例によって、なんちゃってSF。空想科学祭2009参加作品。
※R−15作品。暴力表現、性的描写あり。
壱:黒灰都市
血のにおいがする、と呟いていた。
「どうしたの?」
玲花の柳葉めいた指が、首筋をなぞった。李聖鬼はその手を取り、指を絡ませる。
「何でもない、ただの独り言だ」
李聖鬼は少女の首筋に、軽く唇づけた。少女が小さく声を洩らす。甘ったるい白梅の香り。芥子の花めいた白く透き通る柔肌は、薄い紫の衣一枚で包まれる。注意深くそれを剥ぎ取ると、控えめな胸乳が晒された。
幼い膨らみを撫でつけた。薄桃の蕾を指で転がし、甘噛みした。少女の膚は、幹細胞から生み出された培養皮膚である。皮膚の下には、カーボンナノチューブの擬似神経が巡り、外部の刺激が電位信号に変換――プログラムが「快楽」を弾きだす。快を得、また快に乱れる少女に、欲を募らせる――セクサロイドとはそのための道具であり、この少女もまた、その中の一つに過ぎない。体を愛で、精を放つために生み出された存在、ヒトの組織と同じ膚を持つ。それ故に、これを抱くものは少女の体そのものに溺れる。
何も思うな。
呪文のように、呟いた。右手で玲花の下腹部をまさぐる、秘所を責める――玲花の吐息が荒くなった。氷のように滑らかな膚は赤みを帯び、熱を持った。器の内に滾る血潮と、高まる鼓動と吐息に直に触れる。李聖鬼は少女の腰にのしかかり、重みを加えた。玲花の背筋が弓なりにしなった。鋼のような体躯が柔い肉に沈んでゆく。玲花の吐息が喘ぎ声に変わった。
何も感じるな。
少女の体に溺れつつ、少女が乱れる姿を冷静に見つめる自分がいた。性を売り、性の捌け口たるガイノイドが、一人の女の姿に重なった。一瞬のこと、幻影に捉われそうになる自分に、言い聞かせるように唱えた。
何も見るな――
瞼に蘇る。土の感触。血のにおい。
「水晶……」
弾ける一つの名。精を放つ、同時に胸の内に拡がる虚無。
灰色のうねりに覆われた、青島の空を見上げる。密集した鉄筋の森が、鬱蒼とした陰を落としていた。
墨の色。空気に含まれる煤けた瘴気が、肺に満ちてゆく。建物の間、千切れて垂れた導電線、吊り縄の様相を呈す。砕けた硝子とプラスチック、有機素材タイルを踏み締めた。
無秩序に建てられた構造物の群は、打ち棄てられた城砦に似る。石と鉄筋がひしめく、鉄筋の森といった風情。スモッグの空、構造物体は砲金灰色。壁は腐食し、水銀が溶けた雨水が染み出している。皮膚病か火傷の痕を連想させた。
李聖鬼は両手にそれぞれ、銃を抜いた。撃鉄を起こす。銃はドイツのヘッケラー&コックのコピーモデル、牙狗四十年式。いずれもケースレス弾使用の三十連発、角ばった箱型の銃身、闇より深い鉄黒に映える。
象牙の銃把に施した彫刻――右には鳳凰、左には玄武。かつては金色に輝いていたそれらも、長い年月を経るうちに褪せた鈍色になり、メッキが剥がれて地金が覗いていた。
右の銃を正面に構え、左の銃は銃口を下に保持する。ビルの入り口に立った。背を壁に預け、暗がりを見据える。闇が口を開け、風の唸りが奥から聞こえた。
網膜の裏に、淡い光を関知した。すぐさま緑の格子線が像を結び、眼前に3Dを現出させた。網膜のスクリーンが映す仮想グラフィック、生体素子がデバイスとなり高分子に反映される。ミクロサイズの有機ELディスプレイは、あたかも実際にそこにあるかのように投影させる。
建物は十の階層に分かれていた。小部屋がいくつも隣接し、入り組んだ通路がグラフィックとして再現された。
その中央――城砦の奥深くに、一定のスペースがある。手狭な小部屋よりも幾分大きな部屋がある。そこが目指す場所だ。李聖鬼は一歩、踏み入れた。
一瞬、真白い影が目の前をよぎった。光の加減だろうか、視界がぼやけたような感じだ。しかし、すぐに持ち直す。
『あまり良い条件とは言えませんね』
骨伝導の聴覚デバイスから、男の声がした。いつのまにか通信が入っていたようだ。間延びした声に、思わず舌打ちした。
