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第79話
 汚れた手袋は捨てた。
 
「……ったく、何も無しか」
 術士は俺が知りたいことを、吐かなかった。
 吐かなかったんじゃなく、吐けなかったが正しいか……。
 知らないんだから、言いようがねぇな。
 雇い主の名前は口にしたが、分りきってるそれに興味なんかない。
 欲しかったのは竜族から竜珠を盗む<珠狩り>の奴等の情報と、尻尾すら掴めない<導師>の事だ。
 陛下は旦那についこないだも、めげずにまた協力を求めたが……あっけなく断られてたっけ。
 旦那を動かすには姫さんを‘使う‘のがてっとり早く確実なんだが、陛下はそうはしなかった。
 もし、陛下が。
 四竜帝が竜族のために、あの子を使ったら。
 旦那は……。
「ダルフェ、行くわよ。あそこにいる獣達が死肉を待ってるわ。餌が少ない時期ですもの、じらしちゃ可哀想」
 雪の壁からこちらを見下ろす、数頭の狼。
 頭の良い動物だから、俺達が立ち去るのを大人しく待っている。
「ああ、そうだね。しっかし、10年以上追っかけて、こうまで結果が出ないってのは……」
 皇太子達が出てこれないように外から施錠した馬車を流し見て、カイユは苦笑した。
「……仕方ないわ。簡単には辿り着けない。だから陛下は贔屓にしているあれ(・・)まで【餌】にした。あの方の性格にしては、思い切った選択だっだわ。あの子……陛下なりに、必死なのよ」
「陛下なりに……か。ハニーは陛下にゃ甘いからなぁ~、妬けちゃよ」
 陛下の両親は、陛下が幼竜の時に死んだ。
 親同士が親しかったため、城の宿舎に住んでいたハニーの両親が面倒を見てやっていたらしい。
 幼い時を、共に過ごしたせいだろう。
 当代陛下に、姉のような……家族のような感情をカイユは持っている。
 カイユが<青の竜帝>を<主>としているのは、竜騎士だからじゃ……強者への恐怖心なんかじゃない。
 俺のアリーリアは、<ランズゲルグ>を守るためなら喜んで命を捨てるだろう。
「私には父も子供達もダルフェ……テオ、貴方もいる。陛下は……<青の竜帝>は‘独り‘で立たなくてはいけない。優しく哀れなあの子の変わりに、私があの子の敵を狩る。約束したの……カッコンツェルと」
「カッコンツェル? 誰、それ?」
「……私の初恋の人」
 寂しげな笑顔を浮かべた顔に手を伸ばし、引き寄せて唇を合わせた。
 他人の目のある所では、唇にはしない。 
 でも、死体だったら目が開いてようが見えないしな。
「ふ~ん。そいつ、もう死んでる? ……だったら殺す手間が省けるんだけどなぁ」
 唇を触れ合わせたまま、言った。
 俺は。
 竜の雄は。
 死人にさえ、嫉妬しちまうんだ。
 ここで今すぐ君と繋がり、俺への想いを確かめたいほどに。

 唇への接吻は。
 ‘貴女が欲しい‘というサイン。 

「テオ。大人気ないわよ?」
「アリーリ……ぐげっ!?」
 唇への懇願に、返ってきたのは腹への膝蹴り。
「まったく。竜の雄はこんなんだから、私達雌が‘強く‘ならざる得ない。ほら、さっさとしなさい役立たず……あそこを踏み潰すわよ?」
 黒光りするブーツの踵がカツンと、石畳に強く当たって音を立てた。
「君になら、喜んで」

 跪き。
 愛しい人の手をとり、指先に口付けた。

「……馬鹿な人」

 俺の心が狭いんじゃなく。
 竜の雄なんてのは、そんなもんだ。
 愛した雌に全てを持っていかれちまう。
 心も、身体も。

 全て……総て。

 本当は。
 君を放したくない。
 どこまでも、どこまでも。
 君を一緒に連れていってしまいたいんだ。
 格好つけて、強がって。
 独りで逝くって、決めたけど。

 ねぇ、旦那。
 俺は意気地無しだから。
 あんたみたいに、なれないんだよ。

 子より、俺を選んでなんて。
 怖くて。
 そんなこと怖くて、俺には言えないんだ。

 昔。
 ブランジェーヌの膝で丸くなって、俺が昼寝するような歳……幼竜の頃。
 竜族の個体減少の一因には雄が持つ雌への‘狂気‘もあるのかもしれないと、黒の爺さんが電鏡で母さんに言ってたっけ。
 そんときゃ餓鬼だったからピンとなかったけど。
 
