ビー玉を通して
クラスに一人、奇妙な男が転入してきた。
割と和気あいあいとしたクラス内でそいつはいつも一人。
皆から敬遠されていた。…その男がとてつもなく奇妙だったから。
その男の名前は『藤垣』
藤垣はいつもビー玉を持っていた。そうして、放課とか、自習の時間にそれを取り出してそれを通してクラス中を観察するように見渡す。
そんな男だったから、みんな気味悪がって相手をしなかった。
俺は藤垣に話しかけてみることにした。…今思えば、それはただの「怖いもの見たさ」ってやつだったのかもしれない。
「なぁ、いつもビー玉なんか持ってきてなにやってんだ?」
挨拶もなしに、単刀直入に尋ねる。
そいつは細くやせ細った体を勢いよくこちらに向けた。いきなりだったため、かなり驚かされる。
「聞きたいかい?」
声がにやけていて、その上俺を注視してきた。正直気色悪い。
でも、こんなことで逃げてしまっては自分が臆病者のような気がしたので、話を続けることにする。
「あぁ、聞きたい」
「なら、これを見てごらん」
そう言って俺にビー玉を渡してくる。
手にとってよく見てみるが、何の変哲もない、ただのビー玉だ。
「これが何だってんだ?」
「そいつを通して、このクラスの連中を眺めてごらん」
言われたとおりにやってみる。ビー玉を通してみるクラスメイトたちは…ゆがんでいた。
しかしこれは当たり前だ。何も面白いことはない。
「ビー玉を通すと見えてくるんだ。ここのクラスメイトの醜さが。これを見るためだけに、僕はこのクラスに転入してきたようなものだよ」
心のそこからうれしそうに、藤垣は不気味な笑みを浮かべた。
「クラスメイトだぞ、醜いなんて言うな」
そう言って、俺はきびすを返した。二度とこいつなんかと話すまい、と心に決めて。
「君も気をつけなよ…このクラスは本当に醜い。愛しいほどにね……」
背後から藤垣のそんな言葉が聞こえたが、俺は無視することにした。
「ねー、どうしたの?健司?」
その日の帰り道。俺は椿…俺の彼女と一緒に下校してた。
「今日ちょっとさ、藤垣と話しちゃってさ。…あいつホントよくわかんねぇよ」
椿になら何でも話せる。俺にとって彼女は安らぎの人だった。
「もう!せっかく私と歩いてるんだから藤垣のことなんか考えてないの!」
ほほを膨らませ、俺に抗議する椿。そんな顔もまたかわいらしかった。
「そうだな…ごめん」
「うん。分かればよし」
そんな風に歩いていると、分かれ道にさしかかった。
「ねぇ、健司。今日ウチで遊んでいかない?」
そこで別れ、家に帰ろうとしていたところで椿がに誘ってきた。
「いや、だけど今日は…」
今日からテスト週間だ。学年一位である俺としては家に帰って、テスト勉強に励みたいところであるが。
「健司、私の家に来るの…嫌?」
健司に上目遣いで見つめられてしまっては断ることなどできない。
「分かった、行くよ」
そうして椿の家によって晩御飯までご馳走になって、帰るころにはすっかり夜になっていた。
それからテスト週間中も、テスト前日でさえ、椿はしつこく俺を誘い、俺は勉強もままならなかった。
誘われるたびに、椿は執着を見せるようになり、俺はうれしさと不安の混じった微妙な気持ちになった。
そうして、テストが終わった。
椿の誘いであまり勉強はできていなかったが、日ごろの勉強の成果か、何とか学年一位の座を守りきることができた。
テストの順位発表があった日の放課後、俺は教室に椿を迎えに行った。
俺はクラスの美化委員をしていて放課後、トイレの清掃活動行っていたので、必然的にほかの生徒よりも下校時刻は遅くなる。
椿は教室で待ってる、と言ってくれていた。
俺が椿のクラスのドアを開けようとしたとき、なにやら教室から怒号が聞こえた。
気になって少し開いていた窓から覗き込んでみると、三人の女子生徒と椿がいた。
三人ともがクラスメイト。そのうちの一人は学年で二位の新美さんで後の二人はいつも新美さんと仲のいい二人だろう。
その三人が椿を囲んでいた。椿は見るからに怯えている。
見かねて、助けに行こうとした、その時。
「椿。私は『健司に勉強させるな』って言ったのよ。ちゃんとやったの?…また私が二位じゃない。これじゃぁ約束と違うわねぇ」
再びの怒号。
叫んでいることにじゃない、俺はその内容のせいで足が止まった。
今、新美さんはなんと言った?
