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お姫様は笑わない

作者:

 ある田舎に平和な王国がありました。その国では人々は平和に暮らしていました。

 王様は国民のことを考えていましたし、国民も王のことを尊敬しています。

 そんな順風満帆に見える王国でしたが、王様は一つだけ悩みを抱えていました。


 王様には娘が一人います。この国のお姫様です。

 お姫様は大変美しく、どんな腕のいい画家でも姫様を描くことが出来ないと言われる程の美貌でした。

 身体が弱いわけでもなく、きちんとした言葉遣いでお話もしますが、ただ一つ。


「姫や、何故お前は笑わないんだい」

「だって面白くないんですもの」


 お姫様は笑わなかったのです。

 昔は笑顔を振りまく天使だったのですが子供の頃に旅先で船の事故に遭って以来、笑顔を見ることはなくなってしまいました。

 つまらなそうにしている姫様を不憫に思った王様は、各地の商人から珍しい玩具を取り寄せます。開けるとピエロが飛び出してきて驚かす箱や、押すと笑い声が聞こえてくる袋などです。

 しかし、お姫様は笑いません。


「子供騙しですね。まず道具で笑わせようという魂胆が気に入りません。

 人間が笑うというのは単純に見えて奥深い哲学的な意義があるのです。

 感情を心から受け入れることにより心地良いと感じ、喜びへと昇華させる行為が笑いです。

 その人間の根源とも言える笑いに対して道具一つで誤魔化そうとするのは浅慮と言うほかありません」


 スラスラと流れるように言葉を紡ぐお姫様に王様達は息を呑みました。

 おおよそドン引きしていると言っても差し付けない空気の中、お姫様は大見得を切って断言します。


「笑いとは、魂の解放なのです」


 お姫様は笑いに対して非常にストイックなのでした。

 一筋縄では笑わないお姫様に対して、ついに王様は国中にお触れを出します。


 《姫を笑わせた者には望むとおりの褒美を取らせる》


 そのお触れは貧富を問わず、国中の隅々にまで届けられました。


 ある程度の余裕はある平和な国なので、お城には大勢の人が集まってきました。

 あまりにも沢山集まったので、急きょ選別委員会を設けて事前審査まで行うほどでした。

 王様を尊敬している国民は美しいお姫様のことも大好きです。我こそはと集まった姫を笑わせる選りすぐりの希望者達が、お城の大広間に通されます。

 壇上では姫様が美しく、面白くなさそうな顔で座っていました。


 大臣が取り仕切る中、集まった者達が順番に姫様の前で持ち前の芸を披露し始めました。


「1番、西の村のトマスです。やっとこ踊りをします」


 西の村では近くの山から鉄が採れるので村人は鍛冶の仕事をしています。やっとこというのは、大きな鉄製の工具で鍛冶などで熱した鉄を挟んだりして使います。

 西の村では冬の前に夜通しでお祭りが行われます。一年間の仕事を頑張ってくれたやっとこに感謝して大きな焚き火の周りを、やっとこを持って踊るのです。

 トマスは両手でやっとこを持つと、カチャカチャと慣らしながらリズミカルに踊り始めました。


「はぁ仕事をするならぁ、やっとこ使えぃ。熱ぅ火の花つかんで離さねぇやっとこだ」


 上下左右にやっとこを振り回しながら、腰をクネクネ回して踊る姿はユーモラスで楽しげな雰囲気があります。大広間に集まっていた人たちからもクスクスと忍び笑いが聞こえてきました。

 トマスも段々ノってきたのか動きが激しくなってきました。腰の回転もヒートアップしています。


「はぁ嫁っこをもらうならぁ、やっとこを貰えぃ。オラぁのイチモツつかんで離さねぇやっとこだ」

「つまみ出しなさい」


 まさかの猥歌でした。

 村ではバカ受けの鉄板でしたがお城の中で演じるには下品すぎます。お姫様が「低俗です」と切り捨ててトマスは警備兵によってステージの下へと連れて行かれました。


「2番、北の森から来ました。エルフのルーララです」


 若者が帽子を取ると、エルフの証である長い耳が中から現れました。

 突然現れたエルフにざわめきが広がりました。北の森に住むエルフは人間嫌いで有名なのです。

 エルフの秘薬と呼ばれる、どんな怪我や病気も治すという希少な薬を作り出すことの出来る彼らとは、国王が代表して数年に一度だけ工芸品やお菓子などと交換で取引をしています。