「これから踏み込むというときに、上手い事意思を削いでくれる」
『この程度で削がれることなど?』
顎に内蔵されたスピーカは、耳元で直接囁かれているような錯覚に陥らせる。薄笑いを浮かべている、相棒の顔を想像した。もう建物の中に入ったのであろうか、声が反響していた。
『ちょっとした迷路です、まるで。見通しも悪いですし、わたしの武器も取りまわしづらい』
「仕事だ、文句を言うな」
言うと、相手は押し黙った。
建物の中に入ると、視覚を暗視モードに切り替えた。蛇の組織――暗所であっても赤外線を捉える李聖鬼の目。城砦の内部構造がつぶさに観察できた。毛細血管、あるいは神経組織のごとくに絡み合った配管、染み出す水の色まで。迫りそうな内壁と天井。等しく、箱の中に詰め込まれたような、息苦しさ。
両の銃を交差し、銃身同士軽く打ち鳴らした。
脳内に反響する声があった。もうずっとその声を聞き、呪縛のように李聖鬼の思考に纏わりついていた。故郷を離れてからも、相変わらず縛り付けていた。
侵食し、内側から食い破る蟲をイメージする。
何も思うな。
レザーグローブの下で、掌が汗ばんでいた。銃把を強く握り、細く息を吐いた。もう十五年経っている。幻影にうなされ、重油のような罪悪感に浸る必要は、もう無い。余計な事と言い聞かせる。
今は――目の前の敵に集中することだ。
扉の向こうにいるであろう、敵の姿を想像した。南京のマフィアが、青島に紛れ込んでいる。分断国家たるもう一つの「中華」、江南国民政府。その後ろ盾を得て、遠く台湾や日本にまで進出していた。大抵は異民族――新疆、チベットや、南人と呼ばれる江南政府の人民。夷狄と蔑まれ、漢人に仇なす存在。
李聖鬼自身も夷狄であり、それであるにも関わらず漢人の側に回っている我が身は滑稽とも思えた。北京製の銃を携え、皮膚下に導入したサイバーパーツは、煙台の企業のものだ。流れる血でさえ、生来のものではない。李聖鬼を李聖鬼たらしめるアイデンティティは、殆ど残っていない。漢人達によって生かされているに等しい状態、その事実についても、もはや絶望を抱くこともなくなった。
右の銃を、水平に保持する。左の銃口を上向かせた。
ドアを蹴破った。
室内にいた男たちが浮き足立つ。両手の牙狗を差し出し、発砲した。緑色の発射炎が咲き、熱帯びた鉛の弾丸が切り裂く。手前にいた男の頭蓋を割り、組織をぶちまけた。左の銃を撃つに、別な男が脳漿と黒っぽい血を舞い上げて吹っ飛ぶ。そこでようやくマフィア達は事態を把握した。
サブマシンガンの一斉射撃。炎立ち、乱れた。
李聖鬼は壁伝いに走り、両手の銃を交互に撃った。火線交わり、弾痕が幾つも壁に刻まれた。ソファの綿を巻き散らし、絵画の枠を撃ち抜き、調度品の類を砕く。硝煙が充満し、火薬のにおいが鼻をついた。銃声、怒号、銃弾が跳ねる度、鉄筋が甲高く響く。
李聖鬼は射線に身を置かぬよう、地を転がり、飛び跳ね、障害物に身を隠しながら、正確に男たちを仕留めた。動きながら片手で銃を繰り、前後左右に差し出して、全包囲を射程に捉える。反動を支えるだけの腕と、広い視野を確保する眼、それらが無ければ成し得ない芸当、二挺持ちの射撃というものは。
銃のハンマーが止まった。弾切れ――すぐさま袖口から新たな弾倉を取り出した。プラスチック製の弾倉を指で摘んで銃把に押し込む、再装填。この間二秒。ハンマーが引き戻り、薬室に銃弾が送り込まれた。素早く両手を広げ、一発ずつ撃った。
鳳凰と玄武――緑色の発射炎を纏う。十字型に瞬く火炎、フィリピン人らしき老人を撃ち砕いた。螺旋に劈く弾が眼球を貫き、脳髄を抉り、後頭部に抜けた。乖離した蛋白質と血漿――黒色の人工血球と擬似神経の残滓。骨を押しつぶす衝動がした。
銃声が、止む。火薬と臓物のにおいがした。室内を黒い血で染め上げて、流動の組織が溢れさせる。点々と血で汚れて、天井から滴り落ちた。
銃火、止む。一人、佇んでいた
