月の降る夜
9月企画小説「月」の私の作品です。
他の先生の作品は「月小説」で検索するとご覧いただけます。是非読んでみてください。
「『月の降る夜』ですか……」
私の原稿を見ると、担当編集者は不満そうな顔をした。何が悪いのか聞いてみると、
「なんかロマンチックさに欠けるんですよねぇ。『星の降る夜』ならまだしも、『月の降る夜』は無いでしょう。というか月降ったら怖いですよ」
担当は話しつつ、私の原稿を丁寧に揃えて封筒に入れた。そしてカバンにしまうと私の方を振り向いて、
「この原稿出しておきますけど次のネタ、考えておいてくださいね」
タイトルを完全否定した上に、ダメ元か。
担当が出て行ったのを見届けて、私は大きく伸びをした。
私は駆け出し作家である。いや作家という職業を名刺に堂々と書ける身分ではない。
去年月川出版新人賞に送った原稿が、良くも悪くも審査員特別賞を取った。だがまだ作家として世に出るのは早いという判断が出版社から出て、私は担当とともに日夜修行に明け暮れている。今、私が目指しているのは月川大賞の入賞である。
今日担当を通して応募した『月の降る夜』は恋愛小説である。星ではなく、月が降る夜を夢見る少年と、月が好きな少女の間に恋が生まれるストーリーである。入賞できるかどうかは分からない。でも私はこの作品に大きな意気込みをかけている。
それから2週間は原稿の束が部屋から消えたのをいいことに、ダラダラ過ごしていた。そんなある日私は気分転換に買い物に出かけた。暗くなりかけている夕方の道を歩く。
秋の夜はいいものだ。夏のように汗だくになることも、冬のように凍えることもない、極めて涼しくて快適な夜である。こんな夜が長いのはいいもので、家へ帰ったら本でも読もうかな……いや、でも小説にはしばらく触れたくないな、などと思いながら近くのスーパーへ向かう。
……スーパーに向かう、などと言っておいてついつい途中の漫画喫茶に寄ってしまった。小説ばかりを書いていると漫画はとても新鮮だ。そんなことをしていたらもう夜もいい時間、いい加減買い物を始めないとと思った私はスーパーに駆け込んだ。
『月の降る夜』に大きな意気込みをかけているのには訳があった。それは自分もまた月の降る夜を想像していたから。担当が言うような、怖いものではなく、数多くの小さい月が眩い光を放ちながらこちらに降って来る。それは小さい頃からの変な夢だった。
だからこのことをテーマにした小説を一度書いてみたかった。書いてみたかった。ただ無名な自分が書いたものを人に見せるのは憚られる。しかも訳のわからない想像だ。だからこの大賞のために書いた。たぶん入選しないだろうし、それでも自分の想像を物語に乗せて書いたことには意味がある。
前に付き合っていた彼女も、全然作家として身が立たないことに腹が立っていたらしく、自分がこの想像を彼女に話した日、彼女と別れることになってしまった。
自分にとってこの『月の降る夜』は憂鬱なものでしか無かった。こんなふざけた夢ばかりを見ないで、小説に打ち込まなければ大賞なんか取れるはずもないのに。
そんなことを街灯だけが頼りの帰り道で思っていた。満月の光は本当に弱い。
その時だった。
目の前の視界が眩しくなり、どこかからか声がした。
"月の降る夜に出会いたいんですか?"
「え?」
私は思わず振り返った。
「誰……?」
少し怖さも感じる。「声」は続けた。
"私のことはどうでもいい。連れて行って差し上げましょうか?"
「いや」
そんなことを言われても困った。犯罪者かもしれない。私は断ることにした。
「結構です」
"そうですか……"
その「声」はどんどん遠ざかっていく。するとどこからか、別れた彼女の声が聞こえてきた。
『何が月の降る夜、よ! そんなこと言ってるから作家にいつまでもなれないのよ! そんなもんあったら拝ませて欲しいくらいだわ!』
彼女の別れ際のセリフだった。自分の顔を熱いものが、流れていく。
「待ってくれ!」
私は叫んだ。まだ視界が眩しくなる。
"何か……?"
「見せてくれ! 月の降る夜を見せてくれ!」
するとその『声』は微笑んだような気がした。表情も無いのに。
"いいでしょう"
『声』がそう言った後、私はその眩しい光に吸い込まれていった。
「綺麗ね」
耳元で声がする。彼女だ。話したかった。会いたかった。口を開こうとする、その時。
「だろ? 星なんかよりずっと綺麗さ」
私だった。私は『私』と彼女を見ていた。
でもそれでも十分だった。月の降る夜は綺麗だった。月の光を自分達を包んでいく。こんなの現実的に有り得ない。でもそれは確かに自分の目の前で起こっているし、彼女も見とれている。
私と『私』と彼女は確かにそれを見ていた。
起きると、そこはスーパーの帰り道だった。
「あれ?」
夢だったのか。最近、寝ていなかったせいだろう。私は帰ることにした。
夢にしてはリアルで、まだ感覚が残っている。でも別れた彼女を思い出したのは憂鬱だった。
「まったく……」
自分としてはこの想像を小説にしただけで、もう一区切りと言うか踏ん切りが付いたのだから、次の小説の設定を考えなくてはならない。すると、携帯のバイブレータが鳴った。普段着信があまり無いので少し焦る。買い物袋をとりあえず足元に置き、電話に出ようとする。電話番号は自宅だった。泥棒か? でも確か鍵を持っていたのは親と……
「もしもし」
「どこで道草食ってるの? 時間的に晩御飯の買出し行ってたんでしょ? 早く帰ってきてよ。夜一人ぼっちは怖いんだから」
「え……?」
その声は彼女だった。
別れたはずの彼女から電話が来た。しかも自宅から。もしかして『月の降る夜』はまだ続いているのか? 訳が分からないが、とりあえずせかされた通りに帰ることにした。
自宅に着いた。ポストを開けると、たくさんの封筒が入っている。最近家を出ていなかったのでダイレクトメールがたまったのだろう。その中の一つは月川文庫からの封書があった。これはダイレクトメールではないだろう。その場で爪で開けてみた。読み終わる頃には
「確かに、『ツキの降る夜』だ……」
と思ってしまった。買い物袋を持って玄関へ向かった。夕方に家を出たっきりのはずの家は、電気が付いていて明るかった。
おめでとうございます! 貴方の作品「月の降る夜」は第7回大賞を受賞しました!
つきましては、出版のお話がございますので、以下の日時にお越しください。
日時――9月23日(祝) 13:00
場所――月川出版東京本社ビル5F ミーティングルーム3
月川出版
企画小説初参加作品です。なんかひどいファンタジーですね。夢も何も無い(笑)
でも実はこの語り口は書いていて少し楽しかったりします。また機会があったら参加したいと思っておりますので、またその節もよろしくお願いします。