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おっとり娘と親切な殿下

作者:朝野りょう
 王宮の庭園では華やかなパーティが開かれようとしていた。
 王子や王家に繋がる貴族男性と独身娘達とのいわゆる出会いのための場だ。
 独身娘達の大半は貴族娘なのだが、この場への参加は家格が上位でなければならないという決まりはない。王宮へ申請し、審査が通れば庶民でも参加資格が与えられる可能性がある。そのため申請数は多い。
 とはいえ当然のことながら審査は非常に厳しく、一回につき四十名程度なのだから参加資格を得るのは幸運を手にする事であった。
 その幸運を手にした娘の中に下位の貴族娘ルフォナ・ビスコーテはいた。ビスコーテ家は貴族家ではあるが、裕福ではない。裕福ではないどころか、とても貧乏だった。だからといって生活に困っているわけではない。ないならないなりの生活を送ればいいのだから。
 しかし貴族娘の結婚とは金がかかるもの。ドレス等の衣装代、持参金、持参家具など、結婚する相手によってはどれ程に跳ね上がるかわからない。彼女は四人姉妹で下には三人の妹達が控えており、妹達のため少しでも裕福な男性を無料で見つけ、結婚するべく王宮へとやってきていた。

 パーティの会場となる大庭園へと向かう手前の回廊で、彼女が佇んでいると。

「貴女は……その格好で、参加するのか?」

 見知らぬ男性が彼女に声をかけてきた。

「はい、そのつもりですが……王宮のパーティに出席するには、特別な服装が必要なのですか?」
「そうではない。だが……そのドレスは、あまりに……」
「あまりに?」

 彼女は不思議そうな表情で男性の言葉を待っていた。
 男性は娘の様子に戸惑い、先が続けられない。
 彼が彼女に声をかけたのは、昼の王宮で開かれるパーティに相応しいドレスではなかったからだ。彼女のドレスは胸元が大きく開いた夜会用ドレスだ。しかも胸は半分以上はみ出しており、今にも溢れ落ちそうなほど盛り上がっていた。肩も腕も胴回りも腰も彼女のドレスの布地はパンパンに張りきっている。彼にはドレスが破裂しそうにしか見えなかった。
 のだが、彼女は何のことかわからないと首を傾げて自分を見下ろしている。そして。

「どこかおかしいですか?」

 そう首をかしげて彼に問いかけた。
 緩慢な彼女のその動きすら、彼の目には恐ろしく危険な動きに見えた。
 破裂したらどうする、そんな緊張感が彼女のドレス生地の縫目に走っているというのに。動くんじゃない!
 彼の耳には縫い目で踏ん張る糸の軋む悲鳴が聞こえてくるようだった。

「いや……貴女は、その……苦しくはないのか?」
「あら、まあ、おわかりになります? 実は王宮へ来るまでの道中で太ってしまいましたの。王宮からのお迎えは本当に至れりつくせりで。美味しいものを用意してくださるものだから、つい食べ過ぎてしまいまして。妹達と共用のドレスだから、もともと私にはきついドレスでしたけれど。今は動くとはちきれそうですわ」
「…………そう……か…………」

 ほほほと軽やかに笑う娘に、他意は感じられない。かなり肉感的な肢体を惜しげなく晒している自覚はないらしい。
 男性は控えめに助言することにした。

「せめて肩や胸元だけでも何かで覆ってはどうだろうか? それは夜用のドレスだろう。昼用のドレスを持っていないのか?」
「まあ、私が夜用ドレス風なのを気になさってらしたのですね? これは両用ですの。衿部分取り外し可能になっていて、デザインが変えられるのです。妹のデザインなのですが、よく考えられてますでしょ?」
「…………で、その取り外し部分は? 衿が付いているようには見受けられないが」
「ほほほ、襟付きで着ようとしましたけれど、生地がのびすぎて襟があいませんの。縫い付けようとしたのですが、針が刺さってとても痛かったので、諦めましたわ」

 何もドレスを着たまま縫い付けずともと思ったが、ドレスに身体を押し込むだけでも大変な労力を必要としたことは想像に容易い。ドレスを脱いでもう一度着ることに、あの縫い目が、生地が耐えられるのか。脱がずに縫い付けようとすれば針が刺さることは明らかだが、それでもその方法を選択するしかなかった彼女の付き人の心中を思えば……。その選択はわかる気がした。