広い室内に血のにおいを満たし、二つ銃を提げて見下ろす。骸が折り重なる光景は、何の感慨も湧かせないものだった。
「生憎だな。少しばかり、遅かった」
背後で高まる殺気に向けて、李聖鬼が言う。そして振向いた。
黒いジャケットを着込んだ男が、右腕を差し向けている。腕は金属の人工操作手だ。手首から、万年筆めいた銃口が突き出ている。サブマシンガンの機構を備えた、戦闘用サイボーグのパーツ、左手には柳葉刀を携えていた。
「武人か、お前の雇い主は、もういない。ここで一戦交える意味などないぞ」
「李聖鬼……」
男の、血色の失せた紫の唇が、名を告げた。かっと見開いた両眼は、義体化された機械の眼。ガラス球の表面に、李聖鬼が映っていた。
「俺の名を知っているか」
「青島じゃ知らないものはいない。二挺拳銃の朝鮮人といえばな。または漢族の狗……」
そう言う男の言語は、朝鮮語だった。この街で耳にしたことは、数えるほどしかない。
「光栄だな。だが狗とは」
「その身に聞け!」
いきなり、男が発砲した。銃口から細かい炎が散り、銃弾が、李聖鬼の肩を貫いた。
不覚――
身を捻りながら、牙狗を二発撃った。男が右手の刀を振り回す。刃が弾き、火を噴いた。
続き、人工操作手の銃口から新たな火線が延びた。フルオートが床に縦列の弾痕を刻みつけ、コンクリと鉄屑を舞い上げた。
李聖鬼は後ろに退き、ソファに隠れて盾とした。そのソファを、柳葉刀が寸断する。スプリングと綿が飛び出、鈍い刃の色を間近に見た。再び刀を振り上げてくるのに、二挺同時に撃った。男は柳葉刀で銃弾を避け、右のギミック銃を発砲させた。
李聖鬼は銃火を避けるべく、左に回りこんで撃った。男は身を翻し、反転させ、銃撃を浴びせる。李聖鬼が距離を取ると、逆に間合いを詰め、柳葉刀で斬りこんだ。水平に振り抜くに、李聖鬼は身を屈めてやりすごす。
左足を軸にして後ろ廻し蹴りを繰り出した。靴底が男の脇腹に刺さる、男の体が傾いた。向き直り、両銃交互に発砲。刀によって、全て叩き落とされる。
男が距離を詰め、間合いが縮まった。およそ一メートル、刀を振りかぶる。刃が李聖鬼の脳天に振り下ろされた。
身を逸らす。皮一枚。刃が鼻先を通り、顔に薄く刻まれる。そのまま倒れこむように右に飛び、間合いの外に逃げた。
男が発砲した。雷管弾け、三点バーストで撃ち出される。弾の唸りを耳元に聞き、重く熱い、鋼の銃撃を太股に受けた。
膝が折れた。神経ごと断ち切られたような感覚。己の意思とは逆に、体は崩れ落ちることを望んでいた。
何も感じるな――
駆ける痛覚を、意識の外に飛ばした。膝をつきながら、左の牙狗を差し出して、人工操作手の銃口に狙いを定めた。
銃弾吐き出る、〇・五秒。一呼吸早く、李聖鬼が撃った。刹那、男の手元で光が爆ぜた。
マシンガンの機構が甲高く哭き、機械義手の回路部分が火を噴いた。撃った弾が、サブマシンガンの銃口に入り、薬室で炸裂した、手応え。内部で銃弾が衝突し、内側から義手を打ち破る――炎が一気に燃え上がり、銀色の人工操作手を食い破る。金属が破裂して、断裂した珪素筋肉とカーボンケーブルを四散させた。
「貴様!」
男は痛みに顔を歪め、やがて憤怒の表情に変えた。ボロボロになった右腕を引きずるようにして、間合いを詰めた。李聖鬼が右の銃を撃つのも構わず、突進し、刀を脇につけ、体ごと刺突してきた。
額を貫くよりも早く、李聖鬼が飛んだ。
狭い天井にぶつかりそうになりながらも、李聖鬼の体は空中にあった。手足を撓らせ、跳躍しつつ男の背後に回りこむ。背中側に着地し、男が振向くよりも先に、後頭部に廻し蹴りを放った。
脛が頚椎を捉える。ぐらりと男の体が傾いた。
男が向き直る。刀を振り上げた。
二の太刀はない――
両手の銃を正面に据え、がら空きの胴に銃弾を撃ちこんだ。五発の銃弾が膚を貫き、弾頭が体内をずたずたに引き裂く。臓物、肋骨、千切れた組織の断片と体液――流れ出た。