 エルフは国王以外とは会おうとはせず、また決められた取引以外で北の森を訪れると呪いで殺されると言われていました。

 それがお姫様を笑わせる為にお城にまで出てきているというのは、とても珍しいでは済まされない出来事だったのです。


「エルフが何故ここに」

「今すぐ、もてなす準備をするんだ」

「街へ行ってお菓子を買って来い」


 王様や大臣がわたわたとエルフを迎える準備をし始めますが、当のエルフはそっと手を上げてそれを押しとどめました。


「私がここへ来ているのは取引の為ではありません。一個人としてお姫様を笑わせたいと思い、馳せ参じたのです。ですから、そういった歓迎は必要ありません」


 よく通る、とても綺麗な声でした。

 王様や大臣としては、そうは言われても何もしないのは居心地が悪いので、関係が悪くならない程度に良い待遇で迎えてやりたい気持ちですが、不要といわれては押し付けるのは却って失礼です。

 せめてお姫様が笑ってくれるか、それでなくとも微笑むくらいはしてくれれば気分よく帰って貰えるのではないかと思い、王様はすがるようにお姫様を見つめました。

 しかし、お姫様の視線はどこまでも鋭く、黒い瞳はまるで話に聞くニンジャソードのような冷たい輝きを湛えていました。


「まだ始まらないのかしら」


 それどころか催促をしはじめました。

 流石に王様も何か言おうかと思いましたが、それよりも前にエルフのルーララが芸を始めてしまいます。


「エルフあるあるー」


 穏やかな微笑を浮かべていた先ほどまでとは打って変わって、陽気なテンションで笑顔を作り出しました。エルフの魔法なのか、どこからともなく馬鹿っぽいリズミカルなBGMも聞こえています。