「……ショールは?」
「持っておりませんの。でも、お気になさらなくとも。皆様、そんなに気になさいませんわ」

 彼女はそう言うと穏やかに微笑んだが。その確信はどこからくるのだろうか。彼にはその根拠が全くわからない。しかし彼女は心から些細なことだと思っているようだった。
 にこにことした笑顔を前に、彼は彼女へその事に対して追求しようとは思わなかった。彼女の緊張感のない雰囲気がそうさせるのだ。
 常ならば、みっともない格好で大勢の前に出るなど恥ずかしくないのか、と彼女に対して厳しい言葉を投げつけただろうに。
 彼はそんな自分を不思議に思った。

「そのままでは、窮屈だろう。来なさい。貴女のそのドレスよりはマシな一枚を用意させられる」
「あら、まあ……お優しい方ですのね。でも見ず知らずの方にそんな事をしていただくわけには参りませんわ。お気遣いありがとうございます」
「いや、気にしなくていい。貴女のドレスを早く救出してやらねば、貴女の妹達が困る事態になるのではないか? さあ、早く。パーティの時間になってしまう」
「ですが……私、早くは歩けませんの」
「……そう……だろうな」

 彼女は言葉では困っているが、全然困ってない顔で首を傾げている。
 彼は溜め息を吐いた。
 急がせたいが、彼女の言い分もわかる。あれだけぴったりと張り付いていれば、歩けないのも無理はないのだ。

「仕方がない。しばらく我慢してくれ」

 男性は彼女を抱き上げた。
 途端。
 ビリィィィッッッ。
 凄まじい音が響いた。救出するはずの彼女のドレスの本物の悲鳴だった。

「……………………誠に、申し訳ない」
「いいえ。私が無理に着たのがいけなかったのです。お気になさらないで」
「しかし、私の失態だ。こうなることは十分に予測できたはずだったのだが、配慮が足りなかった。お詫びに、貴女と貴女の妹達にドレスを贈ろう」
「まあ、まあ、なんてご親切な。でも、ドレスは受け取れませんわ。お気持ちだけ、有り難く頂戴させていただきます。本当にお気になさらないでくださいな。貴方が私にお気遣いくださったせいで、そんな散財をなさる必要はありません」
「それはできない」
「王宮へ来れたことが幸運なのです。私はそれで十分ですし、妹達もわかってくれるでしょう」

 彼女はふっと目を細めて微笑んだ。ついつられて、そうかと同意してしまいそうになる。だが、自身の失態をなかったことにするなどと同意するわけにはいかない。彼は沈黙で何とかやり過ごす。
 さっきから自分らしからぬ事ばかりしていると彼は自覚していた。
 彼の腕や身体には彼女の柔らかさを感じており。彼女のものと思われるやや甘い香りが鼻を刺激する。彼には到底理解できない行動をする彼女に振り回されているのだ。理解できないがゆえに。
 彼は胸元でふわりと笑む女性に息を飲んだ。

「とにかく急ごう」

 男性は彼女を抱えたまま足早に王宮の建物へと向かった。




 彼に連れてこられた王宮内の一室。
 彼女は破れたドレスを慎重に脱いだ。これ以上、被害を広げないように、ゆっくりと、ゆっくりと。
 脱いでみると背中から腰の部分の縫い目が大きく裂けていた。しかし、布を当てれば何とかなるだろう。

「これくらいなら、きっと妹が直してくれます。私の妹は本当に腕がいいのです」
「それは……素晴らしい妹だな」
「ええ、本当に。自慢の妹ですの」

 二人は衝立を挟んで会話している。
 そんな二人に王宮の女官達は非常に驚いていた。
 彼が女性と親しく言葉を交わしているというのも驚きだが、女性が着替え中の部屋に男性である彼が居座っているのがあり得ない事だったからだ。
 身内でもない男性が部屋にいるのに平気で着替える女性も女性だが。常ならそんなことをする彼ではない。女性と浮いた噂の全くない彼にこれほど親しい仲の女性がいたとは。
 女官達は言葉にはしなかったが、互いに目で情報を交わす。この女性は一体どういう娘なのかとの観察を行いながら、忙しく立ち働いていた。
 そこへ女官が三着のドレスを持って現れた。