返り血を浴びる、口の中に苦いものが広がった。唾が鉄に変わった心地――骨を圧し、灼熱に焦げる肉のにおいまで、感じ取れる気がした。
やがて斃れる。仰向けになり、男は血の海に沈んだ。
「李聖鬼……」
朝鮮語で、恨みを込めたように男は唸った。
銃弾を受けた胴は、腸が飛び出ていた。喋るたびに口から血反吐が溢れ、空気が洩れたような呼吸をした。義眼の目をかっと見開き、血走った眼で、李聖鬼を見据えた。
「貴様、何だって漢人どもに従っている……」
男は使い物にならなくなった下半身を引きずり、左腕だけで這いずった。床に血の跡が尾をひいた。
「俺たちが奴らに何をされたか、忘れたわけではあるまい……漢人どもが、俺達にしたことを」
地の底から湧き上がるような声だった。黒く冷たい、粘性の液体が侵食するように入り込む。そんな風にすら、感じさせた。
脳裏に、また呪文めいた言葉が蘇った。
何も見るな。
「忘れちゃいない」
粟立つ膚に続き、背中がずきりと疼いた。
「ならば何故!」
それ以上のことを言うことは、叶わなかった。牙狗が吼える轟音が、男の声を永遠に掻き消した。脳天に突き立つ銃弾が間脳を破壊した。即死であった。
李聖鬼は銃を納めた。
「あなたらしくもないですね」
背後から声がして、李聖鬼が振向いた。線の細い、少女のような肢体を灰色のコートに身を包んだ男が、壁に寄りかかっていた。橙の髪色、白い膚。異様な風体は、暗い室内には映える。
「孔飛連……」
「いつもならワンマガジン使い切ることなく終らせるのに、無駄な銃撃が多い。一人につき、二発も三発も撃ちこんで」
薄く笑みを浮かべて言う。
「余計なことにだけ、気が回るな貴様。そっちの方は済んだのか」
「一応はね。あなたが無駄な弾、消費している間に」
と、孔飛連は後ろを指差した。隣の部屋には、五人分の骸が転がっていた。喉を抉られ、他に外傷は無い。
牙狗をホルスターに収めた。まだ、血の味が舌に残っている。苦々しく、唾を吐き捨てた。
孔飛連は中央の卓にある、アルミのケースを取った。今回の目当てのもの、電子ドラッグのメモリ。
「これだけの取引に、武人なんて引き連れて……最近はこんな仕事ばかりですね。それでも、あなたが斃したのは両組織の頭です。きっと褒章が出ますよ」
「別に興味ないな」
「でしょうね。あなたは特別、そういうことに疎い。おそらく、人であっても物質であっても同じように撃つのでしょう」
孔飛連は開いているのか分からない、細い瞼をわずかに緩めた。紺色の瞳が微かに覗いた。
「それでも、今、人に向かって撃ちましたね」
「どういう意味だ?」
「その男。あなたの故郷の人間でしょう? 同胞を殺すときのあなた、一瞬だけですが躊躇の色が見えました」
本当に余計なところだけ、気がつく。この男、やたら勘だけは鋭い。心の内まで読まれているのではという錯覚に陥らせる。
「つまらんことを」
「故郷のことでも、思い出しましたか」
孔飛連が言うのに、思わず睨みつけていた。多分、相当険しい形相になっていたのだろう。睨まれた孔飛連が後ずさった。
「冗談、ですよ。嫌だなあ」
悪びれも無く笑うに、李聖鬼は溜息を洩らした。
「余計な事、口にするな。俺は老大から貴様と組めと言われたが、貴様をパートナーなどと思っていない」
李聖鬼はそう言って、撃たれた傷口を見た。
傷は血が固まり、すでに修復を行いつつあった。自己組織化を行う有機ナノマシン、DNAボット――人体の補修、強化、それらは本人の意思とは無関係に人体の恒常性を維持しようとする方に働く。ナノマシンが合成する分子により、膚が再生され、白い表皮すら覗かせていた。
「まあ、わたしはそれでも別に構わないんですがね。仕事をこなしていただければ」
李聖鬼は黙って牙狗を収めた。血溜まりに立つ――戦場の空気を感じる。
声はもう、しない。
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