 ジャジャジャン


「お前の兄ちゃんが寝るとき耳につけてるの何?」


 静寂が訪れます。

 エルフ的には結構な「あるある」だったのですが、ルーララ以外の城の中にいた誰一人として理解できませんでした。

 エルフの耳は放っておいても成長期に勝手に長くなりますが、誰でも子供の頃は耳が短いのを気にした経験があります。

 その後、耳を長く伸ばす怪しげな通販に手を出してしまうまでがワンセットで、そのことを揶揄したネタだったのですが人間には全く共感できない内容でした。

 静まり返った雰囲気に気づいていないのか、知っていても続けるスベり芸なのかBGMが流れます。王様はとても嫌な予感がしました。


 ジャジャジャジャン


「お前、どうして頭の上に洗面器を乗せて」

「帰ってもらいなさい」


 少しだけ気を使ったのか、お姫様がちょっとだけ丁寧にルーララを引き摺り下ろします。

 王様も大臣も止めようとしましたが、とっさに動けませんでした。必死になって大臣が頭を下げて謝りますが、ルーララは余り気にしていないようです。

 何も気にしていないお姫様がさっさと次の候補者をステージに呼びました。ブレません。


「3番、東の町から来ました。パン屋のケインとアンです。大道芸をします」


 次に出てきたのは、ちょっと冴えない顔をした若い男女の二人組みでした。

 背が高いというよりはヒョロリと長いケインと、大人なのに子供のように背が低いアンが並んでいます。

 既に芸は始まっているようで、身体はお姫様に向けたまま小芝居を始めました。


「これが新しい楽器なの?」

「あぁそうなんだ。きっと音楽史に名を残すことが出来るよ」

「あら、これはパンじゃない」


 ケインが手に持っていたのは大きめの長いパンでした。ところどころに穴が開いており笛のように使うのだと予想させます。


「やってみるね、まずは音階のドから」


 ケインがパンに口をつけて食べ始めると、それに合わせてパンからポッポッポッと音が鳴りました。音階のドです。


「こうやって、パンを食べると音が鳴るんだ」

「素朴な音ね」

「次はレだ」


 あわただしくドの音のパンを食べ終わったケインが新しくパンを取り出して食べ始めまると、今度はピーピーと音階のレの音が鳴ります。

 どうみてもパンなのに音が鳴るの不思議で、見ていた人たちからは感嘆の声が上がりました。


「凄いじゃないケイン、きっと沢山売れるわ!」

「僕もそう思うよ」


 会話をしながらもケインは食べるのをやめません。パンが大きいのでしょう、次第にケインのお腹が膨らんでくるのが分かります。


「今はドとレしか出せないんだけどね」

「あら、そうなの残念ね」

「でも、今日は新作のパンを持ってきているんだよ」


 レのパンを食べ終わったケインが懐から新しいパンを取り出しました。お腹が膨らんでパンを取り出すのも服がキツそうです。


「見ててくれ、今から次の音階に挑戦するんだ」

()が出たとか言ったら打ち首にします」


 お姫様の無慈悲な突っ込みに、二人は悲痛な顔をして床を向いて黙り込みました。静かな空気の中、何かを仕込んでいたらしいケインの尻から空気が抜ける音がします。

 お姫様が途中で突っ込んだことにより、二人はそのまま警備兵に連れられてステージの下へ追い出されました。お姫様の審査基準は大変厳しく、少しでもつまらないと思われたらそこで終了となります。

 鎮痛な空気が仕切る中、黒装束の二人組みがステージに上がりました。その姿は知っているものであるなら皆、同じ感想を頭に浮かべることでしょう。そう、ニンジャだと。


「4番、お城に潜んでました。ニンジャマスターのホンダとヤマモトです。漫談をします」


 黒尽くめの二人組みがステージで自己紹介をすると、一瞬の静寂の後に広間は騒然としまいた。

 ニンジャと言えばお金で雇われて、色々な国のスパイを行う存在として有名です。決して表舞台に姿を現さず、影の中で生き闇の中で死ぬとも言われています。

 そんなニンジャが二人、しかもお城に潜んでいたと言うではありませんか。


 驚愕に口が塞がらない王様と大臣でしたが、お姫様はまるで動揺せずに「始めなさい」と言い放ちました。


「この間、お城の中で潜んでたらさ、どこからか歌が聞こえてきたんだよね」


 見た目の割りに、ニンジャの口調は軽い感じでした。


「へぇ、何の歌?」

「パンロール娘のやつ、知ってる?」


 パンロール娘とは、いま城下町で人気の3人組のガールズユニットです。髪の毛をカールさせてピョンピョン飛び跳ねながら歌って踊るのがウケて、ちょっとしたブームになっているのです。


