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  黄海に消ゆ 作者:俊衛門
玖:乳白幻影
 繁華街を下っていた。道に散乱した、デモ隊の旗。異民族の市民権確保――それに対する弾圧。警官隊との衝突の痕が、アスファルトの道沿いに点々と残っていた。殴られ飛ばされた歯や、こびりついた血痕。人通りはない。破壊された屋台や放置されたガス車など、どれも城砦を飾る小道具にしかならない。
 走査(スキャン)した。
 電灰のくびき、並列して表示されるバックグラウンドにニュース映像が張り付けられる。一部の異民族による、漢人を狙った暴動――世間では、そういうことになっているらしい。
 頬を、雨粒がなぞる。霧雨、汚染物質を多分に含んだ粘性の水滴が、じっとりと膚を濡らした。まるで培養槽に浸かっているような心地にさせる。視界はフィルターがかった白。構造物の輪郭を曖昧なものとしていた。境界を失った、曖昧なイメージを投影して、佇んでいた。
 ふと、視界の端に白い人影を認めた。向き直る。
 往来の真ん中に、子供が立っていた。少女の姿。襤褸(ぼろ)を巻き付けた、衣服とも呼べない布を纏っている。痩せた骨格、筋張った手足が延びていた。白い膚は土に汚れている。  所々擦り傷さえある。うなだれていて、顔は伺えない。それでも少女と思ったのは、布地をわずかに押し上げる胸の膨らみと、みすぼらしい格好とは不釣合いなほど艶やかな黒髪から判断した。
「未成年の夜間外出は禁じられているぞ」
 話しかける。無反応。立ちすくんだまま。息を吐いた。
 戒厳令下、夜間外出の規制――外出したものは警察に保護される。大半はそのまま帰ってこない、ことが多い。
 少女が何か呟いた。雨音にかき消され、良く聞き取れない。
 何を――
 問い返そうとしたとき、少女が急に間を詰めた。五メートルほどの距離を、一足飛びで。気づいたときには、間合いの内に入られていた。
 少女の腕が横薙ぎに降り抜かれた。
 咄嗟に仰け反る。殆ど反射運動だった。次いで、顎先を刃がかすめ、膚を削り取った。
 少女の手に握られているもの――雁翅刀(がびゅうとう)。細身の片手刀、刀身はサーベルに似る。
 どこの刺客か――考えるよりも体が動いた。
 刃が降りおろされた。反射的に牙狗を抜いた。二発、撃つ。
 奇妙なことが起こった。銃弾が、少女の体をすり抜けたのだ。霞を撃つような、手応えを得た。
 雁翅刀が唸る――撫で切り、李聖鬼の首をかすめた。皮一枚、刃が切り開く。紙一重で交わし、銃を向けた。照準あわせ、そのとき奇妙な感覚に陥った。
 フラッシュバックが、揺さぶった。幻覚か、あるいはそれこそが現実だったのか。瞼に鮮烈な像、故郷の香り。断片的な情報が油膜のように広がる。
 何も感じるな。
 引き金を三連発、左右の銃を交互に撃つ。
 果たして、銃弾は空を穿った。的を捉えず、城砦の壁に着弾する。少女が跳躍した。
 縦横に斬ってくる。李聖鬼は飛び退いてこれを避けた。こめかみに、刃を受けた。
 間合いの外へ逃れる。少女は剣先を下げて、誘うような構えを見せる。
 瞬時に、これは現実ではないと思った。現実のものならば、銃弾がすり抜けることなどありえない。電灰が見せる虚像、あるいは
「"亡霊"か、貴様」
 少女は答えない。ただ、そこに立っていた。幽玄ともいえる佇まいで。
 これが"亡霊"ならば――どうして、攻撃することが出来るのか。そんな疑問が持ち上がった。〈電駆体〉が干渉するのは、神経まで。なぜ、傷をつけることが可能なのか――
 剣先が額を掠めた。前髪が散る。身をそらし、その反動でまわし蹴りを放った。少女のこめかみを捉える――やはり、手応えは皆無。脚が、空を流れた。
 一気に引き離す――間合いの外へ。無駄とわかりつつも銃口を据えたまま。少女は、追ってこない。
「"亡霊"なら、ただのグラフィックだろう、それが」
 明らかに、異質なものだった。背後の雨が透けて見えるほど、脆弱なホログラムであるにも関わらず、少女の刀は現実以上の存在感を保つ。
 走査した。毛蘭から受け取ったレンズ――信号を読みとるという機械。眼球にかぶせたミクロのスクリーンで、磁性細菌が泳動する。電灰上のデータを、読みとるのだ。
 少女が執拗に、刀を浴びせた。体の捌きで斬撃をかわしながら、DNA情報を取得する。
 斬撃そのものは、大したことはなかった。太刀筋は、ただ振り回すだけという印象を受けた。それこそ、少女は刀を扱いきれず刀に振り回される格好であった。 
 "亡霊"ならば、必ずしも打ち倒す必要はないのだ。毛蘭が解析し、正体を掴むことが出来れば――
 少女の足が止まった。
「終わりか」
 牙狗を差し向けつつ、後ずさった。
 銃身を、雨が濡らす。鉄に滴る水が、手首を伝い、酷くどろどろとした液体が膚に滲み入ってゆく感覚があった。
 一歩、少女がにじりよった。実体を持たない故に、詰めようと思えばいくらでも間合いを狭めることができる。そうしないのは、何故か。"亡霊"は、こちらの出方を伺っているようにも見える。
