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第56話
「あん? ……なんだって? もう1度言ってくれるか、パス」
 俺は床に転がした術士の右手首を踏みつけ、血と泥で汚れた手のひらに短剣を刺した。
 床に固定させる為に、深々と差し込む。
 左手と両足にも同じ処置をした。
 薬を打たれ意識の無い術士は、全くの無反応で……つまらない。
 術の起動には手のひらの<基点>が重要な役割を持つので、こうしておけば術式は使えない。
 ま、最高位クラスの術士になると<基点>を潰しても無駄なんだが……。
「え〜、だからぁ! これで追いかけっこしてたらちっこい人間の女が捕まってて、匂いと気がヴェルヴァイド様ので……金の眼してて。一応、陛下にはこいつを捕まえてすぐに、電鏡で連絡いれといたけど。陛下が逃げろって言ったしさ〜」
「……姫さんか」
 ああ、全く……なんてこった。
 姫さんと鉢合わせしたのか。
 だから、旦那は。
「そういえば……奥方様は拉致される際に、頬を打たれたらしく顔が腫れていました。術士の男は我々が彼女はヴェルヴァイド様の奥方様だと言ったのを聞きとり、彼女を捨てて逃げたので追いました」
 おい。
 なんだってー!
「オフ、姫さんは怪我してたのか? てめえら、怪我したあの子をほっぽらかして術士を追ったのか!」
 オフランは首をかしげた。
「いけませんでしたか? 大した怪我ではありませんでしたし、何よりあの場に留まっていたら我々が殺されていました……ぶち切れたヴェルヴァイド様に。陛下から退避命令も出ましたし」
「このクソ餓鬼が! 旦那は姫さんの目の前じゃ、殺しはしねぇんだよ……ちっ、ややこしいことになっちまったなぁ」
 そのぶち切れた旦那の気に飛び起きた陛下は、まだ不安定な皮膚を特殊な包帯で固定して。
 避難命令を出し、旦那のもとに駆けて行った。
 内部損傷が激しく、竜体になれない最悪の状態の身体を無理矢理に動かし。
 たった1人で。
 <竜帝>に旦那を止める力は無い。
 陛下は城の竜族を逃がすため。
 盾になるために……死にに行ったんだ。 
 今回は被害も大したことは無く、陛下も死なずに済んだが。
 だが……。
 パス達の会話から、姫さんが<監視者>のつがいの娘だと察しただと?
 つまり、そいつは<監視者>が<ヴェルヴァイド>だと知っていたということだ。
 旦那は自分から<ヴェルヴァイド>と名乗ることはしない。
 竜族が昔からそう自分を呼ぶから、便宜上容認しているというか……。
 近年の人間の中で<ヴェルヴァイド>と<監視者>を同一の存在だと知っているのは、気づいているのは極少数で。
 が、この術士は知っていた。
 この程度の術士が、何故だ?
「そいつ、殺しとかなくていいの?」
 パスハリスは俺が<基点>の処理だけで終わらせたことに、不満げな声をあげた。
「……つがいに害を加えた者に報復する権利は、夫のもんだ。こいつは旦那の獲物なんだよ。もう、お前らの玩具じゃねぇんだ」
 北棟に地下室の床に縫い付けられた術士は、薬が効いて……ったく、暢気に寝てやがるなぁ。
 こいつに待つのは。
 世界最強竜……最凶最悪の男の復讐だ。
 つがいを……大切な妻に触れられたうえに傷つけられた蜜月期中の雄竜の怒りは、人間の想像以上のものだ。
 しかも、この術士が怒らせたのは旦那で。
 旦那を本気で怒らせた者は、今まで1人も居なかった。
 基本的に旦那は物事に無関心で、感情も動かない。
 ……以前は、な。
 姫さんを得て、旦那は変わった。
 <感情>を知って……泣いて、怒って、微笑むことも出来るようになったんだ。
 あの人は変わった。
 ある意味。
 この術士は人類史上、英雄なのか?
 あの<監視者>に喧嘩を吹っかけたというか……ま、故意じゃねえが結果的にというか。
