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毒リンゴ

作者: 音無アオ

童話「白雪姫」の魔女視点です。


「鏡よ鏡、この世界で一番美しいのは誰―――・・・?」


 ずっと、影から見ていた。愛しい愛しい私の王様。

 けれど、どんなに思っていても王は私のものにはならないと分かっていた。

 だってあの方には好きな女がいるから。私ではない、どこかの貴族の令嬢。なにに置いても人並みの、どこにでもいる普通の人間。彼が恋をしたのはそんな女だった。

 王はやがて、その女と結婚し、姫が生まれた。そのことを聞いたとき、私はこの思いを一生胸にしまい、隠し続けると決めたのだった。

 陰から見ているだけで良い。あなたの幸せを、遠くで見ているだけで、私は十分幸せだった。

 だからあの日、王が言ったことを私はすぐに理解することができなかった。


 姫が三歳になった冬のこと。年が明けてすぐ、王妃が流行病に罹り亡くなった。

 私は、悲しみに暮れる王を支えたくて、魔女の身分を隠し、人間の侍女として仕えることを決意した。

 毎日毎日、王のために必至に働く日々。献身的に仕える私に、疲れ果てた王の心は少しずつ、元の柔らかさを取り戻していった。

 私が城に仕え始めてから三年の月日が経った頃だったと思う。その日、王は私にひっそりと告げた。

「・・・私と結婚してくれないか?」

 突然の申し出に、私は何と答えれば良いのか分からなかった。

「わっ、わたくしのような卑しい人間が王の隣にあっては、亡くなられた王妃様に失礼です・・・・・・」

 どういう事なのだろうか。あれほど王はあの女おうひを愛していたではないか。王の心にどういった変化が起きたのか。

「王妃を亡くした私を支えてくれたのはお前だ。それに、白雪はまだ幼い。お前のような者が母となれ  ば、心細く思う必要もないだろう」

 私との結婚は、幼い娘のため。言葉の外で王はそう言っていた。

 それでも良かった。陰から見ているのではなく、今度は隣で堂々と彼を支える事ができる。何と幸せなことだろうか。そう思っていた。

 だから私は、王の申し出を受け入れた。

 やがて、王妃の忘れ形見はすくすくと成長した。その名の通りの、白い雪の肌。黒檀のように輝く黒髪。血のような艶やかな唇。彼女は、誰もが息をのむ美姫へと成長していた。

 王妃になりたてのころ、私を美しいと褒めそやした人々も、皆口をそろえて、白雪こそ世界一の美女であると言った。

 そして、臣下だけでなく、王さえも、白雪を今まで以上に可愛がった。

 ・・・やがて、王の目が私の方を向くことは一切無くなってしまった。

「愛しい王様、もうわたくしを見てはくれないのですね・・・・・・」

 今までは、どんな女に王が言い寄られようと、私の方が美しい、そう思うことで私は私の心を支えてきた。

 王が王妃と結婚したときもそう。

 それなのに、今ははあの女の娘がその視線を、その心を、その愛の全てを独り占めしている。

 胸中に渦巻く感情に、私の足は自然と自室の方へ突き動かされていた。


 控えていた侍女も、警備の兵も全て退かせた。

 一人になった私は、一枚の鏡の前に立ち、そっと鏡の掛け布をはずす。

 人間の女として城に来てから、一度もはずされる事の無かった布。その下で輝く鏡面は、不思議な色合いをしていた。

 魔法の鏡だ。

 どんな問いにも答えてくれるその鏡に、私はある問いを投げかけた。

「・・・・・・・・・・・・鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

 王妃になるまで毎日のように繰り返してきた問い。

 鏡はその度、私の欲しい答えを必ず返してくれた。

 ねぇ、早く。私の望む答えを頂戴。早く、早く私を安心させて。

「世界で一番美しいのは・・・・・・・・・白雪姫です」

 絶望。一番聞きたくなかった答えを、鏡は残酷にも告げた。

「それならば・・・・・・・・・」

 私は、自分でも気付かぬうちに続けていた。



「世界で一番、あの方に愛されているのは――・・・?」



 沈黙。

その問いの答えが私の耳に届くことはなかった。

「――――・・・・・・くい」

 震える声で私は続ける。

「・・・・・・憎い、憎い。あの娘が憎い。私より美しく、私より王に愛されているあの娘が憎い」

 ずっと胸にあった虚無感は消え失せていた。その代わり、私の胸には黒い憎悪が渦巻いていた。


「・・・・・・白雪姫を殺しなさい」

 私に呼び出された狩人は、私の言葉に息を飲んだ。

「い、今なんと・・・・・・?」

「白雪姫を殺せ、と言ったのよ。何度も言わせないで」

 何故、王妃がそのような事を言うのか、きっと狩人は分からないだろう。それでも良いのだ。

 私はさらに口調を強めて言った。

「もう一度だけ言うわ。・・・・・・白雪姫を殺しなさい」

 やがて、狩人は私の鬼気に押されるように部屋を飛び出していった。

「・・・・・・これで、白雪姫はいなくなる。王はきっと私を見てくださるわ」