「あー、流行ってるよねー、誰が歌ってたの? メイドさん?」

「いや、姫様」

「!?」


 空気が凍るとは、こういうことを言うのでしょう。


 広間に集まっていた皆の視線が姫様に集まりました。

 しかし姫様は動じず、いつものつまらなそうな仏頂面を崩さずにステージ上のニンジャを見つめるばかりです。


「結構、歌が上手でさ」

「そうなんだ」


 姫様が何も言わなかったのでニンジャが漫談を続けます。

 姫様を笑わせるはずの集まりが、いつの間にか決して笑ってはいけない集まりになっていました。


「もっと近くで聞こうと思って姫様の部屋まで行ったのよ」

「おいおい。女の子部屋なんだから、少しは気を使えよ」

「まぁまぁ過ぎたことだしさ。それで、天井裏から覗いて驚いたのよ」

「なんだよ」

「全身振り付きで歌ってんの」

「ッ!」


 グッと息を呑む音が聞こえました。誰かが笑うのを堪えたのです。


「だけど仏頂面だった」

「ブッフォ」


 畳み掛けるようなネタに耐え切れずに王様が噴出してしまいました。

 ニンジャは更に姫様のモノマネを始めます。歌を口ずさみながら無表情のままキレのいい動きで踊る姿に、王様の顔面の筋肉が悲鳴を上げていました。


「お父様、あとでお話があります」

「ウッぐっ」


 笑うのを我慢しながら王様が頷きます。王様の腹筋はもう限界です。

 そこまでしてなお、姫様がニンジャをステージから下ろそうとしません。


「あー、姫様と言えばさー」

「おぉ、どうしたの」


 姫様ネタはやめてくれ、ここにいるほぼ全員がそう思っていましたが口に出さないので伝わりません。

 残虐非情なニンジャは姫様ネタを続行します。


「姫様の部屋の窓に鳥がいっぱい集まってくるのよ」

「いいじゃない。乙女っぽくて」

「うん、餌あげてるみたいでさ。白い鳩と戯れてるところとか絵になるのね」

「おー、見てみたいわー」

「そんで、姫様が鳥に名前付けてるみたいでさ」

「可愛がってるのがいるんだ」

「でも、その名前がトリなの」


 ほっ、と息が漏れます。あまり大したネタではなく、今度は全員が我慢できました。


「まってまって、どういうこと?」

「こう、パンくずとか持って窓を開けると鳥が集まってくるのね」

「うん」

「そしたら姫様が、ほらトリ食べなさい、こらっトリはもう食べたでしょ、こっちのトリにも食べさせなさい。って」

「全部トリなの!?」

「ぷひゅっ」


 パン屋のアンでした。

 笑わないように必死に口を押さえていましたが、鼻から汁が垂れています。

 未だに口を手で塞ぎながら涙目で「違うんです」と姫様に訴えていますが、姫様の視線は有罪(ギルティ)を突きつけていました。


「アン、とケインですね。覚えておきます」

「えっ俺も!?」


 巻き添えで名前を呼ばれたケインが思わず声を出してしまいました。

 あまりの不意打ちに大臣が軽く噴き出します。


「……」

「……」


 姫様の冷たい視線が向けられて大臣は生きた心地がしませんでしたが、何も言われずに視線がステージ上のニンジャに戻りました。

 姫様が何も言わないのでニンジャも漫談を続けます。


「そういえば姫様が深夜に廊下を歩いているのを見て」

「そこまで」


 次の姫様ネタに行こうとしたニンジャでしたが、枕の部分で即座に姫様に止められました。深夜にお城の廊下を歩いているネタは姫様にとって都合が悪かったようです。

 止められはしましたが、それ以上に何か言われることはなかったのでニンジャ達は静かにステージを下りました。

 今まで姫様はニコリともしていませんが、今のところニンジャの演目時間が一番長かったので王様や大臣は「優勝の最有力候補かな」と考えていました。

 そういう催しではなかったのですが、もはや当初の目的すらどこかに行ってしまっていたのです。


 気が気でないカオスな空間で、次の演目者がステージ上に登ってきました。


「5番、南の街から来ました。アントニオとフェデリコです。マジックをします」


 男性の二人組みでした。二枚目のアントニオと、ほっぺたにボールでも入れているのか赤く膨らんだ顔のフェデリコです。


「まずは手始めに花がでます」


 アントニオが何もないところから花束を出しました。

 造花ではなく本物の花で、どこに仕舞っていたのか分かりませんが見事な腕前です。

 集まった人から、おぉっという声が漏れました。


「続いてはハトです」


 また何もないところからバサバサと音を立ててハトが出てきます。

 優雅に羽ばたいたハトは飛び立つと、姫様のところへと飛んでいき頭上を何度か旋回したあと窓を抜けて外へと飛び去っていきました。

 膨れ顔のフェデリコはアシスタントらしく、花束を片付けたり小道具を準備したりしています。


「さて、お次は人体切断です」


 ステージ上に用意された四角い箱の中にフェデリコが入ります。

 フェデリコの身体からすると小さい箱なのですが、すぐに箱から手足が出てきました。箱の上から頭も出てきて、身体だけ箱に包まれたような格好になっています。


「取り出したるサーベルにて、身体を貫いて見せましょう」


 アントニオが銀色に輝くサーベルを、フェデリコの身体を包んでいる箱に突き刺しました。

 最初は切っ先だけ、次第にズブズブと刀身を埋め込んでいくと、箱の反対側からサーベルが抜け出てきます。フェデリコはサーベルが動くたびに苦しそうな表情を見せ、見ていた人たちも思わず息を飲み込みました。


