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私に世界は救えません!【改稿版】 作者:星影

第一章 はじまりは夕闇とともに

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定められた運命

 絶望へと続く扉は、案外すぐそばに転がっている。
 それに気付くのは大抵、扉へ片足を突っ込み、戻れなくなった瞬間だ。

 港町として栄えるミディ町にも、そのような状況に陥っている娘がいた。
 彼女の名はリディア・ハーシェル。
 生まれながらにして、祈りの巫女の使命を抱えた娘だった。


「どうして……?」
 声になりきらないかすれた音がこぼれて、すぐに消えた。
 夕焼けに染まる庭には人気(ひとけ)もなく、返事はない。
 花壇に咲くひまわりだけが、べたつく風に吹かれて何度もうなずいている。

 リディアは顔に張り付いてきた長い亜麻色の髪をのけていき、仕切り直しとばかりに再び郵便受けを覗き込んでいく。
 『それ』がなくなっていることを期待していたのだ。
 だが、見える景色は変わることはなかった。

 立ち尽くしていた彼女は、長い時間をかけてようやく意を決し、恐る恐るそれを取り出していく。
 その右手にあったのは、金色に輝く封筒だった。

 色が派手というだけで何の変哲もないが、それを見つめるリディアのほほからは一切の赤みが消失していた。
 その上、滑らかな肌は病的なほどに白さを増し、大きな翡翠ひすい色の瞳に至っては、焦点さえ合っていない。

 一見すると血の通わない人形のようにも見えるが、小刻みに震えるその手が、彼女の心を主張していた。


「あと一年はあると思ってたのに……」
 今にも泣き出してしまいそうな声が、こぼれ落ちる。
 そして、上半身を丸めて縮まり、祈るように瞳を閉じた。  

 だぼっとした上着に、地味なロングスカートというあか抜けない服装のせいか、ひどく幼く見えるが、彼女は明日、十八回目の誕生日を迎える。

 十七歳最後の日である今日、彼女を管理するネラ教会から届いた金色の封筒。
 それは、祈りの巫女であるリディアにとって死の宣告にも似た意味を持っていた。

「うぅッ」
 突如込み上げて来た吐き気を、リディアは条件反射的に抑えていく。
 そして、そのまま慌てた様子で家の中へと戻っていったのだった。


――・――・――・――・――・――

 黄昏たそがれ色と闇が混じり合う部屋の中、リディアはホットミルクが入ったカップを手に、ゆったりと椅子に腰かけた。
 まだ幼い頃、辛いことがあった時には、決まって母親がホットミルクを作り、慰めてくれたことを彼女は覚えていたのだ。

 昨日までは熱い飲み物など飲みたくないと思っていたのに、とリディアは呆れたように笑う。
 両手でカップを包んで、ミルクを口にする。
 その温かさと甘みが、恐れで冷えた身体を柔らかく解きほぐしてくれた。


 冷静さをわずかに取り戻した彼女は意を決したように顔を上げる。
 リディアの指先は懐かしい温もりから名残惜しそうに離れていき、宛名が書かれた封筒のほうへと向かった。

「これ、私の名前かな。はじめて名前の字を見たのが使命の連絡、か」
 リディアは自嘲気味に笑う。

 町に行けば、そこかしこに文字は溢れているのに、彼女はこの歳にして一つも字を読めずにいた。
 決して勉強が出来ないわけでも、やる気がないわけでもない。

 むしろ彼女は本を読んでみたいと願っていたのに、ネラ教会が文字を教えることを制限していたのだ。

 そのせいで純粋な知的好奇心は町民からも突っぱねられ、満たされることは一度たりともなかった。
 結果、文字すら読めないままリディアは大人になってしまっていた、というわけだ。


 ナイフを手に取ったリディアが丁寧に封を切っていくと、中には真っ白な紙が一枚だけ入っている。
 かさりと音をたてて開くと、十行ほどに渡る文章が書かれていた。

 字の勉強を禁じてきたくせに、連絡を手紙でよこすなど、さすがにひどすぎる。
 そんな、誰にも伝えようのない文句の代わりに、リディアは口をへの字に曲げて、深いため息をついた。


 文字を知らぬ者に、手紙など読めるはずがない。
 それなのに、リディアは書かれている内容の半分近くを理解できていた。
 幸か不幸か、まだ彼女が幼かった頃、母親や教会の者から手紙の意味を知らされていたのだ。


 十八歳の誕生日前日に届く、金色の封筒。
 それは『祈りの巫女』と呼ばれる者が、一番目の使命を果たすのに必要な年齢に至ったことを伝える意味を持っている。

 つまり、手紙の内容は『婚約者の元へ、明日嫁げ』ということになるのだ。


「どうして私なんかが、祈りの巫女なの……?」

 机の上に突っ伏し、迫り来る深い闇を見つめながらぐしゃりと手紙を握りしめる。
 そんなリディアの姿は、溺れる者が何かをつかもうとするしぐさにひどくよく似ていた。
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