 そして、私の思い通りに二日経っても、三日経っても白雪は帰ってこなかった。

「大丈夫ですよ、王。白雪姫は必ず、帰ってきます。きっと無事ですよ」

 そっと王の肩に手を添える。白雪が居なくなってから、王はずっと暗く沈んだままだった。

 私はそっと王の元を離れ、自室へ向かった。

 人払いをし、鏡の前に立つ。

「・・・・・・・・・・・・鏡よ鏡、この世界で一番美しいのは誰?」

 白雪姫は死んだ。私はどうしても、その確証が欲しかった。白雪さえ居なくなればこの世界で一番美しいのは私だ。

 しかし、鏡の告げた答えは私の予想とは大きくはずれていた。


「世界で一番美しいのは・・・・・・白雪姫です」

 視界が暗転する。確かに心のどこかに引っかかっていた。

 もしかすると、白雪は生きているのではないか?その疑問が何度も頭を過ぎり、言いようもない不安に襲われた。その度に、ふるえる体を押さえ込み、無理矢理頭から振りはらうのだ。

 狩人は確かに、白雪を殺した証として彼女の髪を持ってきた。本当に、それは本物であった。

 でも、もしもそれが私を騙すための物だったら?

 焦りと怒りが胸中に渦巻く。

「誰も手を下せないと言うのなら、私自ら手を下すのみ・・・・・・」

 次の瞬間、私の姿は老婆へと変わっていた。


 コンコン。ドアを叩く音が森の木々にこだまする。中で人が駆けてくる足音と共に、ドアが開かれた。

 扉を開いたのは、一人の美しい娘――白雪だった。

「これはこれは美しいお嬢さん、おいしいリンゴはいかがかね?」

 老婆の姿をした私は、真っ赤に熟れたリンゴを籠から一つ取り出した。

「まぁ・・・美味しそうなリンゴね!」

 白雪が顔を輝かせる。

「・・・・・・試しに食べてみるかい?」

 手に持ったリンゴを白雪に差し出した。

「ありがとう、いただくわ」

 白雪は嬉しそうにリンゴを受け取った。

 艶々と輝くリンゴ。一見普通のリンゴと変わらないが本当は違う。

 あれは私が自ら作った毒リンゴ。一口食べただけで、人を死に至らしめる猛毒だ。

 私が見ている前で、白雪はそのリンゴどくに口をつけた。

「―――・・・・・・っ!」


 その後のことは、よく覚えていない。

 白雪が床に崩れ落ちたのを見た私は、小人たちが帰ってくる前に、急いで小屋を後にした。

「これで・・・これで本当に白雪はいなくなった」

 私はすぐに鏡に問うた。

「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」

 期待に胸がふくらむ。今度こそ、この鏡は私の欲しい答えをくれるはずだ。

「世界で一番美しいのは・・・・・・隣国の新しい妃です」

 ガシャンッという大きな音が部屋に響いた。

 足下には割れたグラス。手は小刻みに震えていた。

「・・・・・・どうして?どうして私が一番じゃないの?」

 世界で一番、この私より美しい人間が白雪の他にいた?もし、もしも王がその女に興味を持ったら?

 行き過ぎた想像が頭の中を埋め尽くす。恐怖に突き動かされるがまま、私は鏡に訪ねた。

「り・・・隣国の新しい妃とは?」

 私の問いに呼応し、鏡は一人の女を映し出した。

「――――・・・・・・っ!?」

 鏡に映された隣国の新しい妃、それは白雪だった。

 どうして?確かにこの手で殺した筈だ。それなのに何故?

「・・・隣国の王子が姫を救ったのですよ」

 突如、背後から声がした。

 おそるおそる振り返ると、そこには誰もいなかった。

 否、足下に小さな男が数人立っていた。

「・・・・・・誰?」

「白雪姫と一緒に暮らしていた小人です」

 痩せた小人が答えた。

「何故、わたくしの元に・・・・・・・・・?」

「それは、王妃さまにも白雪姫の無事を伝えよう

と思って・・・」

 小人は不意に口篭もった。

 あぁ、さっき私が鏡に言ったことを聴いていたのか。

「・・・あなたが白雪姫を殺そうとしたのですね」

 小人はぼそりと、呟いた。

「・・・・・・そうよ、私が毒リンゴをあの子に渡した」

 私は絞り出すように言った。

 しかし、小人の一人は不思議そうに顔をしかめた。

「毒リンゴ・・・?」

「・・・・・・ええ、毒リンゴよ」

 小人はさらに不思議そうに首をかしげた。

「ねぇ、魔女さま?あなたは本当に、白雪姫を殺したかったの?」

 小人がついと私の裾を引いた。

「・・・・・・・・・え?」

「だって、魔女さまが白雪姫にあげたリンゴ、毒なんて入ってなかったよ?」

 どきり。心臓が大きく脈打った。

 毒が入っていないなど、そんなことあるはずがない。確かに私は毒リンゴを作り、それを白雪の元へ持って行った。

 籠には普通のリンゴも入っていた。だが、毒リンゴには目印を付けていたから、間違える筈などない。

「・・・・・・・・・私はわざと、普通のリンゴを手渡したの・・・・・・?」

 そうとしか考えられなかった。それならば何故、私は無意識にうちに白雪を助けようとしていた?意志とは真逆に、体が動いたというのか?