「まだ足りませんね」


 アントニオはそういって、次々とサーベルと箱に突き刺していきます。フェデリコの顔が苦悶に歪みますが、まったく手を止めません。

 2本から3本、5本、8本、ついには10本のサーベルを箱につきさしました。もう箱と言うよりはハリネズミのような有様です。

 フェデリコは苦しそうな顔をしていますが、しっかりと自分の足でステージに立っていました。


「じゃあ、サーベルを抜いてみましょう」


 10本刺さったサーベルを今度は抜き始めます。時にすばやく、時にゆっくりと、たまに抜いたのを刺し直したりしながら全てのサーベルを抜きました。

 最後のサーベルが抜けた後、アントニオが片手に持ったサーベルをすばやく振り払います。


 ヒュンヒュンヒュン


 サーベルの斬撃はフェデリコの身体を収めていた箱を切り裂き、バラバラに吹き飛ばしてしまいました。偽者の柔らかいサーベルでないことを証明する演出ですが、それを込みで見ても素晴らしいサーベル捌きでした。

 箱の中から現れたフェデリコは傷一つなく元気いっぱいにおどけて見せますが、服に一箇所だけ穴が開いているのが笑いを誘うポイントです。

 広間は大きな拍手につつまれました。今までの出演者が酷かったというのもありますがアントニオとフェデリコのマジックは、それはもう見事なものだったのです。


「それでは最後に、大きなマジックをしたいのですが、お姫様にお手伝い頂けますでしょうか」

「構いませんよ」


 椅子から立ち上がって、ゆっくりと歩いた姫様がステージ上に登ります。


「それでは、この輪の中に入ってください」


 ステージ上に輪を置いてその中に姫様を誘導します。

 王様や大臣は今から何が起こるのかワクワクして仕方がありませんでした。


「上から布をかけます」

「そうやって、私を誘拐するのですね」

「えっ」

「えっ」

「えっ!?」


 突然、姫様が言い出した誘拐疑惑にアントニオの動きが止まってしまいます。

 あまりのことにお互いに顔を見合わせる王様と大臣でしたが、警備をしていた兵士の動きは素早いものでした。

 すぐさまステージに上がると、槍を手にアントニオとフェデリコを捕まえようとします。


「なんでバレたんだ! こうなったら姫を人質に取るしか!」


 アントニオの横に立っていたフェデリコがすばやい動きで姫様の背後に回りこみました。何時の間に取り出したのか、姫様の首筋に刃物を突きつけています。

 ここにきての急展開です。


「あぁ姫様……!」

「姫! おのれ姫を放せ!」

「動くな。大人しくエルフの秘薬を出せ」

「何だと!」


 アントニオは姫様を人質にとって、エルフの秘薬を要求しました。


「お前達が独占しているのだから、無いとは言わせんぞ」

「貴様、どこの者だ」

「南の国、といえば分かるな」


 これまでの比でない程にどよめきが広がりました。


「南の国だと……?」

「馬鹿な、国交は断絶しているはずだ。どうやって入国をしたんだ」


 王国と南の国は、先代の王様の治めていた時代に戦争をしていました。

 北の森と繋がっている王国はエルフの秘薬を独占して取引していた為、他の国へ高値で売ることにより利益を得ていたのです。

 南の国はそれが面白くなく、利益を独占する王国に対して正義の名の下に宣戦布告をしましたが、似たような国力で戦争をしたためにお互いに疲弊し、弱ったところを第三国に狙われるという事態になりました。