「ドレスをお持ちしました。どれにいたしましょう?」
「早いな。どれでもいいから、彼女に着せてくれ」
「はい。お嬢様、こちらのドレスはいかがでしょうか?」

 女官が衝立の向こうにいる彼女へと声をかけると。

「あら、まあ。なんて立派なドレスでしょう。これを着るだなんて、とんでもありませんわ」
「なぜ出て来るっ! 下着姿ではないか」

 彼女はドレスを手に彼の前へ現れた。下着はさすがに彼女のものらしくパンパンにはち切れそうなわけではなかった。だが、薄い。何度も洗濯したのだろうそれは透けるほどに薄く、彼女の肢体を覆っており。
 彼の怒鳴り声も迫力に欠けていた。彼女から視線をそらさないのだから、迫力も何もない。
 女官達もおやおやと思いつつ二人を見守る。

「あら、まあ、申し訳ありません。我が家は女ばかりなものですから、つい……」
「つい、と言いながらいつまでそうしているのだ」
「ほほほ、申し訳ありません」

 彼女はゆっくりと衝立の後ろに隠れた。
 その後ろ姿から彼は目を離さなかった。ゆっさと揺れる胸、張った腰、下着に透けたお尻を揺らして消えた。その姿からは目が離せなかったというべきか。

「お嬢様。さあ、こちらにお着替えください。お似合いになるでしょう」
「それは……困りましたわ。こんな高価なドレスは、お借りするにしても……」
「いいえ、お嬢様に自分のドレスでよければぜひ貰っていただきたいと我が主人が申しておりました」
「あら、まあ、そんな親切な申し出をしてくださるなんて。一体どちらの方なのでしょう?」
「私の母だ。新しいドレスを作る時間はないからな。それでいいなら早く着るんだ。時間がない」
「そうなのですか。貴方も親切な方ですから、貴方のお母様もとても親切なお方なのですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」

 彼女のおっとりとした返事に、彼は無言で女官達を急かした。
 クスクスと女官達が笑いながら、衝立の奥へと消えていく。
 彼が神経質そうに立ち、その場を動こうとしないのを横目に。





「まだなのか? 何か問題でもあるのか?」

 苛々した男の声が衝立に向けて放たれた。 
 王宮の大庭園でパーティがはじまる頃だというのに、衝立の奥へ消えた彼女がいつまでたっても出てこないからだ。彼とて着替え途中の女性に声をかけることが無作法であるとは重々承知している。しかし、この状況ではやむを得ないと判断したのだ。
 何事か問題があって長引いているのであれば、早急に手を打たなければならないのだから。

「いいえ。何の問題もございません。もうすぐ支度が整いますので今しばらくお待ちください」

 衝立の横から女官が彼に告げるが。
 問題がないなら、たかだかドレスを着替えるだけにどれだけの時間がかかっているのかと男の顔には書いてあった。女性の支度には時間がかかることを知らないのだ。
 女官達は女性にドレスを着付けながら顔を見合わせ苦笑していた。互いに、女性との噂がない彼らしい、という表情で頷きあって。
 が、そんな女官達のように彼を知らぬ彼女は、着つけられながら申し訳なさそうに衝立の向こう側へと言葉を返した。

「お待たせしてしまって申し訳ありません。もう少しで終わると思うのですが……。私の事に構わず大庭園へ行ってくださいな。このままでは貴方まで遅れてしまいますわ」
「私のした事だ。最後まで責任を持つ。だが………………服を着るだけのどこに時間がかかるのだ?」
「そうですわねぇ。私の身体に布を巻きつけて腰ラインを調整したり、胸の形を補正したり、髪型を直したり」
「お嬢様っ」
「いろいろとドレスの下は細工が必要ですの。ご存知ないのですね。ご覧になります?」
「お嬢様!」
「細工とやらに興味はあるが、今は急いでくれ」
「はい。もうすぐ終わりますわ」

