夏の星〜河上彦斎異聞〜(19/25)縦書き表示RDF


夏の星〜河上彦斎異聞〜
作:矢車



【19】


 「なあ、彦斎」
 「ん?」
 「これから、どうするよ?」
 「そうだな……」
 彦斎が、前田の問いに答えようとした丁度その刹那、彩辻一派の一人が二人の前に立った。二人は、その男の名前を知っている。石森だ。
 「ん?どうしたんだ?石森くん」
 石森は、前田の問いに答えず、二人の前にどっかりと座った。その無作法に、二人はちょっとイライラしつつも、とりあえず捨て置いた。
 「どうしたんだ?石森くん」
 イラつきながらも、前田は重ねて訊く。
 前田に促されるようにして、石森は口を開いた。
 「ええ、この度はどうも……」
 「ああ、この度は……」
 まるで、とってつけたような石森の言葉だったが、一応礼儀として返事を返す前田。そして、その前田の言葉を、彦斎が遮った。
 「……何の用だ」
 一瞬、ぎくっと体を仰け反らせる石森。きっと、話しづらいことでも話しにきたのだろう。石森は彦斎の威圧に圧され、口をつぐんでしまった。それを、彦斎は許さない。
 「何用だ、と訊いてるんだ」
 まるで、首元を押さえつけられたかのようなドスの効いた声。その声に、石森は覚悟を決めたのか、硬い唾をゴクンと音が聞こえるほどに飲み込むと、意を決したように口を開いた。
 「実は、ですね……。河上先生にお願いが……」
 「ほう?」
 いちいち、彦斎の言葉に身を仰け反らせながらもじっとその顔色を伺う石森は、へりくだりつつ続ける。
 「彩辻先生が、何者かに殺されました」
 「ああ、知ってるが」
 「たぶん、彩辻先生は、刺客にやられたものと思われます。彩辻先生ほどのお方でしたから」
 「で?」前田は話を先に促した。
 「我々は、敵をとりたいんです。そこで、河上先生、彩辻先生の敵討ちに加勢してはいただけませんか」
 彦斎は、ため息を吐いた。まるで、それが結論か、と言わんばかりのため息だった。
 さらに、石森は言葉を重ねた。
 「こう言ってはなんですが、彦斎先生は、いや、前田先生もそうですけれど、彩辻先生のおかげで、こうして上洛なされているわけじゃないですか。ということは、先生方は彩辻先生に恩が残る、ということです。それを、フイになさるおつもりですか」
 用意してやがったな。前田はそう思った。
 まるで、以前から練っていたかのような、よどみない言葉。事実、以前から練っていたのだろう。
 そして、こういう論理を振りかざす人間は、止めを刺そうと一気にまくし立てる。事実、石森が口を開いて息を大きく吸った、その瞬間だった。
 石森の、息が止まった。
 正座していたはずの彦斎が佩刀を引き抜いて、石森の首筋にその切っ先を突きつけていたのだ。一番近くに居たはずの前田でさえ、剣尖どころか身のこなしさえ見えないほどの速さだった。
 「……あ」
 「よく聞け」
 彦斎は、刀を突きつけられて完全に血の気が引いている石森に、言った。
 「確かに、彩辻殿には恩がある。だがその恩は、佐久間象山を斬ることで果たす。それ以上のことは、彩辻殿の恩では動けないな」
 「し、しかし……」
 「くどいやつだ」
 彦斎は、さらに刀の柄を強く握りこんだ。まるで、石森を脅かすように。案の定石森は、首元に突きつけられた剣先を見つめてブルブル震えている。
 「それに、お前の狙いはわかってる」彦斎は、石森の震える目を、冷たい目で見下した。
前田も、実は石森の狙いは判っていた。
 彩辻一派の中で、「彩辻の仇を取ろう」という連中と、「彩辻の後釜を決めよう」という連中がいることは述べた。だが、多少なりとも目鼻の効くものは、実は、その二つが同根であることを理解していた。つまり、彩辻の仇を取った派閥の頭、それが彩辻の後釜なのだ、ということを。そう、石森は、自分の派閥に彦斎を取り込んで、彦斎に仇をとらせ、そして自分が彩辻一派の新たな頭に、という算段があるのである。
