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夏の星〜河上彦斎異聞〜
作:矢車



【5】


 
 「輝いているかどうかは、俺自身にはわからん。……だが」“西神”は、星の輝く空を眺めた。「いつかは夏の星のように、弛まず輝きたいものだ、な」
 「そうか」
 気がつけば、棚橋は刀を抜いて、正眼に構えていた。
 「やるのか」
 決まってる、と棚橋は言った。「柳の仇だ」
 そして、その声に呼応したかのように“西神”が刀を神速で抜き放った、その瞬間だった。
 「貴様ら!!何してる!!」
 突然、大喝が響いた。騒ぎを聞きつけて、誰かがやってきたのだろう。声のした方を棚橋が見やると、そろいの紋をつけた提灯が闇の中に浮いて見えた。ああ、あれは。一橋の代紋だ。
 だが、彼らがこの場に割り込んできたのが、一瞬遅かった。
 鞘から抜き放たれた“西神”の剣尖は、棚橋の腰から胸にかけて、大きな傷を作った。だが、大喝にひるんで踏み込みが足りなかったのか、“西神”の剣尖は棚橋の体を二つに分かたなかった。だが、深手に違いはなく、棚橋はその場に崩れ落ちた。
 「邪魔が入ったか。…命拾いしたな」
 という“西神”の言葉、そしてそれに続いて走って逃げる足音が棚橋の耳に入った。
 けれど、棚橋は、血の気が抜けていく感じを、全身で感じていた。
 力がどんどん抜けていく。眠くないのに瞼が重い。寒い。暗い。
 棚橋の目の前には、何者よりも深い闇が広がっていた。
 「やや!!これは、柳!!それに棚橋!!」
 「柳はもうダメだ……」
 「おい!!棚橋!!しっかり気を持て!!」
 逃げていく足音に遅れて、棚橋たちの近くで立ち止まった人たちの声が、まるで他人事のように聞こえる。そして、まるで界隈の向こうで話されている話のように、耳からどんどん離れている。たぶん、肩をつかまれてゆすられているはずなのに、その感覚がない。夢の中のようだ。
 ……ああ、俺、死ぬのか。
 棚橋は、諦めつつ重い瞼を閉じた。

