目を覚ますとアイリが俺の顔を覗き込んでいた。
日に焼けた明るいその笑顔に手を上げて答える。
彼女はいつもどおり俺の身の回りを片付ける。
そして濡れたタオルを用意しながらベットに腰掛ける。
奇麗に畳んだ着替えの服をベット脇に置くと俺の着ている物を脱がしていく。
俺はされるがままだ。
骨折した右腕に気をつけながらアイリの手が俺の体をくまなく拭いていく。
すぐそばにある彼女の顔から体温を感じる。
俺は少し恥ずかしくなって顔を背けた。
小さな小屋の窓からは村の外に広がる森の木々が見える。
あの森に落ちたのが数週間前。
アイリと知り合ったのと同じ時間だ。
この島での生活が始まったのは事故だった。
海の向こうを見る旅。
仲間に何度も反対された無謀な旅だった。
遠い小さな島の近くでの、バードストライク。
脆弱な機体にぶつかった一羽の鳥が全てに幕を降ろした。
森に落ちていく機体。
人が自分の能力以上の物を求める事は罪なのだろうか。
見知らぬ土地に生きる場所を求めてはいけないのだろうか。
生まれた町で上手く生きていけなかった俺はそこを飛び出してきた。
海の向こうに俺の生きる場所があるような気がして。
でも、それは軽率な考えだったのだろうか。
今更になって生まれた町を思い出すなんて…。
こんな馬鹿は神様だって助けてはくれないだろう。
そう思い目を閉じる。
森の木々に翼はもがれ、衝撃が襲い掛かってくる。
そしておんぼろのハーネスが壊れ、俺の体は機体から振り落とされた。
全身打撲、右腕の骨折。
頭から流れた血が頭皮を熱くさせる。
死がそこまで迎えに来ているのを感じた。
自分で動く事が出来なければやがて野獣の餌だ。
そんな覚悟を決めた俺を見つけてくれたのがアイリだった。
この島は無人島ではなかった。
小さいながらも原住民の手で村が作られている。
まだ神は俺に生きろと言っているのかもしれない。
アイリという女神を俺の所へ遣わして。
アイリは村人の手により俺を自宅へ運ぶと手当てをしてくれた。
医者のいないこの村では簡易的な治療しか出来ないので骨接ぎに不安はあったのだが、それ以上に献身的なアイリの看病に俺は安心しきっていた。
昼も夜も彼女の看病は続く。
目が覚めるといつもそこにいてくれた。
薬草を何度も取替え、食事から排便に至るまで面倒を見てくれるのだ。
大丈夫、すぐに良くなるわ。
そんな微笑に俺の体は回復へと順調に向かっていった。
ある程度体を動かせるようになっても彼女の看護は続く。
やがて俺はアイリに対して好意を抱くようになっていった。
「昨日の夜にね、ルーンが死んだの…。」
服を着終わった俺に呟くように告げた。
ルーンはすぐ隣に住む明るい少女だったのを覚えている。
何度か差し入れと称してここを尋ねてくれた。
明るく話す彼女は口数が多く、並んでいるとアイリが無口に見えてしまうほどだった。
アイリとはそう歳が離れておらず、近所で一番の親友だという。
2人が並んで笑っているさまは、まるで姉妹の様だと思っていた。
そんな彼女が森で死んでいるのが発見された。
一人で森に入って獣にやられたのだ。
「明日の夜、彼女の魂を送るから、カイも来て。」
泣きそうな顔で告げると部屋を出て行ってしまう。
泣いているところを俺に見せたくなかったのだろうか?
