【15】
「なにが神州だ!なにが神風だ!そんなもの、ありはしない!!あったとしても、外国の連中は、そんなものを跳ね除けるほどの力を持っているわ!!そんなありもしないものを恃みにしている時点で、日本の負けは決まりだ!……かの、清国のようにな」
「では、どうすれば……」
河上に促され、佐久間は続けた。
「言ったろう。開国だ。開国して、諸外国の知識を吸収する。技術を盗む。そして、国を根底から造りかえる。そう、新しく手に入った歯車をむりやり納めるんじゃない。その歯車にあった機械を新しく作るんだ」
この頃には、もう既に佐久間は気づいていた。目の前にいる河上の意図を。
コイツ、俺の器を計っているのか。わざと、答えに窮するような質問をすることで、俺の嵩を測ろうとしてやがる。ならば、見せてやる。俺の器には底がないぞ。という、悪戯っぽい気分に追い立てられて、持論を述べた佐久間なのだった。
「……そうですか」
河上は、特に反論もしなかった。たぶん、器を計り終えたのだろう。河上は、恭しく頭を下げ、なにがしかの礼を言うと、踵を返した。
「それだけの質問のために、俺を呼び止めたのか、河上」
佐久間の言葉に、河上は振り返った。その河上に、さらに佐久間は言葉をかける。
「俺は日本の国宝・佐久間象山であるぞ?そうそうサシで話せる機会はない。どうせこんなまたとない機会だ。まだ、訊いておきたいことはないのか?」
まだまだ、器を計り足りないのではないか?と続けようとして、さすがに口をつぐんだ佐久間だった。
一方の河上は、フ、と、春の日差しを全身に浴びて笑う子供のような清々しい笑顔を見せ、佐久間に向き直った。そして、その笑顔のまま、河上は口を開いた。
「……では、お言葉に甘えまして」
「能書きはいい」
話をつっけんどんに先に促す佐久間。その言葉に怖じもせず、河上は言葉を紡いだ。
「なぜ、夏の星は瞬かないのでしょう」
どこかで訊いた質問だな、と佐久間は首を傾げたが、思い出せなかった。思い出せないということは、別にどうでもいい場面で訊かれた、どうでもいい質問なのだろう、たぶん、酒の席か何かで答えた質問なのだろう。そう結論付けた佐久間は、返す刀でその質問の答えを話した。
「夏の星が瞬かないのは、空気を揺らす風が、夏には吹かないからだ」
いつぞや答えたときよりも、はるかにいいかげんな受け答えだったが、佐久間にはそれで十分に思えた。佐久間には、予感があった。この答えは、きっと自分の立つところを鮮明に示すだけでいい、ということを。
その予感は当たった。
河上は、なぜか満足そうに頷くと、河上自身が用意していたのだろう答えを口にした。
「夏の星は、人の志で輝いているんです」
「そうか。それがお前の答え、か」
河上は、微笑んだまま、頷いた。
「ならば言うことは何もない、な」佐久間はおどけた口調で言葉を重ねる。「真の答えを前にしても、持論を曲げない人間に、言うことなど何もない。質問に対し懇切丁寧に答えてやっても意味がないんじゃ、こちらも気が滅入る」
「いいえ」
河上は首を振った。
「何がだ」
「佐久間先生の今言われた答えは、“真の答え”ではありません。あくまで、答えの一つです」
「……」しばらく宙を眺めてから、佐久間は微笑んだ。「そうかもしれないな」
しばし、沈黙が二人の間に滑り込んだ。そしてその後には、夏特有の湿りを帯びた風が滑り込み、そして、その後には何も残らなかった。遠くの方で、蒼い木々たちが、さらさらと揺れた。
そして、木々たちがそのさえずりをやめた頃、河上が口を開いた。
「……では、失礼します」
そう言って踵を返した河上に、佐久間は声をかけた。
「……河上彦斎。その名、覚えておこう。……次、会うときには酒でも酌み交わせるといいな」
河上は、振り返らずに答えた。
「きっと、またお会いすることもありましょう。それも、近いうちに」
「ふん、そうか」
河上の後ろ背は、女の人のものと見紛うほどに、小さかった。けれど、その足取りには、力があった。たぶん、あの男には道標があるのだろう。誰にも干渉されない、それでいて天に輝く星のような道標が。
だが、と佐久間は思った。
あの男は、と佐久間は河上の、小さくなっていく背を眺め、思った。