 河上彦斎かわかみげんさいは、大城屋に逃げ込んでいた。
 大城屋は、いわゆる旅籠である。だが、ただの旅籠ではない。
 ここの主人が尊攘派の志士たちに同情的で、積極的に匿ってくれるおかげで、“西神”たち一派の定宿になっている。だが、以前と比べると、随分風当たりが違う。
 以前は、それこそ我が者顔で大城屋の廊下を歩けたものだがな、と足を潜ませて暗い廊下を歩きながら、彦斎は苦笑する。
 と、いうのも、大城屋の主人に言われてしまったのだ。
 『あんたらは国に帰ってたから知らないだろうが、池田屋の騒動から、幕府方の宿改めが激化してな。申し訳ないが、アンタらの事がもし嗅ぎつけられたら、こちらは知らぬ存ぜぬで通すからそのつもりでな。俺も命は惜しいし、生活もある。わかってくれ』と。
 同志達は憤慨した。『それが憂国の志士たちにかける言葉か!!』と。だが、彦斎には、その大城屋の言い分はしょうがないことに思えた。大城屋の主人と、俺たちは違う。俺たちは志士活動をしていれば、仲間の金策のおかげ(ちなみに、その方法は商人への半ば押借り)で食っていける。だが、大城屋は宿屋なのだ。当然、世間におもねらなくてはならない。それはしょうがないことだ、と。むしろ、旗色が悪くなってもなお、尊攘派の自分たちに宿を貸してくれる大城屋に感謝すべきだろう、と。
 そんなことを考えながら廊下を抜き足で歩く彦斎の後ろで、前田は言った。
 「おい、今日の暗殺は不首尾だったな」
 彦斎ははっと振り返り、シッ、と声を潜めるように促した。
 「馬鹿、誰かに聞かれたらどうする!」
 「大丈夫だよ」前田は声量を変えず、呑気に言い放った。「大城屋の主人の話だと、今日は俺たち以外、客がいないらしいからよ」
 ほっとした彦斎だったが、さっきまで抜き足差し足で廊下を歩いていた自分に思い至り、少々バツの悪い思いに襲われた。それを振り払うように、彦斎は言った。
 「ふん、柳は斬った。それで、充分だろう」
 「いいや、甘いな」前田は続けた。「俺たち暗殺稼業の人間は、絶対に顔を知られてはならない」
 「いいじゃないか」彦斎は反論した。「俺達は、志士だ。あくまでな」
 「だが、皆はそうは思っちゃいないよ。俺達、皆からなんて呼ばれてるか、知ってるか?」
 「ああ」
 彦斎は頷いた。
 肥後の河上彦斎、因幡の前田伊左衛門の二人組といえば、尊攘派志士の間では知らぬ者が無かった。それは、論客としての盛名でも、一派の指導者としての雷名でもなかった。
 要は「人斬り」、つまりはテロルの請負人としての悪名が轟いていたのだ。そして、河上・前田コンビを指して、尊攘派志士たちはこう呼んだ。“死に神”と。つまり、二人に目をつけられたら最後、必ず骸を今日の街に晒すことになる、ということなのだろう。
 事実、“死に神”コンビは京の血風を彩った一人だった。
 “死に神”コンビが人を斬っていたころ、まだ京には土佐の岡田以蔵おかだいぞう・薩摩の田中新兵衛たなかしんべえという、「人斬り」の大家ビックネームがいた。そして、その二人が己の刀と血祭りに上げた人間の血によって作り上げた“血の花道”を、我も我もと追随する“狂犬”たちが現れて、その道を拡げていた。実は、河上たちもその“狂犬”の一人だった。岡田以蔵も、田中新兵衛も、そして彦斎たちも、己の刀一本で、尊攘の障害になりうる者たちを地獄門に送っていった。そして、その花道で大立ち回りを演じたものたちは、人を斬る、ということに対する罪の意識のためか、しきりに「天誅」という言葉を使い、己の正義を叫んだ。
 もちろん、「人斬り」などということが許されるはずもない。当然幕府は「人斬り」たちを駆っていった。その中に、かつての人斬り二枚看板の一角・田中新兵衛もいた。田中だけではなく、“狂犬”たちも次々に捕縛されていった。
 だが、その中でも、彦斎たちは逃げ切った。
 政変があって、尊攘派志士たちが朝廷から締め出されてしまったのを期に、彦斎たちは“狂犬狩り”吹きすさぶ京から離れた。そして、一時人斬り稼業を中止していたのである。
 そのおかげで、今の今まで首がつながっている、と彦斎は思っている。もし、ぐずぐずと京にいたら、きっと捕まっていたことだろう、と。
 だが、そんな彦斎たちは、また上洛した。
 「“死に神”か。お似合いだよな」彦斎は諦めたように呟いた。
 「そう、俺達“死に神組”が、初めて仕損じたんだ。不首尾と言わずしてなんと言う?」
前田の言い分にうんざりしながら、彦斎は反論した。
 「だから、標的の柳は斬った。不首尾じゃないだろう」
 「いいや。目撃者が居ただろう。アイツも殺しておくべきだった」
 「ああ。……だが、大丈夫だろう。あのような弱そうな侍に何が出来る」彦斎は、さっき対峙した、一橋の若侍を思い出しながら言った。「それに、あの侍、死にはしなかったが、きっともう再起不能だ」
 「ふん」前田は鼻を鳴らした。「まあいい。どうせ、京に長く滞在するつもりもないからな」
 「そうだな」
 彦斎は、興味無さそうに受け答えた。
 そんな会話をしているうちに、二人は大城屋の奥の間の前にまでやってきていた。この奥の間が、現在彦斎たちが世話になっている尊攘一派のアジトだ。彦斎たちの足音を聞きつけたのか、奥の間でさっきまで響いていた議論の喧騒が、ピタリと止んだ。
 「ああ、前田です」
 そう前田が障子越しに名乗ると、奥の間で安堵のため息が漏れ、障子が開いた。
 「おお!前田殿、河上殿!」
 奥の間に居た志士たちは、笑顔で二人を迎えた。まるで、英雄か何かを迎えるように。そして、そういう和やかな空気の中、志士の一人が、聞きにくそうにしながら口を開いた。
 「で、首尾は……」
 前田は、答えた。
 「ああ、一橋の柳は、死んだよ」
 瞬間、奥の間は色めき立った。「よし、柳が死んだ!」「これで、我々の活動がやりやすくなるぞ!!」などと小声ながら口々に言い合っていた。
 だが、彦斎にはどうにも納得がいかなかった。
 柳、という男は、斬るに値する男だったか?と。
 彦斎という男は、独特の「人斬り観」を持っていた。
 “人には、二種類ある。「蔓」と「実」の二種類だ。「蔓」の人間は、真面目に生きて、真面目に死んでいく。特に見るべきものもない代わり、毒にもならない。一方の「実」の人間は、「蔓」から貰った栄養を元に、世に向かい何かをなすことが出来る人間。だが、「実」の人間は、薬になるかもしれないが、毒にもなりうる”
 そして、彦斎はさらに続ける。












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