夕食の時間まで彼女が俺を訪れる事はなかった。
村の中心にある広場で盛大に火が燃やされる。
火で罪を浄化し神の元へ送るのだ、とアイリが教えてくれる。
あの後からアイリは気丈な態度をとり続けている。
俺の前では決して泣いている素振りなど見せようとしない。
火に向かい自分の信じている神に祈る。
ルーンを、そして何よりもアイリの魂をお守りください、と。
祈祷師の祈りが極限に達し、儀式が終わろうとしていた。
俺は横を見る。
そこには今にも崩れ落ちてしまいそうな、儚げなアイリの姿。
その姿をただ見ている事など出来ず、俺はその体を両手で受け止める。
自分でも意外だった衝動的な行動。
でも、今の俺にはそうする事しかできなかった。
「カイ…?」
「アイリ。泣いてもいいんだよ。」
「…大丈夫。ん…、大丈夫よ。だから心配しないで。」
「大丈夫なはずないだろ!友達が死んだんだ。そんなはずないじゃないか。」
「わかってる。でも…。」
「俺じゃ頼りにならないから?」
「違う!そうじゃなくて…。」
「アイリ…。」
暗闇に燃え盛る炎に照らされたアイリを見つめる。
悲しみに満ちたその瞳。
戸惑うくちびる。
その全てが愛しく見える。
まるで魔法をかけられたかの様に。
「アイリ、君を守りたいんだ。」
「カイ…?」
「上手く言えないけど、君をそばで守っていてあげたい。君の事を…。
俺はここの人間じゃないから問題があるかもしれないけど、アイリと一緒にいたい。
あのとき君に命を助けてもらった。
そのお返しに今度は君を助けて生きていきたいんだ。
でもそれだけじゃなくて、君を…その…。」
炎に揺れる瞳が俺を見つめている。
俺の手は柔らかな頬に触れる。
「君が、好きなんだ。」
「…カイ。」
「アイリが泣いていても、俺がちゃんと守るから。
だから強がらないで欲しい…。
俺もルーンがいなくなって悲しい。
だから、今夜は泣いてもいいと思う。」
「カイ!」
アイリは俺の胸に飛び込み泣いた。
押し流れる激流の堰を切ったように。
その悲しみを全て受け止める事など出来やしない。
でも、こうする事が出来たのならば…。
不謹慎にも彼女の温もりが嬉しかった。
今夜だけは泣いてもいいんだよ。
そう自分に言い訳しながらアイリを抱きしめた。
「はい、これ。」
木の皿に乗せられた肉をアイリから受け取る。
儀式が終わると、こうして皆で食事をするのが慣わしらしい。
アイリは隣に腰掛ける。
俺はこの女性とここで生きていく。
そう決心した。
「ずっと一緒にいてくれる?」
泣き止んだアイリの一言で俺の心は決まった。
ずっと彼女を守っていく。
何年も、歳をとっても。
死が2人を分かつ事があっても。
アイリは静かに話し出す。
「ルーンは私の一番の友達だった。だからその命をちゃんと貰うわ。」
「…?」
「これ彼女の子供が出来る部分なの。カイには力がつくように腕を貰ってきたから。」
その言葉に頭が真っ白になる。
子宮。
腕。
これは…。
この肉は…。
こみ上げる吐き気を我慢できずに俺は胃液を吐いてしまう。
嘘だろ?
そんな。
こんな事って…。
俺は腕を掴まれる。
「カイの国ではこうしないの?」
俺は首を振る。
「聞いて、カイ。
ここでは昔からそうやって皆生きてきた。
命を貰う神聖な行為。
あなたの国にはなかったかもしれない。
でもここで生きていくのに必要なの。
虫や動物もそうやって生きている。
命を繋ぎ、永久に愛する為に。
私達は神様にそう言われて生きてきた。
だから次の生命の為に食べるの。
それが愛する者ならなおさら。
女は命の源として皆に食べられるの。」
「…男は?」
「永遠の愛を誓った女が一人で食べるの。
もし私が死んだら皆に食べて貰うのだけれど、カイが…もしもそうなったら、私が一人で食べるわ。」
「それって…。」
「あなたを愛してるの。お願い、これを食べて。私とここで生きて。」
神に祈った後、アイリは指につまんだ肉を半分だけ食べる。
そしてその残りを俺の口元に差し出す。
炎が彼女の瞳を揺らす。
日に焼けた艶かしい肌が、俺を虜にする。
アイリと生きる為にはこの肉を食べればいい。
それがここで生きていく、という事だ。
愛している。
アイリが愛しい。
でも…。
俺は…。
俺は。
目を閉じる。
君を愛す。
君を守る。
そして。
アイリの指につままれた肉に口をつけた。
<終> |