 国が弱るばかりで何も良いことがないと判断した両国は停戦を締結し、なし崩しのまま今に至ります。

 戦争こそやっていませんが、国交もなく決して仲の良くない相手なのです。


 城に潜んでいたというニンジャに続き、犬猿の仲である南の国まで現れたことに王様は目を白黒させています。

 槍を持った衛兵が近づこうとしましたが、姫様を盾にされては一歩も動くことが出来ません。


「そこのニンジャ」

「ニンジャマスターです」


 姫様が刃物を突き詰められたままニンジャマスターのホンダに話しかけました。


「私を助けなさい、お金は言い値で払うわ」

「承知した」


 お姫様が冷静にニンジャを雇用すると、刃物を突きつけていたフェデリコがぐらりと倒れました。


「なっ!?」


 アントニオが驚きの声を出しますが、逃げるよりも前に衛兵に囲まれます。

 あっという間に形勢逆転してしまいました。ニンジャの使うニンジュツの前ではひとたまりもないです。


「とんでもないことをしてくれたな、姫が怪我でもしたら首ひとつでは済まさんところだぞ」


 王様は怒り心頭といった様子です。このままでは戦争も辞さない気迫が伝わってきました。

 アントニオも縛り上げられ、広間に転がされます。


「あなた達、どうしてエルフの秘薬が欲しいの?」


 無事に開放された姫様が興味なさげに床に転がるアントニオに問いかけました。


「……」

「答えろ!」


 むっつりと黙り込んだアントニオに槍が突きつけられます。

 今にも突き刺さりそうな様子ですが、かたくなに口を結んだまま開こうとしません。


「理由によっては薬を渡します」

「姫様!?」


 本来、薬の使い道は厳格に決められているので、余分に、それも敵対している国の人間に譲る薬などないのです。

 しかし、姫とはいえ王族の言葉として信じたのか、アントニオは重々しく口を開きました。


「フェルナンド王子の虫歯を治すためだ」

「フェルナンド……王子?」


 その視線はニンジャに眠らされたフェデリコを向いています。つられた王様が訝しげにピエロ顔のフェデリコを覗き込むとを、どことなく見覚えがあるような気もしました。


「フェルナンド王子、ご本人だ」

「なんと!」


 フェルナンド王子と言えば国交がないにもかかわらず美形の男性の代名詞として語られるのが聞こえるほどのハンサムでしたが、今はそれが見る影もありません。


「虫歯が原因で、お顔がこんなにも腫れてしまったのだ」


 くやしそうにアントニオが呟きました。


「虫歯なんぞ、エルフの薬を使わずとも抜いてしまえば良いではないか」

「普通ならな。だが王子は幼い頃から暗殺に備えて毒物を少量ずつ摂取していた為に、麻酔の効かない体質となってしまっているのだ」

「だからエルフの秘薬を欲していたのか」


 大臣が確認するように言いました。アントニオが無言で頷きます。

 ただの虫歯であれば、麻酔をして痛みを感じさせないようにしてから抜いてしまえばいい話ですが、麻酔が効かない為に安易に抜くことも出来ないのです。もし麻酔をしないで抜けば、痛みの余り死んでしまうかもしれません。