道標、というものは、正しいことが前提となって存在している。道に立つ道標は、確実に目的地を指し示しているように。だが、どうやら人間の生きる道には、明確な道標がない、と。
人生は道ではない。それに、社会、これも道ではない。そして、未来。これも、“目的地が存在する”という意味においては道なのだが、厳密には道とは言いがたい。どうやら、人間の目の前には、道標は存在しない。人は、道標を自分の少し先に勝手に造り、その自分の道標を疑いもせずに歩く。だから、間違う人間も多い。奥州に行きたい人間が、日本橋の西に「奥州行き」という立て札を勝手に立てて、京都に来てしまうようなものだ。それは、仕方の無いことなのかもしれない。何せ、人生には、星のような絶対的な道標が存在しないのだから。
だが。佐久間は疑問をそのまま口にした。
「なぜ、皆こんなにも間違うのだ。答えなど、容易く出るだろうに」
天才・佐久間象山は、答えが常に見える人間だった。それは、攘夷の嵐が吹き荒れる中、一人開国を叫び、異国の技術を吸収するのが先決、と唱えていた男だ、という一点からも判る。そういう人間に限って、周りへの理解は足りないものだ。自分が超えられるものを、他人が超えられないはずはない、という了見なのだ。だが、佐久間は気づいていない。自分が軽々と超えているもの、それは普通の人からすればただの壁ではなく、大山のように越えがたいものであることを。
佐久間は、もう既に誰もいない清水寺の境内で、首を捻った。
もちろん、佐久間の疑問に答えてくれる者は、陰も形もなかった。それに、この時代、佐久間と同じ疑問を持っていた日本人は、両の指で数えるほどだっただろう。結局は、自分で答えを出すしかない。
佐久間は、額の汗を拭いて、ため息を吐いた。
宮部先生は、予断を差し挟まない人だった。そして、不確定要素も差し挟まなかった。つまりは、宮部先生は、確実な論理と、確定している事実を元に論を展開する人だった。
「人事を尽くして天命を待つなんていうのは、あれは嘘だな」
なぜです、と訊くと、宮部先生は笑った。
「天命など、この世界には存在しない。存在するのは、人の意思だけだ。そして、人の意思の積み重ね、それが時代を作るんだ」
言い方を変えれば、宮部先生は人を信じている人だった。
そして、その話の締めくくりに、宮部先生は必ずこう言った。
「まず、人の意見はよく聞け。たとえ、自分にとって、まるで承服できないような論理であったとしても。なぜなら、お前にとって承服できない論理であっても、その論理は人の意思だからだ。そして、その意思が積み重なって、時代となるのだ。人の論理を否定してもいい。だが、話も訊かないうちに封殺するのは良くない」
「おい!彦斎!どういうことだ!!」
前田は、彦斎に食いかかった。
「なにがだ」
つっけんどんに受け答え、ずんずんと道を歩く彦斎。その彦斎を追いかけ、さらに声を荒げる前田。
「お前、どうして佐久間に自分の名前を名乗った!!自分の名前を標的に教えるやつが何処にいる!!」
「あ、あのう……」
言いにくそうに、松浦が口を開いた。
「ああ!?」
「……声、大きいです……」
そう言われて周りを見渡すと、京の街の往来を歩く人たちが、何事かと前田たちに目をやっている。どこかの丁稚と思しき少年は、前田と目が合った瞬間、バツが悪そうに目を逸らした。
「おい、彦斎」さっきより声の張りを落として前田は言った。「お前、名前っていうのは、重要な情報なんだぞ。それを、おいそれとバラすなんて」
「……大丈夫だ」彦斎は力強く言った。「というか、佐久間象山のように敵の多い人間なら、どういう名前を名乗っても変わらないだろう。それに、三日以内に死ぬ人間に、本当の名を名乗ったところで、大勢に影響はないだろうしな」
「だが……」
前田の言葉を、松浦が遮った。
「あのう……どうしてさっき佐久間を殺らなかったんですか?だって、絶好の機会でしたよ?佐久間一人でしたし、しかも目撃者もない。しかも寺社領内ですから、逃げ切れるはずだったのに」
松浦の言うことは、正論である。
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