「ねえねえ、ダルフェ。僕達、どうなるの? ヴェルヴァイド様にぼこられちゃうかな? あ、でも最初にやられんのはこの術士か! その間に逃げ……逃げ切るなんて無理だよね〜、ううっどうしようー! 母様、父様。先立つ不幸を許して〜!」
 あわあわと喚くパスハリスとは対照的に。
 年下のオフランは翡翠のような眼を、細め。
「パスは本当に低脳だな。ダルフェが言ったのをちゃんと聞いて……聞いてても、理解出来なかったのか。なら、仕方ない。生き延びる術は、ただ1つ! つまり、奥方様に取り入るんだ。一刻一秒も早くな」
 俺は自信満々に言い切った餓鬼の薄茶の髪を持つ頭に、拳骨を落とした。
「……痛いです、ダルフェ」
「てめえは、まったく……。しかしまぁ、その案が確実で手っ取り早いかぁ。魔女閣下もその手で旦那を抑えて、やりたい放題してたしな〜。姫さんの優しい心に付け込むみたいで、俺は嫌なんだが……カイユも怒りそうだなぁ」
 俺の言葉に、2人はすばやく反応した。
「カ、カイユさんがなんで怒るのっ? あのカイユさんが怒る……ぎゃあああー! 想像したくないようぉ!」
 俺は呼び捨てで、ハニーは‘さん‘なんだよなぁ〜。
 ま、いいけどな。
 パスハリスは無造作に編んだ金茶の髪を両手でかき乱し、叫んだ。
 パスハリスより年下で、頭1つ分背の低いオフランは一言。
「地獄絵図」
 と、小さな声で呟いた。 
 おい、お前ら。
 何故に旦那の話してる時以上に、取り乱してんだよ。
 ま、確かに。
 俺の愛しいハニーは、綺麗で強くて。
 青の竜騎士の中で、ぶっちぎり1位の冷酷非情な武闘派だが。
 そこがチャームポイントの1つなんだぜ?
「光栄に思え、餓鬼共。カイユの拳は最高だぞぉ? あんまり良すぎて、意識飛びっぱなしになっちまうだろうな〜」
 俺は震え上がった2人を放っておくことにし。
 壁際に黙って立っていたヒンデリンに声をかけた。
 常より険しい表情から、こいつなりに反省してるとは思うが。
 青の竜騎士の頭であるカイユが、姫さんの侍女を辞める気が無い現状では。
 こいつらの手綱を絞めんのは、俺の役目だしな。
「おい、ヒンデリン。俺はお前に、術士3人の処理をしとけって言ったよな? 2人がばらばらで使えなかったから、この星持ち野郎から依頼主を聞き出し旦那に報告した。そこまでは良かったが……最後まで後始末しとけ。てめえが餓鬼共に甘かったから、こんな事態になったんだぜ? 現陛下を失いそうになり、帝都を壊滅の危機に晒したんだ」
 俺は対術士の訓練として星持ち野郎を使うつもりだったが。
 ヒンデリンは可愛がっている餓鬼共の‘玩具‘として術士を扱った。
 玩具を貰った2人は訓練としてではなく、狩りごっこで遊んでしまい。
 すぐに仕留められたくせに、遊びの時間を無意味に長引かせ。
 油断した隙に、短時間だが見失い。
 結果が、この様だ。
「ダルフェ! ヒンを怒らないで、僕達が悪かったんだよ!」
「ヒンは悪くない、我々が……!」
 パスハリスとオフランは、俺からヒンデリンを隠すかのように間に入ってきた。
 こいつ等は。
 お前らはっ!
 死ぬ気で駆けて行った陛下には謝罪も、感謝の言葉1つさえ出てこないのに。
 陛下に……竜帝はっ。
「……陛下の変わりはすぐに【発生】するからか? 陛下は……竜帝は、竜族を命がけで守って当たり前だから……お前らにとっては竜帝は捨て駒で。普段、可愛がってくれるヒンデリンの方が何倍も大事なんだな」
「ダ、ダルフェ?」
 パスハリスが薄いブルーの眼を、戸惑うように俺に向けた。
 根本的に。
 俺と、こいつ等は……違うのだ。
 こいつ等は、自分達の失態で陛下がどうなるかなんて考えもしない。
 陛下……竜帝が竜族の為に死ぬことに、なんの疑問も感じない。
 <竜帝>なんだから、竜族の為に死んで当たり前だと。