 「だが!!」
 突然、石森が口を開いた。ようやく、頭の中で考えがまとまったのだろう。やはり、よどみない、しかも隙もない言葉を紡ぎ出した。
 「まだ貴方は佐久間を殺していない!!約束を守っていないではないか!!」
 「これから殺す」彦斎は短く言い放った。
 「しかし、佐久間を殺すより、先生の仇を取ったほうが、先生もあの世でお喜びになろうぞ」
 「彩辻殿が、なにを以って喜ぶか、など興味がない。だが、これだけは言える。俺たちは志のために戦っている。なのに、敵討ちになど現を抜かしてはいられない」
 前田は心の中で笑った。おいおい彦斎、お前だって、宮部鼎蔵先生の敵討ちにここまで来たんだろうが。
 「じゃあやはり、貴方方は恩知らずだ」
 この石森の言葉は、武士にとっては死刑宣告に等しい。武士とは、「恩」の体現者だからだ。
 だが、彦斎は言った。
 「ならば、彩辻殿が、どんな人だったか思い出してみろ」
 「え?」
 戸惑う石森に、彦斎は言葉を重ねた。
 「俺はあまりよく知らないが、彩辻殿がもし志のある人間だったなら、死してもなお、国事を憂いているはずだな?」
 もちろん、彦斎が彩辻の人となりを知らないわけは無い。むしろ、実は彩辻という人間が、国事を憂いているだけの人間ではないことも、薄々ながら理解している。ここで彦斎は、石森から逃げ場を奪ったのだ。
 「……ええ」しぶしぶながら、石森は頷いた。
 ここから、彦斎は畳み掛けた。
 「ならば、彩辻殿は、自分の仇を討つよりは、攘夷の邪魔になる佐久間を斬ったほうがお喜びになるのではないか?だってそうだろう?彩辻殿は、志がある人間なのだから」
 「ぐ……」
 石森は、グウの音も出なかった。
 「とにかく」彦斎は、刀を引き、鞘の内に収める。そして、言葉を継いだ。「俺は、佐久間を斬る。彩辻殿の恩を、果たすためにな」
 首元に突きつけられた刀が外されたことで、ようやく顔色が元に戻ってきた石森は、一礼すると立ち上がり、すごすごとその場を去っていった。
 「ふん」
 鼻を鳴らして石森の後ろ姿を睨む彦斎に、前田は訊いた。
 「おい、彦斎。今の話、本当か」
 「ん?何の話だ?」
 「決まってるだろ。“佐久間を斬る”って話だ。いいのか?俺たちには時間がないんだぞ?たぶん、あと数日すれば長州の本隊がやってくる。そうなれば……」
 「宮部先生の敵討ちが、出来なくなるな」彦斎は、どこか他人事のように呟いた。
 「なら、佐久間のことなんて放っておけばいいじゃねえか。佐久間に、私怨はないんだ。別に放っておいたっていいじゃねえかよ?」
 彦斎は、ふ、と息を短く吐いた。まるで、腹の内にある色々な思いを吹き払うかのように。そして、目を閉じた。
 「おい、彦斎?」
 前田の声にも、彦斎は答えなかった。
 
 「私は、異国の人間が許せないのだ」
 かつて宮部先生は、一度だけ彦斎に言った。
 なぜですか。なぜ、そんなに異国の人間を嫌うのです?そう訊くと、宮部先生は答えた。
 「奴らは、この国を植民地にしようとしている」
 確かに、そうかもしれませんね。彦斎が相槌を打つと、宮部先生はさらに言った。
 「そして、それ以上に許せない人間がいる」
 だれですか?そう訊くと、宮部先生は答えた。












ケータイ表示 | 小説情報 | 小説評価/感想 | 縦書き表示 | TXTファイル | トラックバック(0) | 作者紹介ページ


小説の責任/著作権は特に記載のない場合は作者にあります。
作者の許可なく小説を無断転載することは法律で堅く禁じられています。




BACK | TOP | NEXT


小説家になろう