 彼女の言葉に女官達はギョッとしたが彼はさすがに衝立の奥にまでは入ってはこなかった。しかし、このやりとりで彼は毒気を抜かれたというか、苛々を治めることができたらしい。
 その効果を狙っての彼女の言葉なのに違いない。まさか着替えの様子を見せようと本気で誘ったわけではあるまい。そうに違いない。と女官達は言い聞かせ、最後の仕上げに取り掛かった。

 そうして、少々の時間の後。
 ようやく着替え終わった彼女が彼の前へと衝立から姿をあらわした。
 美しく装った娘を前に。

「それならば普通に歩けそうだな。行くぞ」
「はい」

 せっかく美しく装えた彼女に何の称賛の言葉をかけるでもなく、驚いて見せるでもなく、彼は彼女を急かした。
 女官達にしてみれば突貫工事であったが大層な力作である。激変とまではいかずとも、最初の彼女に比べるとずいぶんと美しくつつましやかに見えるはずであった。なのに無反応とは。女官達は彼の反応のなさにがっくりと肩を落した。まあ、彼ならこんな反応で全くおかしくはないのだが。彼が伴ってきた特別な女性ならば、と思ったのだ。期待が大きすぎたのだろう。
 女官達とは違い、何の反応もないことに彼女は気を悪くすることなく、女官達へにっこりと微笑んだ。

「皆様、大変お世話になりました」

 その穏やかさに女官達も思わず表情がゆるむ。
 女官達は不恰好なある意味とても挑発的な姿だったこの娘にさしていい印象はなかった。こう言っては語弊があるだろうが、街にいる頭の軽い娘なのだろうと考えていた。女性には興味のなさそうな彼のお気に入りと思えばこそ、根は悪くないのだろうから、態度に出すべきではないと丁重な扱いに見せていただけのこと。しかし。
 彼女の間の抜けた調子は彼のギスギスした状態を和ませるように見え。二人はちぐはぐであるのに、妙に息が合っているように感じられた。
 それゆえに、彼女に対する見せかけだけだったはずの空気は消え失せていた。

「行ってらっしゃいませ」

 彼女は女官達へ頷きを返すのもそこそこに、彼に腕を取られて歩き出した。その彼女の頭ごしに、彼も女官達へ頷いて見せ、満足を示す。
 容姿的にも性格的にも全く異なる二人だが相性はよいのかもしれない。
 女官達は静かに二人の背中を見送った。




 二人が大庭園へと足を踏み入れたところ。
 はじまったばかりのはずの庭園から彼女らの方へ歩いてくる男性がいた。
 その服装からパーティの参加者であることは間違いない。

「オルダー、何処へ行く?」

 彼はその男性へ声をかけた。
 足を止め、彼女達の方を向いた男性は、彼に比べるとずいぶん柔らかい印象の顔だが、鼻筋などどことなく彼に似ている。男性の表情も柔らかく、親しみが込められているようだ。彼の身内なのかもしれないと彼女は思った。

「トルドィウク兄上が遅刻なさるとは、珍しいですね」
「トラブルがあったのだ。お前はどこへ行く? パーティがはじまったのだろう?」
「私は一通り顔を合わせてきました。今回も気になる女性はおりませんでしたので、他の方々の邪魔にならぬよう退散します。兄上達はごゆっくりなさってください」
「待て、オルダー!」

 男性は爽やかに笑うと、彼の言葉に足を止めることなく歩き去った。

「追わなくてもよろしいのですか?」
「構わない。弟は……こういう場が、好きではないらしい」
「まあ、残念ですわね。女性には人気があるでしょうに」
「人気があるのか?」
「そう思いますわ。お顔やお姿が女性好みですもの」
「貴女もか?」
「ええ」
「……」

 大庭園の中には男女が大勢集まっていた。近づくと、集団はいくつもに分かれて皆楽しそうに歓談している。
 彼女はそろそろ彼に御礼を告げなければと思っていたが、先ほどから続く沈黙に言い出すタイミングを計りかねていた。
 彼が弟と別れてから何か考え事をしているように感じていたので。
 彼は沈黙のまま足を運び続け、集団からどんどん遠ざかっていく。彼女は意を決して声をかけた。

