界にいるような、そんな気分だった。本当に悲しい時、天も地も分からなくなるぐらいに泣く事が心を少し軽くするという事を知った。一通り骨を拾い終わると、中心に焼き焦げた黒い金属片が残った。

「これは?」

「ペースメーカーよ。娘は心臓をね……」

 彼女の母親が僕の疑問に答えてくれた。彼女は心臓を患っていたようだ。そんな事すら僕は知らなかった。彼女は自身の裏側を決して僕には晒さなかった。最後の最後まで……。美しい完全な姿を僕の前で演じ続けた彼女。こうして僕の中には完璧なレディーのままの彼女が残った。

 最後に骨壺にペースメーカーが、ことり、と音を立てて入れられた。それは彼女の最後の言葉だった。彼女が本当は僕に何を伝えたかったのか、その言葉を聞いた時少し理解できた気がした。

 だから僕は彼女の「生きる理由」になれなかった代わりに、彼女を僕の「生きる理由」にした。


 月を見るとき、僕は彼女のことを思い出す。月がその一面だけを地球に見せている限り僕の生きる理由はそこにある。

読んで下さった方、ありがとうございます。

この作品のストーリーは、

いつか上手に小説が書けるようになったら、

きちんとした長編で書こうと

長年心の引き出しにしまい続けてきたものを、

引っぱり出してきた物です。

だからやっぱりいつかはちゃんと長編にしたいと思います。

今回ボツにした作品も短編集として

投稿したいと思います。

気が向いたらそちらも読んでみて下さい。

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― 新着の感想 ―
[一言] 横書きでは読みにくかったので、縦書き表示で読んでみました。 縦で読むと、実際に出版された作品を読んでいるようで、読みやすかったです。 月の、『裏側を見せない』という特徴を人間に当てはめたとい…
[一言] 読ませていただきました。 ついぞ主人公の独白で物語が進められているのが印象的でした。当然、主人公への感情移入は容易ですし、彼の視点から語られる世界は美しくもあります。それはおそらく、彼女に恋…
[一言] 読みました。 少し改行が少なかったように思いましたが、さほど気になるものでのなかったので大丈夫だと思います。 長編に期待していますよ。
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