 何のために。
 少女が顔を上げた。髪に隠れた表情がさらされる。
 レンズ裏で、走査完了を報せる表示。
 少女の顔が、明らかとなる。橙を含んだ唇と、白い膚がぞっとするほど映える。
 両眼が、こちらを向いた。右目は漆黒、左の目は、翡翠色に澄んでいた。
 その色だけが、李聖鬼を見据えているように見えた。何か異質なものをみているような。それが、李聖鬼の中にあるビジョンに重なった。
「水晶……か?」
 置いてきた筈の記憶。少女の姿は、かつて失ったイメージをそのままなぞっているかのように在った。朴水晶――いるはずのない偶像、在るはずの無い名。
 朴水晶の姿――記憶の中の少女。具現化された、写し身がある。
「水晶!」
 少女が間を詰めた。反応する、間もなく。刀が、斜めに切り上げられた。
 顔面に刃を受けた。膚が灼熱感を得、神経が刻まれる。
 斬られた、と悟ったときには二の太刀が襲ってきた。水平切り――咄嗟に銃身で受け止めようとした。
 信じ難いことが起こった。刃は銃をすり抜けて、李聖鬼の肉を切り裂いたのだ。驚愕する、という感覚も失ってただ呆然として刃を見送った。遅れて吹き出た血しぶきにより、我に返った。
 血の狼煙。水溜まりに転々と、飛び散った。ナノマシンの血漿が洗い流されて、墨を流したような筋をつくった。
 どこまでが本来のものか否か、判別し難い。電灰とリアルの境界が曖昧になる――溶けあう感覚。
「そういうカラクリか」
 傷口をなぞる。"亡霊"に攻撃を加えることは出来ない。<電駆体>とは基本的に、バーチャルな存在だ。シミュレーションされた物体。しかし、向こうからは攻撃を加えることが可能なのだ。物理的干渉を受けず、ただ肉体のみ傷を受ける。
「この痛みは、お前が受けた傷とでも言いたいのか、水晶」
 少女はやはり、返さない。雨音だけが、響いていた。
「俺を恨んでいるのだろうな。だから、俺の前に立つのか……」
 答えることはないと解っていても、独りよがりな質問を繰り返す。自問に、等しかった。いるはずのない少女、あるはずのない答え、空転する思いを一人呟く。
「お前は、俺を」
 そこまでだった。少女が飛び込み、雁翅刀で脚を払った。片足を上げてやり過ごす、重心が左足にかかった。
 刀は軌道を変えた。少女が腰だめに、突く。避けきれず、肩に刺し込まれた。
 バランスを崩した。神経が麻痺したように、力が抜けた。水溜りの中に頽れ、膝をつく。刃が突きつけられた。
 濡れた剣が、銀色に照り映える。翡翠色の瞳が、見下ろしていた。獣の牙じみた刃――粘性の有機マシン、人工血球(レスピロサイト)が滴る様――唾を呑む。舌なめずり、血潮に飢えた刃。ナノマシンが結集しても、何故傷が塞がらないのか。 
 刀が振り下ろされた。
「李大人」
 声がした。刃が李聖鬼の首筋を斬る、手前で止まった。
 その瞬間、"亡霊"を映すビジョンが歪んだ。不定型の物体が型から流れ出すように、背景にとけ込んでゆく。イメージが半透明になり、光学粒子がさらさらと溶けて、やがて電灰から、"亡霊"の姿が、消失した。
 何も無い空間が残った。
 孔飛連が駆け寄ってきた。いつのまにか雨はやんでいた。路上に流れた血も、消えている。よく見れば、どこも流血などしていない。ただ、斬られた箇所が熱を持ったように、疼いていた。
「"亡霊"が、現れましたか」
 孔飛連が差し出す手を無視して、李聖鬼は立ち上がった。
「女のようでしたね、やはり証言は正しかったようで」
「ああ……だが」
 攻撃を加える、などと聞いたことはない。せいぜい、電灰の管理者に侵入する程度――そういうこと、ではなかったのか。
「雁翅刀なんて、あんなものを使うとは。しかも、その傷」
 自分の顔が、水たまりに写った。刀で切られた己の顔、斜めに傷が走る――肉が盛り上がり、蚯蚓腫れを生じさせていた。鞭で打ちつけた痕のよう。
「あの刀が、こうさせたのか」
「斬撃そのものは素人のそれでしたがね……神経に直接作用させるものなのでしょう。あまりに強烈で、身体が過剰に反応してしまったようです」
「催眠効果、ということか?」
「意識が電灰に浸かると、ね。電子ドラッグを濫用した時に似ている。神経に干渉させる、パルスを送り込まれ、そこで痛みの感覚を送り込まれたのかと」
「電灰のサーバーに侵入した奴が、俺の膚に入り込んだというのか?」
「サイバー化を施した我々の膚は、高機能の分子コンピュータと代わりありません。皮膚そのものが三次元構造の端末であり、"亡霊"にとっては電灰上に点在する寄る辺に過ぎない」
 人体に対してクラッキングを仕掛けるようなものだ。まるで意図しないイメージが、膚を侵す――傷つける。
「とにかく、オフィスに戻りましょう。データは?」
「嫌と言うほど」
 李聖鬼はレンズを取り出した。
「見てはいけないもの、"亡霊"の一部始終だ」
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