「愛してる、カイユ」

 今の俺は、爺さんの意見に素直に頷ける。
 
「俺の、アリーリア」

 慈しんでくれた両親よりも、血を分けた我が子よりも。
 
「……アリーリア。君を、誰より愛している」

 細い腰に両腕を巻きつけるようにして、顔を押し付けた俺に。
 アリーリアはそっと……優しく髪を撫でてくれた。 
「そんなの、知ってる。嫌ってほど……分ってるわ、テオ」 
 雄は雌が‘全て‘だ。
 だが、雌はそうじゃない。
 俺の髪に触れる君のその手を、独占したいと。
 この、胸の……心の奥で。
 ダルフェではなく、テオが吼えているんだ。

 それは、永遠の恋心。

 君が、俺の全て。





「さぁ~て、ぼちぼち出発しようかねぇ」
 俺の……竜騎士の制服の内ポケットには、新しい手袋がいつでも2組しまってある。
 御者台に戻り、予備の手袋をはめて手綱を握った。
 カイユは俺の隣に腰をおろした。
 軽く膝に添えられたその手にも、真新しい白い手袋。
 この手袋は人間と違い、防寒の為なんかじゃない。
 竜騎士をやってると、手袋は1年中必需品だ。
 汚れ仕事が多いからな。
 特に雄は雌よりも、手が‘汚れ‘ることに対して嫌悪感が強い傾向がある。
 雌に強い執着・独占欲を持つ竜族の雄は、愛しい雌に触れるその手が他者の体液で汚れるのを嫌がる。
 旦那が蜥蜴蝶で作られた外套を羽織り、手袋をはめながら現れたあの時。
 狩りを……自分の手で殺しをする気だと覚った。
 手を使わずになんでもぶっ壊せる人が、手袋をした。

 それは警告じゃなく、宣告。

 オフとパスは殺され、姫さんに手を上げた術士とその関係者も……国も土地も、この世界から消え去るんだと俺は思った。
 蜜月期の雄は、雌に関する事には理性なんて吹っ飛んで当り前だからな。
 だが、想像していた以上に旦那は冷静に動いた。
 かなり‘我慢‘したんだろうが。
 怒りを抑え、姫さんの事を考えてあの‘結果‘を選んだ。
 普通の竜族では考えられない、本能を越える強い理性。
 あの<ヴェルヴァイド>に、それを与えたのは異界の娘。
 陛下が望んだ通り。
 あの子は<ヴェルヴァイド>から……最凶最悪の竜から、この世界を守るだろう。
 旦那はあの子の為に【世界】を維持し続ける。
 花も菓子も、ドレスも。
 姫さんが好きなものや、生きるのに必要なものを。
 その全てを魔法のように無から取り出し、旦那が与えられるわけじゃない。
 <りこ>が存在する限り、<ハク>は世界を放棄しない……出来ないんだ。
 たった1人の女の為に。
 この世界が旦那にとって、無くてはならないモノになった。

 旦那は四竜帝と一部の人間共に、自分の‘つがい‘である姫さんが<監視者>に強い影響力を持つことを思いしらせ、本来は処分されるべき異界人の娘の存在価値を揺ぎ無いものとした。

 善い(・・)存在だとは思われないが、必要(・・)な存在だと思わせる効果は充分だ。

 旦那は、本当に頭が良い。
 姫さんが世界を望まなくても。
 竜族も人間も。
 <世界>が姫さんを必要とするように仕向け。
 旦那はこの世界全体を姫さんの【檻】にして、竜族と人間という【枷】で雁字搦めに縛る気なのか。

 あの子は。
 救いを求める手を振り払えるほど、強くはなれない。
 旦那はその事を、ちゃんと分かっている。
 
「急ぐか……ポルの街に寄って、坊ちゃん方に昼飯食わせなきゃだもんな」

 だがね、幸か不幸か。

 可哀想なあの人には、一番大事なことは分からないんだよ。


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