 ブランジェーヌ。
 貴女は。
 それで良いのだと。
 本望なのだと。
 真紅の瞳で、笑っていたっけ。

「済まなかった、ダルフェ。私のミスだ。陛下とヴェルヴァイド様には、私が罰を乞う。パス達は許してやってくれ」
 深々と、群青の頭が下げられて。
 逸れてしまった思考を力ずくで、戻した。
 今、考えなければならないのは。
 <竜帝>達の事じゃない。
 旦那と姫さん。
 この2人が最重要だ。
 カイユ……アリーリアと胎の子の為に。
 世界を、遺す。
 旦那に、世界を放棄させたりしない。

 姫さん。
 頼むから、世界を見捨てないでくれ。
 俺は、アリ−リア達を最後まで護ってやれないから。

 俺に残された時間は、けっして長いものじゃない。
 姫さんに、託すしかない。

「……お前ら全員、風呂入って血の匂いを落として来い。姫さんの昼食後、顔合わせをすんから。俺が旦那に許可とっとく」

 愛しているよ、アリーリア。
 そして、胎の中で眠る俺の子よ。

「姫さんが側にいりゃあ、旦那はおとなしいもんだ。お前らを<処分>しやしないさ」

 今も昔も、これからも。
 愛しているよ、ブランジェーヌ。  

「ヒンデリン! 手土産に花を持って来い。姫さんには宝飾品なんかより、そーゆーもんが効果的だかんな」
「……承知した」

 
 愛しい君達に、この世界を遺す。













〜おまけ〜
 りこ中日記(りこ中心・中毒のハクちゃんの日記です)
   <x月x日>
 我の手により、無理やり繭から引きずり出されたりこは。
 身体機能が、未だ正常に戻らない。
 眠っているか、焦点の合わぬ瞳でぼんやりとしているかで……。
 まるで生きた人形のような、我のりこ。
 我に視線を合わす事も、我の名を呼んでくれることも無く。
 我はとても寂しく。
 辛くて、辛くて。
 支店の者達の不手際に、制裁を加える気力も沸いてこない。
 ああ、りこが元気で笑っていてくれなければ。
 今の我は……ダルフェが言うには、ふにゃふにゃのへろへろなのだ。
 初体験の‘ふにゃふにゃのへろへろ‘に、戸惑っていた我だが。

「トリィ様、お薬ですよ? あ〜ん」
 我はりこと離れる気になれず、りこを自分の身体の上に乗せて過ごしていた。
 その我の目の前で、それは行われた。

 あ〜ん

 カイユが小さな銀のスプーンで。
 蜜薬をりこに与えたのだ。
 
 それは、脳天に雷撃を受けたような衝撃で。

 あ〜ん……あ〜ん?!

「カカカッ……カイユ! そっ、それを、我にやらせるのだ! 我がやるっ!」
 
 最初は緊張のあまり手が震え、スプーンを数本折ってしまったが。
 なんとか成功した時は。
 歓喜のあまり。
 蜜薬を与えたばかりの唇を貪ってしまい、カイユに怒られた。

 あ〜んは、とても良い。
 我の冷たい身体の奥底から、温かい何かが浮かび上がってくるようで。

「りこ、我のりこ。我は今後もずっと‘あ〜ん‘をしたい」

 この温かな何かが。
 我の冷たい身体を。
 りこに触れる、我の手を。
 冷たい、この手を。
 貴女の温かで優しい手のように。
 
 いつか。
 変えてくれるかもしれない。


「りこ。あ〜んだ、あ〜ん」
 
 
 


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