 国のことを抜きにしても可哀想だとは思いますが、だからといって簡単に薬は渡せません。


「ちょっといいかな」


 横から声が飛んできたので全員の視線がそちらへ向きました。声をかけてきたのはエルフのルーララでした。


「おぉ、そうだ。ここにエルフがいるじゃないか。頼む、礼は何でもする。どうか秘薬を分けてくれ」


 縛られたまま必死に頼み込むアントニオでしたが、ルーララは眉根を下げて申し訳無さそうに言いました。


「エルフの秘薬では虫歯は治せないんだ。怪我でも病気でもないからね」


 なんということでしょう。危険を冒してまでやってきたというのに、エルフの秘薬は虫歯には効果が無かったのです。


「おぉ……ここまでやってきたというのに、全て無駄だったのか……」


 アントニオが項垂れました。その姿は一言でいうなら”悲惨”につきます。


「今なら虫歯が抜けるんじゃないの?」


 がっくりとしている南の国の二人に対して、お姫様が事も無げに言い放ちました。

 はっとして意識を失っているフェルナンド王子を見ると確かに意識がありません。


「本当だ! 麻酔は効かないはずなのに」

「麻酔ではない、ニンジュツだ」


 ニンジャマスターの使うニンジュツは、東洋の神秘の力により人の意識を刈り取るのです。

 一瞬、希望を見せたアントニオでしたが、しかし頭を振ります。


「いやダメだ。いま意識が無くても施術する道具が無い」

「あるじゃない」


 姫様の指差す先には、西の村のトマスがいました。その手にはやっとこを持っていました。


「本当だ! 歯を抜く道具と一緒だ!」


 大きさに多少違いはあれど、歯医者が抜歯に使う道具と似たようなものです。使えないことは無いでしょう。

 このまま歯を抜けるかと思いましたが、すぐに思い直して首を振りました。


「いやダメだ。抜いた後に止血も出来ない。それでは怪我をしたのと変わらないじゃないか」

「怪我なら薬を使えるんじゃないの?」


 姫様の視線の先にはエルフのルーララがいました。


「本当だ! 怪我ならエルフの秘薬が使える!」


 今度こそ大丈夫かとキラキラした瞳でルーララをみつめるアントニオでしたが、今度はルーララが首を振りました。

 ルーララは困ったように答えます。


「里を離れるエルフは皆、秘薬を持たされています。私も確かに持っています。

 但し、使っていいのは自分が大きな怪我や病気をしたときか、価値のある芸術品との交換でなければならないと、里の掟によって決まっているのです」


 やっと見えた希望だったのに、エルフの里の掟に阻まれてしまいました。

 この機会を逃してなるものかと、アントニオは必死に食い下がります。


「そこを何とかなりませんか、南の国にあるものでしたら何でもお渡します」

「残念ですが、普段の取引とは異なるのです。通常の取引よりも価値があると認められなければ、私が里から追い出されてしまいます」


 ルーララが悲しそうに首を振ります。

 必死に頼み込むアントニオを見ていた王様がルーララに声をかけました。


「私からもお願いします。フェルナンド王子に薬を分けてあげて下さい」


 相手がエルフとはいえ、一国の王が頭を下げる姿を民草の前で見せるものではありません。

 しかし子を持つ親として、若者が苦しむのを見ていられなかったのです。


「掟は、掟です」


 王様が頼んでも、ルーララは首を振ります。エルフの里の掟とは、そこまで絶対的なものなのです。


「価値のある芸術品とは、どういうものかしら」


 王様が頭を下げる姿を覚めた目で見つめていた姫様がルーララにたずねました。


「例えば全く新しい芸術品、今までどこにも無かったような音楽、そういったものです」

「そこのパンのような?」


 姫様が指差す先にはパン屋のケインとアンが建っていました。その手には笛パンが握られています。


「あっ本当だ! ……いや、でも音が出るだけだと難しいかも」


 アンが服の仲からパンを取り出しました。芸の中でケインが食べていたパンよりも複雑に沢山の穴が開いています。


「曲の演奏まで出来るのもあります」


 アンがパンを食べだすと滑らかにメロディが奏でられました。素朴でありながら巧みに重ねられた音階がハーモニーを生み出します。


「素晴らしい! これは新しい芸術だ!」


 ルーララが思わず声を上げました。


「これなら十分に秘薬と交換する対象になりますよ」

「おおっ!」

「それでは!」


 ルーララの言葉に王様とアントニオが笑みを浮かべました。

 どうやら秘薬を分けてもらえるようだと安堵の息が疲れる中、緊張した空気を纏ったままの姫様がトマスに命じました。


「それでは出番よ」


 出来るといった覚えも無いのですが、姫様の命令に逆らえるはずも無くトマスはやっとこをフェデリコ王子の口に突っ込みます。

 口の奥に見える黒ずんだ歯をしっかりと挟み込んで固定しました。


「抜いてしまいなさい」


 感情を一切持ち合わせていないのではないかと思う程、姫様は淡々と抜歯を命じます。

 鍛冶で鍛えたトマスの力は常人の数倍はあります。広間に集まった全員が見守る中、がっちりと掴んだフェデリコ王子の歯を力任せに引き抜きました。


 グチュッ


 グロい音がしました。

 勢いあまって尻餅をついたトマスに視線が集まります。トマスが手に持ったやっところ高く掲げると、そこには確かに虫に食われた奥歯が挟まれていました。