 不意に脳裏に様々な映像が閃いた。

 白雪の笑顔。王の泣き顔。浮かんでは消えていく二人の姿に、私は気づけば嗤っていた。

「・・・・・・ははっ。バカみたい、私は本当にバカね」

 今更分かった。・・・・・・やはり私は、普通のリンゴだと分かっていて、白雪にリンゴを渡した。毒リンゴを渡したと、そう思いこんでいただけだった。

 聞けば、白雪が倒れたのはリンゴをのどに詰まらせ、息ができなくなったかららしい。

「・・・・・・私に、あの子を殺せるわけなかった」

 白雪に会うまでは、本当に彼女を殺そうと思っていた。それは紛れもない事実だ。

 でも、私にはできなかった。彼女を殺すことができなかった。彼女に毒リンゴを渡すことができなかった。

「・・・無理だったのよ。だって、あの子は王の子だもの」

 ずっと、白雪が憎かった。

 私より王に愛されている姫が憎かった。

 でも、時折白雪が私に見せる笑顔は、王によく似ていて・・・。どんなに憎もうとしても、あの子の笑顔が頭をちらつき、まるで王を憎もうとしているように感じさせる。

 だから、私は本当の意味で彼女を憎むことができなかった。

「私は王を殺せない。だって、私は王を愛してるから。だから、白雪も殺せない・・・・・・」

 私は、自らの意志で白雪に毒リンゴを渡さなかったのだ。


 やがて遠くから多くの人が駆ける音が聞こえてきた。少ずつ近づくその音に、私は静かに目を閉じた。

 近衛の兵だろう。多分、小人の一人が王に私の正体を話したのだ。

 私がそんな風に想像を広げていると、私室のドアが大きく開け放たれた。


 近衛の兵に引きずられ、王の前に突き出された。

 王を見やるも、その顔は憎悪に染まり、私をちらとも見ようとしていなかった。

 隣に控えた宰相が何かを言っている。

 しかし、その一言も私の中には入ってこなかった。

「魔女よ、何か言うことはあるか?」

 宰相の言葉に、私はずっと下げていた顔を上げた。

 きっと今の私はひどい格好をしている。髪も乱れ、服もしわとホコリでぐちゃぐちゃだ。

 それでも、そんなことなど気にもせず私は叫んだ。

「―――私を見て・・・・・・!」

 ずっと胸の奥に隠していた言葉。それが今、全ての枷から解き放たれ、喉から叫びとなって飛び出した。

「やっと貴方の隣に来られたのにっ・・・・・・。どうしてわたくしを見てくださらないのですか!?」

 私の叫びに王は少し、おののいた。

「だっ、だまれ!汚らわしい魔女め、よくも私を騙したな!」

 王の叫びが胸を貫く。

 ”汚らわしい魔女”そう、私は魔女なのだ。所詮、私は人間から忌み嫌われる存在、好かれるはずなど最初からなかったのだ。

 私はただ、王に愛されたかっただけなのに、どうして誰も分かってくれないのだろうか。

「・・・・・・何を言っても、あなたはもう理解しようとすることすらないのですね。」

 私の視線は、自然と下を向いていた。

「あなたの望み通り、私は消えましょう。もう二度と、貴方の前には現れません。」

 ぽつりと、私は呟いた。

「だから最後に一つだけ。・・・最後くらいわたくしを見て?」

 王が息をのむ気配が伝わってきた。私がそっと顔を上げると、二つの視線は交差した。

 不意に、私は思った。あの日、王の申し出を受け入れなければよかった、と。

 王の隣など、私には過ぎたものだったのだ。身の丈に合わないものを無理矢理手に入れた私は、その代償にもう貴方を遠くから見ることすらできなくなってしまった。

 でももう十分だった。王は今、私だけを見ている。

 憎悪と侮蔑、そして少しの恐怖に彩られた瞳。それでも、その目に映るのは私だけだ。

 私は顔をほころばせた。

「愛しい王様、やっとわたくしを見てくださりましたね」

 さようなら愛しい人。どうかいつまでもお元気で。


 

 王を騙し、国を追放された魔女の行方を知るものは誰もいない。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

「美しいは罪」を体現している白雪姫と「恋は盲目」を実行している魔女のお話でした。楽しく描くことができました(笑)

感想などいただけたら嬉しいです。


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