「あの、あちらに人が集まっているようですけれど……どちらへ?」
「この先に噴水がある」

 彼は彼女の言葉にも足を止めない。歩調をかえることなく向かう先にあるのは噴水らしい。この大庭園はとても広くて見事なので噴水くらいはあるのだろう。
 パーティに参加するには噴水のところへ行く必要があるのだろうか。さっきの集団に加わるのではなく。
 そう疑問を持った彼女だったが、それについてはそれ以上考えることをせず。

「よくご存知ですのね。こちらへはよくお出でになるのですか? さすがに王宮の大庭園。とても広くて綺麗な庭園ですわね」
「そうだな……昔はよく、遊んだからな」

 そういえば参加している男性は王族や王族関係の人なのだと彼女は思い出した。すっかり忘れていたけれど、この彼もパーティの参加者ということは王族関係の男性なのだ。王宮の一室を使い、ドレスまで用意できるほどの。

「まあ……あの……」

 彼女は彼の名前を聞いてなかったが、ようやく彼が大層身分の高い人だということに思い至った。先程の男性は彼を何と呼んでいたのだったか。確か……トルドィウク兄上と……。それは第三王子のお名前ではなかっただろうか?
 ということは先程の男性は弟の第四王子で。さすが王宮ともなると王子様と遭遇することがあるのだ、それも二人も! 家に帰ったら妹達に話して聞かせようと思い。ふと。
 自分を連れて歩いているのが、その王子様なのだとやっと気付いた。なんと親切なこの男性が、王子様!
 彼女にしては珍しく失礼のないようにしなければと考え、態度を改めるべく気を引き締めた。

「この度は大変お世話になりました。遅くなりましたが、御礼申し上げます。本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません」
「礼はいらない。だが、いきなりだな。何が言いたい?」
「パーティに参加するのに私のような連れがいては、貴方が女性を捕まえられないではありませんか。このパーティは男性が招待された娘達の中からお好みの娘を捕まえるという趣旨なのでしょう? お好みの女性は早く捕まえなくては」
「趣旨は……間違いではないが………………まあ、いい」
「まあ、もしや貴方も女性が苦手でいらっしゃるのですか? それなら無理にはお勧めできませんけれど。でも、さっきチラッとみたところ、かなりの美女が揃っておりましてよ。私は目が良いのですの。お気付きになりませんでした? 貴方も美女はお好きでしょう?」

 態度を改めたはずだったが。彼女には身分の高い人への対応がそもそもよくわかってはいなかった。なにせ、田舎の閉じた世界での暮らしではそのような事態に遭遇することはなかったのだ。それに彼女の育った地元では、まあ彼女だし……で大目にみられる傾向もあった。平和な田舎だったので。
 彼女の彼への接し方が変わらない理由はそれだけではないのだが、簡単にそれに気付く彼女ではない。

「……嫌いではない……が……」
「貴方のような優しく親切な方は、ついつい美人を他の方に譲っておしまいになるのですわ。もったいないこと。さあ、ドンとお捕まえになって! 先に捕まえて攫ってしまえばよろしいのですわ。父や父の兄弟はみなそうして妻をものにしたと自慢気に申しておりました」
「……貴女は、何か思い違いをしているようだが……」
「美人は、お好きでしょう?」
「それには……答えずにおこう。話がそれる。まずは貴女のことだが、なぜパーティに参加を?」
「私ですか? 私の家、ビスコーテ家は下位貴族の家柄です。そして娘ばかりの四姉妹。貴族娘の結婚には何かとお金がかかるものでしょう? ですから少しでもお金をかけずに殿方を捕まえようと参加を申し込みましたの。もちろん真っ先に地元の社交場へは顔を出しましたわ。ですが、お恥ずかしい話ですがどなたとも縁がありませんでしたの。他所の社交場に出席するとなると、何かと物入りですし。こちらに参加できて本当に運が良かったと思います。豪華な送り迎え付きなのですもの。あら、まあ、余計なお喋りが過ぎましたわ。こういう内情は誰にも内緒になさってくださいませね」
「なかなか堅実な事だ」
「堅実、ええ、堅実であるべきでした。王宮からのお迎えは本当に美味しくて贅沢な日々で、ついうっかり溺れてしまいましたわ。殿方の確保が第一のはずでしたのに。でも生涯で一番の美食な日々でしたの。きっと領地に戻っても忘れられませんわ。あら、でも、帰りもそうかもしれませんわね」
「それほど満足いただけて何よりだ」
「ええ、本当に素晴らしい対応をしていただきました。……で………………何のお話をしていたのでしたかしら?」
「いや、もういい。だいたい把握した」
「そうですの?」
「私の名は、トルドィウクという。貴女の名を教えてくれるか?」
「私……まあ、私ったら、散々お世話になっておきながら名乗りもせずおりましたのね! 申し訳ありません。遅くなりましたが、私はルフォナ・ビスコーテと申します」
「悪かった。私が名乗らなかったので、貴女も名を告げるタイミングを逸したのだ」
「トルドィウク殿下?」
「……」
「まあ、まあ……まあ、どうしましょう。……申し訳ありません、殿下。数々のご無礼を」

