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ガラスの欠片、命の残光

作者: 沙羅咲

 数年前のことだ。会社帰りにほんのちょっと寄り道をした。いつもとちょっとだけ違う道。ところがそこで「おや」と声をかけられた。名前を呼ばれて振り向けば、会社で良く相談にのってもらっていた他部署の男の人だ。奇遇なことに、ばったりと道端で会った。


 その人は出合う数ヶ月前に契約が終了してしてしまって、会社を離れたと聞いていたのだ。「一緒に飲みに行きましょう」なんて約束していたのに、果たせないまま会社を離れたのが残念だと思っていた。その人が目の前にいたのだ。たった数ヶ月のことなのに、その前は毎日のように会っていただけに、懐かしく感じて、嬉しくなって挨拶をした。


 人の年齢を推し量るのが得意ではない私にとっては、ちょっと歳上の同僚ぐらいの認識だった。いや、もしかしたら、ちょっとどころか、かなり年上なのかも。あまり気にせずに、その人に懐いていたんで、お互い会えて嬉しいね~って感じだった。

 

 こちらの喜びが伝わったのか、向こうも凄く懐かしそうに嬉しそうにしてくれた。(とはいえ、ほんの数ヶ月ぶり程度なんだけれど)


 話すと言っても仕事を離れてしまえば、具体的に話せる話題などほとんどない。せいぜい「おお、久しぶり~」みたいな感じで、ありきたりに「今、どうしているんですか?」みたいな話を始めただけだ。私のほうが年下なので当然、敬語を使っているのは私だ。


 簡単にお互いの近況を話したところで、さらりと「実は僕、癌なんだよね。直腸癌なの」と言われた。


 あまりの自然さに、一瞬、言葉が飲み込めず。え?? って顔をしたんだと思う。そうしたら「あと半年ぐらいなんだ」ってにこやかに言う。この場合の半年は、どう考えても余命だろう。


 聞いた瞬間に頭の動きが止まったように、何も気のきいたことは言えなかった。思わず顔を見ながらじっと黙りこむと、困ったような照れたような微笑を浮かべて「コンサートをやるんだ。歌うから来てよ」と言われた。


 そのとき私は自然な表情ができていただろうか。笑えていただろうか。思い出せない。ただ何も考えず、スケジュールも見ずに「行きます、行きます」と二つ返事で応えていた。


「楽しみなんだよ」と笑顔で言われたので、「楽しみですね」と笑顔で答えて。「絶対行きますよ」と約束をする。これは絶対に行くしかない。


 もちろんコンサートには行った。辛い身体を押して舞台監督みたいなこともやったらしい。コンサートでは立っていられなくて、座って歌っていたけれど、楽しそうだった。後で渡そうと思ってお花を持ってきて良かった。でもカードは書いていなかったから、コンサートの休憩時間に、急いでカードを書く。字が少し震えた気がした。


 そんなに長くないコンサートが終わった後ロビーで待って、彼が楽屋から出てきたところにお花とカードを渡したら、すごく嬉しそうだった。本当に暖かいコンサートだった。きっと一緒に歌っていた周りの人も皆、この人の命のことを知っているのだろう。皆で良いコンサートにしようというのが分かるくらい、暖かなコンサートだった。私も素直に「いいコンサートでしたね」と感想を言うと嬉しそうだった。傍にいた奥さんにも紹介されて挨拶をした。


 にこやかに笑顔でコンサートの感想を伝えつつも、頭の中は混乱していた。どうしよう。何を言おう。何が言える? でも何も言えない。言葉が出てこない。結局「また、そのうちに」という非常に無難な挨拶が最後となってしまった。そのうちなんて無いのに。


 会社の同僚同士だったころの「一緒に飲みに行きましょう」という約束は永久に果たせなくなってしまった。




 ふと思う。もしも私が癌になったら他人に言うだろうか? もちろん家族には、自分の死後のことを頼まなくてはいけないから、伝えると思うけど。でも友人・知人には言うだろうか? 言えるだろうか?


 彼の場合、私は彼が癌だと告げてくれなければ、彼の最後のコンサートに行かなかったかもしれない。そして単なる一時期親しかった同僚として記憶の中に埋もれていっただけだったと思う。


 あの笑顔での「癌なんだ」という言葉があったからこそ、強烈な印象として、彼は私の中に残った。それは彼の命の残光だ。私の中に残ったガラスの欠片を抱くような痛み。それでも彼が告げてくれてよかったと思う。


 彼が癌で逝った後、自分の身体に腫瘍が見つかった。悪性の可能性があり、最終的には開腹して細胞を取ってみなければ分からない。医者からはそう告げられた。友人には言えなかった。ただ怖かった。


「最近、あの人見ないね」で終わるんだったら、それでもいいのかもしれないと思う自分もいた。


 幸いなことに「違いました」という結果で終わった。ようやく私は「実はね」とネタにすることができるようになった。勝手なものだ。人には告げてもらいたい。でも自分は告げたくない。彼は受け入れたからこそ、話せたのだろうか。あの晴れやかなコンサートは、最後の一瞬まで生きる決意をしたからだろうか。


 うじうじと悩み続ける私は彼の心境にたどり着けそうにない。


 その後も「癌かも…」「違いました」「腫瘍かも…」「違いました」ということが度々起こっている。まるで何かをギリギリで避けているようだ。願わくは、このまま一生避け続けられますように。ガラスの欠片を握りしめて、ばら撒くかどうかの選択をしなくて済みますように。


 そのときが来るのであれば、せめて彼のように精一杯、胸を張って逝きたいものだ。

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