「ま、待ってください、新美さん!私は健司を毎日誘ってテスト勉強できないようにがんばりました。だから…どうか」
椿がつらそうに話す。分からない。どういうことだ…。
「結果が出せなきゃ意味がないのよ。あの件は無かったことにさせてもらうわ」
「っ、新美さん!」
新美さんが教室から出ようとする。それをあわてて椿が引きとめる。
「次は…次はちゃんとやりますから!」
「あんたに次なんか無いわよ……ねぇ、健司君?」
そうして、新美さんは俺が覗き込んでいた窓を開けた。
俺の姿を見て、椿が愕然として、怯える。信じられないものを見るような目でこちらを凝視する。
「じゃぁね、健司君。…次のテスト、楽しみにしてるわ」
新美さんは俺の唖然としている様子を見て、自分の目的を果たし、満足したのか機嫌よさそうに取り巻き二人と帰っていった。
「なぁ、どういうことだ、椿…」
自分でも信じられないぐらい声が震えるのが分かる。全部夢だと言ってほしかった。
沈黙が流れた。
それを突然の笑い声で破ったのは椿だ。狂ったかのように、高く笑っている。それが空っぽの後者に響き渡って、よりいっそう普通じゃない、と感じてしまう。
「あはは!何にも分かってなかったのね、健司。今あなたが立ち聞きしたとおりよ。私があなたをだましてたの。ずっとずっと、恋人のふりをして、あなたがテストに集中できないようにね!」
いつもの、穏やかな椿とは違う。こんなのは俺が知っている椿ではない。
「あいつに…新美さんに脅されてたんだろ?だからこんなこと…」
「ばっかじゃないの?」
淡い希望をもって発した俺の問いも、椿はばっさりと切り捨てた。
「私はね。自分から彼女に従ったのよ。あなたを学年一位から引き摺り下ろせたら、彼女の親が大学に口聞きしてくれるってそう言ったからねぇ!…でも結局、あなたのせいで失敗した。あなたホントに気づいてなかったの?ばっかじゃないの?」
椿は高笑いをしながら、俺の横を通り抜け、そのまま姿を消した。
後には俺だけが残された。夢じゃない、これは現実だ。
俺はずっと、椿にだまされ続けていた。
「だから言ったろう?気をつけろって」
「うわぁぁ!」
気配も無く、藤垣が俺の後ろに立っていた。混乱している中でのこの衝撃に俺は情けなく叫び声を上げ、腰を抜かしてしまった。
「そう驚くことは無いじゃないか、さっきまでの人の醜さに比べたら、僕なんて些細な存在だろう?」
驚いている俺に向かって、うれしそうに語る藤垣。夕焼けに染まるそいつは、今まで見てきた中で一番楽しそうで、そして…不気味だった。
「いやぁ、ここに転入してきた甲斐があったよ。君のおかげでいいものが見れた。あの女子生徒たちの醜さ……極上の醜さだった。ビー玉でできるゆがみなんかじゃ喩えきれないほどに」
恍惚な表情。俺のまだ混乱している心の中で『あぁ…こいつもゆがんでるんだ』そう思った。
藤垣はビー玉を取り出して、それを通して俺を見る。
「今はまだだけど、これから君も彼女たちみたいにゆがんでいくのかもねぇ、それも楽しみだよ…」
そう言い残して、そいつは去っていった。
翌日、俺は学園を退学した。同じ日に、藤垣もこの学校を去った…。
数年後。
別の学校に転入し、ぼろぼろの心を必死に引きずって勉強した俺は大学卒業後、一流企業に入社した。
会社の人間とはうまくやれている気がする。
いや、‘気がしていた’。
「やぁ、久しぶりだね、健司くん」
ビー玉を手に持った‘ソイツ’は俺の真向かいの席に座っていた。
「みんなそろったな、聞いてくれ」
部長が立ち上がり、‘ソイツ’の横まで移動した。
‘ソイツ’が呼応するように立ち上がる。
「本日づけで、この部署に配属された藤垣君だ。うまくやっていくように」
数年前と変わらない姿の藤垣が深くお辞儀をし、俺を見てニタっと笑った。
お題を見たときは明るい学園ものにしよう、って思ってたのに。
どうしてこうなってしまったんだろうか?