 彼女はつい少し前に第三王子だと気付いていたはずなのだが、改めたはずの態度がすっかり元に戻っていたことに慌てていた。
 もちろん彼がそれに気づくはずはない。彼女の改まった態度は彼女の脳内で、しかも僅かの間だけのことだったのだから。

「そう構えられると、困るのだ」
「……殿下……」
「名を告げると、皆、態度を変えてしまう。それが残念でならない」

 その言葉に、彼女は少し複雑な表情で彼を見返した。彼女は確かに王子だと気付き、彼に言われる前に態度を改めたはずだったのだ。今、変えたわけではなく。

「変えないわけには参りませんでしょう? 殿下」

 彼女はそう口に出したものの、嘘をついているようで胸に何かが詰まっているような心地の悪さを感じていた。変えたつもりだったのですが、ついうっかり……と内心言い訳をしながら視線を泳がせる。
 その彼女の様子が彼の目には、明るく朗らかな様子が消え、怯えているように見えた。

「殿下ではなく……名を知らなかった時のように貴方と呼んでくれないか」
「まあ……そう、呼べないことはありませんけれど……それでよろしいのですか?」
「あぁ、構わない」
「まあ本当ですか? 嬉しいですわ。実は、貴方が王子様だとは弟様とお会いになっていた時に気づいておりましたの。あの方がトルドィウク兄上とお呼びになってましたでしょう? ですから、殿下に粗相のないようにとこれでも態度を改めたつもりでしたのよ? お気付きになりまして?」
「……いや、全然……」
「そうですわよね。私も先程殿下が名乗ってくださるまで、うっかり忘れていたことに気づいたのです。本当に忘れっぽくて。でも、貴方はお優しい方ですから相手を緊張させないのでしょうね」

 それは絶対に違うと彼は思ったが、賢明にもそれを口に出したりはなかった。彼女は彼のことを非常に優しい人物だと思い込んでいる。それを理由にすることで様々な事を悩まず自己解決できる、奇特な性格をしているらしい。通常の人は、うっかり王子であることを忘れたりはしない。おそらく彼女が緊張するには身分以外の理由が必要なのだろう。
 彼は彼女を連れ、大庭園の建物側の方へと向かった。パーティの参加者達の中へ入るために。
 それを彼女がわかっているのかは不明だったが、微笑みを浮かべていることは確認した。あまり深く考えない女性らしい。
 そうとわかっていながら、彼女が自分をいい人だと思っている事を知っていながら、それを利用しようとしていることにわずかに後ろ暗い感情を抱いた。自分が彼女を伴って歩くということがどういう意味を持つのか、彼女にわかるよう十分に説明すべきではないのか。
 しかし、彼が足を止めることも方向を転じることも、そして彼女へ説明することもなかった。



 大庭園では参加している人々の大半がその場にいた。集団は小さく分裂しつつあったが、まだ参加者同士があちこちへと動き、挨拶を交わしているところだった。
 そんなところへ近付く彼の姿を認めると、あちこちから視線が集まり数人の娘が歩み寄ってきた。