 ◆


 歯を抜いた後、エルフの秘薬を使って貰ったことでフェルナンド王子の口の中には既に新しい歯が生えてきました。げに驚くべきはエルフの秘薬の治癒力でしょう。

 その夜。遅くまで王様や大臣、アントニオとフェルナンド王子、それからお城に集まった沢山の人たちでパーティーが開かれました。

 南の国との国交復活を約束してくれたフェルナンド王子の快気祝いです。勿論、最後に歯磨きは忘れません。


 夜遅くまで聞こえる歓声を遠くに聞きながら、自室の机の上でノートにペンを走らせながらお姫様はつまらなそうにため息をつきました。


「これで南の国との戦争は避けられますね。ヤマモト」

「はっ」


 今まで誰もいなかった空間にニンジャが現れました。

 ステージ上で漫談を披露したニンジャマスターの片割れです。


「西の国の様子はそれからどうなの」

「依然、王が伏せったまま変わらずに緊張状態が続いています。

 野心家の王の弟が後を継げば戦争は避けられません」

「王女が居たでしょう、結婚相手はいるの?」

「何人か候補がいるようですが、今はそんな場合ではないと延期しているようです」


 姫は窓から見える星空を見つめて思案顔を浮かべます。


「ホンダ」

「はっ」


 再び何もない空間からニンジャが現れました。

 ヤマモトの相方として漫談をしていましたが、この二人は実はお姫様の配下だったのです。


「フェルナンド王子が国に帰る際に護衛をしなさい」

「承知」

「但し、そのときに直接南の国に帰らせるのではなくて、西の国に寄らせること。

 フェデリコ王子の帰り際にエルフの秘薬を持たせるわ」

「御意に」


 出てきたときと同様に、ニンジャは揃って音もなく姿を消しました。


 これで偶然、西の国を通ったフェルナンド王子が、たまたま持っていたエルフの秘薬で病に伏せる王を救うことになるでしょう。

 フェルナンド王子は第三王子ですが、腫れた顔が戻った今は超絶イケメンです。父親の窮地を救った王子様ともなれば、きっと西の国の王女もメロメロになることでしょう。

 南の国も、西の国と血縁関係が出来るなら結婚を嫌だとは言わないはずです。


「これで南の国と西の国は当面、問題ないわ」


 一つ、肩の荷が下りたお姫様はぐっと背を伸ばしました。

 仕込みに長い時間をかけたあって、開放感もひとしおです。

 

 ニンジャの情報網から南の国の王子が虫歯で悩んでいるという情報を手に入れた姫様は、手始めに新しい楽器を作らせることを考え、パンと楽器が結びつくように歌って踊るパン屋のパンロール娘を流行らせました。振り付けも自作です。がんばって部屋の中で自分で踊って考えました。

 そしてエルフの里から出てきているルーララが食いつきそうな催しが行われるように王様を誘導し、パン笛を完成させたケインとアンが参加するように手配して、更に虫歯を抜くための人材としてトマスを事前審査会で通させました。 

 今日、行われた”姫様を笑わせる会”は、全て姫様が仕組んだことだったのです。

 

「そろそろ食糧問題と、国民の義務教育に取り掛からないと」


 休憩をしたのもつかの間、お姫様は新しいノートを引き出しから取り出すと再びペンを走らせ始めます。

 王様達のパーティが終わり、広間から歓声が無くなってもお姫様の部屋から明かりが消えることはありません。


「結婚……したいなぁ」


 結婚するであろうフェルナンド王子と西の国の王女のことを思い出して、お姫様は誰に言うでもなく呟きました。

 鉄面皮に見えるお姫様ですが、人並みに結婚にはあこがれているのです。誰にも見えることはありませんが、その瞬間だけは年齢相応の乙女の顔になっています。


 幼い頃、旅先で船の事故にあったお姫様は、東の国の人たちに助けられました。

 それから迎えが来るまでの短い間を東の国で暮らしたのですが、その時に姫様は東の国の王子と恋仲になっていたのです。

 今でも伝書鳩を使って、こっそりと東の国の王子とは恋文のやり取りを続けています。ニンジャマスターのホンダとヤマモトも、王子から姫様の護衛にと派遣されているのでした。


 二人は両思いだったので、お姫様は早く結婚したいと思っていました。

 しかし、王様や大臣が気づかないだけで、この王国には問題が山積みだったのです。

 南の国とも下手をすれば戦争まで一触即発の状態でした。能天気な王様や愛すべき国民を置いて、自分だけ幸せになるわけにはいきません。

 姫様の引き出しの一番奥には、自分の結婚に関するノートがしまってあります。全部の問題が片付いて、この国から手を離しても大丈夫だとなったら、このノートを開いて自分の結婚式について考えるのです。


 だから、いつか来るその日まで。


 お姫様は笑わないのです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 物語に引き込まれました。 伏線がきれいでした。 [一言] 優しい物語で、読んでて幸せな気持ちになれました。 作者の優しさが伝わってきました。 そして、しっかり笑わせてもらいました。
[良い点] 新しい単語が出るとすぐに説明が入り、とても分かりやすかったです!
[良い点] 童話風落語! 面白いのにラストでキュンとしました。
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