「トルドィウク殿下。私はエリオンの娘、マチア・エリオンでございます。お目にかかれて嬉しゅうございます。この日をどんなに待っていたか、言葉では言い尽くせません」
「マチア・エリオン嬢、王宮のパーティへようこそ。パーティは夜も催されるので存分に楽しんでくれ」

 一人の娘の言葉を皮きりに、次から次へと彼に対して娘達の自己紹介がはじまった。
 トルドィウクの衣装は王子であるだけに特別に豪華なものだ。参加している娘達のほどんどが彼の顔を知らないはずだが、その場の誰よりも身分が高い人物であることは見て取れる。
 そしてこのパーティに参加する娘達は第三王子、第四王子が参加する事も知っている。パーティの前から王子達の容姿についての詳しい情報を入手するくらいのことは当然。彼女ルフォナ・ビスコーテのような全く情報も得ずに参加する娘は、そうそう、いない。
 彼と彼女を娘達が取り囲んでいたが、彼女はニコニコと笑みを浮かべて聞いていた。口を挟む事もなく。
 一通りの挨拶を受け終わると。

「では、我々はこれで失礼しよう」

 彼は彼女だけを連れてその場を後にした。
 参加者達から遠ざかっていく。彼女はしばらく歩いたところで彼へ問いかけた。

「よろしかったんですの? どなたもお目にとまりませんでした?」
「……」

 彼女は隣で歩く彼を見上げたが、彼は何も答えず苦笑を浮かべるだけ。
 ふうっと溜め息をついたのは彼女だった。

「殿下は好みがうるさいのですね? そんなにぱっと見だけで判断していると、いい娘は捕まえられませんわよ?」
「そうかな。……殿下呼びは嬉しくない」
「わざとお呼びしましたの。女性は内面を見るべきでしてよ?」
「それは彼女等にも言ってもらいたいものだ」
「仕方ありませんわ。貴方はとても良い方だとお顔や雰囲気に滲み出ているのですもの」
「……」

 それはない、と彼は思った。ニヤリと笑いながら無言で。彼女の言葉を兄弟達にぜひ聞かせてやりたいと考えながら。
 彼は彼女をともないテーブルや椅子が並べられている大庭園の隅へと向かった。
 そこには飲み物や食事、菓子などが食せるようになっている。
 テーブルの上に美しく並べられた菓子が目に入った彼女は、それに目を取られて言葉が途切れた。

「王宮の料理人達が腕をふるったものだ。貴女の口に合うだろう」
「……でも……まだパーティははじまったばかりですのに…………」

 料理の方は着々と準備中で、並べられたテーブルには誰も座ってはいない。
 パーティははじまったばかりなのだからそれも当然なのだが。彼は彼女と食事をとるつもりらしい。
 彼女の頭の中では『王宮の料理人達が腕をふるったもの』という大層魅力的な言葉がグルグルと旋回し、目は整然とならぶ菓子の山をとらえて離さない。背後には音楽が奏でられ始めていたが耳には入らず、料理の鍋から漂う香りが彼女の鼻を刺激し、食欲をそそる。

「………………これ以上食べると、帰りの、服が…………」

 必死で誘惑に抵抗しようとする彼女だったが。ごくりと唾を飲み込み、目はパチパチと瞬きを繰り返し、落ち着かない。誘惑に負けたくてたまらない様子が何とも……。
 そんな彼女に、彼は軽く一押しした。

「王宮の料理人の腕をぜひ堪能して欲しい。彼等も貴女が美味しそうに食べてくれれば喜ぶだろう。服の事は帰る時に考えればいい。帰るまでに痩せればいいのだろう? その時は、私も協力する。心配は無用だ」
「まあ何から何まで御親切にありがとうございます。そうですわね。その時に考えればいいのですわ。ええ、そうですわね。王宮の料理人のお食事なんて贅沢、逃すわけにはまいりませんわよね!」

 誘惑に屈した彼女は次々に運ばれてくる料理に感嘆し、美味しいと声を上げ、ニコニコと笑顔で料理を平らげていった。
 もちろん彼もいっしょに食事をしていたのだが、彼女はやはり王子の前だということを綺麗に忘れており、笑顔で食事をする二人の様子に給仕の者達はみな目を丸くしていた。



 パーティは二日間続き、その間、彼女は何度もその誘惑に乗ってしまい。帰る頃には最初に心配した通りの事態となったのだが。

「帰りの服が着られるように痩せるまで王宮に滞在すればいい」

 と言って彼女を言いくるめた。
 しかし、王宮に滞在すればするほど、運動しても痩せる暇などなく。滞在期間はのびていくばかり。
 食事を断とうと思っても彼自身が彼女と一緒に食事を取るものだから、ついつい食べてしまう事になる。
 その繰り返しで、とうとう一年もの月日が流れてしまった。

「殿下! わたくし、決心しましたわっ! 本気でダイエットをいたしますっ」
「どうしてだ?」
「王宮に来てもう一年になります。このままではいつまでも貴方のご厚意に甘えて、お世話になりっぱなしですもの。誘惑に勝たなくては!」
「痩せる必要はない。が、もう一年か。そろそろいいだろう」

 彼は官吏に持って来させた書面を彼女に差し出した。
 何だろうと思いつつ彼女はそれを受け取る。その彼女の横に官吏が携帯文台を捧げて待つ。文台の上にはペンが置かれていて。

「それにサインして欲しい」

 彼女が文面に目を落すと、それは婚約の誓約書だった。
 婚約? 婚約?

「貴女がいつまでたっても私を親切な人としてしか見ず、結婚相手と考えないので今日まで来てしまったが。貴女以外は皆、私達を恋人同士だと思っている。異存は?」
「…………それは……………………貴方も?」
「もちろんだ」
「…………異論は、ございません」
「では、サインを」
「はい」

 彼の言葉に従い、彼女は素直にペンを取った。そして携帯文台に書面を置く。
 そうしろと言ったのは彼であるにもかかわらず、彼女の行動に対して彼は非常に不満を抱いた。

「ルフォナ・ビスコーテ」
「はい?」
「そんなに簡単に署名してもいいのか? 貴女の将来を決める書類だ。それを本当にわかっているのか!」

 彼の声は尖っていた。吐き捨てるかのような口調は、彼女を蔑んでいるかのように響いた。
 だが、苛立っている時にはそうした口調になることはこの一年で彼女にもわかっていた。そして、ぼんやりと最近何かと苛々していた彼の様子を思い浮かべる。苛立っていたのは、自分がいつまでも王宮に留まっているからだと思ったのだが。

「わかっておりますわ、トルドィウク殿下。ええ、よくわかっておりますとも。貴方のご厚意に甘えて、王宮に居座り続けたのは私ですもの。ご恩を返しもせずに」

 彼へにこやかな笑みを返した。彼女が想っていたように、彼もまた悩んでいたらしい。彼女は彼の苛々の理由をそうとらえた。
 深く考えないようでいて、彼女は自分が嫌な事を笑顔で誤魔化したりはしない。直感で行動しているらしく彼女の考えや行動は理解できない事も多いが、その表情は素直に彼女の感情を写している。彼もまた彼女との一年でそれを知っていた。

「それなら、いい」
「でもダイエットはしませんとね。妹達に呆れられてしまいますわ」
「痩せる必要はない。そのくらいの方が抱き心地がよくて私は好きだ」
「まあ、貴方は、太めがお好きでしたの?」
「……大きめの胸が好きなだけだ。これで貴女の妹達にドレスを贈る約束が果たせるな」
「そんな約束しましたかしら?」
「したとも」


 二人の婚約誓約書は直ちに国王夫妻へ届けられつつがなく承認を得た。
 その後、彼の協力(?)により彼女は少々痩せ、彼に贈られたドレスを着て実家へ戻ることになった。
 彼女は彼、第三王子とともに帰郷し、領地一帯が大騒ぎになるのだが。彼女はそんな事態を想像もすることなく。出迎えてくれるだろう妹達、両親達に彼を何と紹介しようかとそれにばかり頭を悩ませて。
 二人を乗せた馬車は彼女の実家へ向かった。彼等を護る騎士達、仕える者達、妹達への贈り物であるドレスを作成するためのドレスメーカーの人々も同行するという大行列で。

「ただいまーーーーーーっ」

 馬車の窓から身を乗り出し、大声で叫ぶ彼女の声が故郷に響いた。


~The End~

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