神☆降☆臨
「アルマンド様、予定通り、明後日にオーガスタ様が到着されます。」
書類の束を持ってきたフィリップが無表情で告げる。
彼も、少し痩せた。
思い返せば、彼にも苦労ばかりさせている気がする。
俺の力が足りないからだ。
どうやっても、俺は彼を頼らざるを得ない。
無能だとまでは言わないが、俺はそんなに大した人間にはなれなかった。
「わかった。宴の準備を。俺も、出る。」
言うと、フィリップは頷いて、出て行った。
背中に、疲れが滲み出ている。
そして何より、心が老い始めている。
俺には、それがわかる。
どうしようもない。
時間とは、そういうモノだ。
誰に対しても、時間は公平だ。
残酷なモノだと、俺も何度思った事か。
ともあれ、いつものように一日が終わる。
何も特別な事などない。
単調な毎日の繰り返しだった。
翌日、俺が書類を片付けていると、フィリップがやってきた。
執務の合間に、彼が来るのは珍しい。
「オーガスタ様が、到着されました。すぐに、アルマンド様にお会いしたいと。」
これも、珍しい。
王都にいた頃は、俺が忙しくしている時間に訪ねてくる事はなかった。
大雑把な所はどこまでも大雑把だが、大事な所は決して外さない人だと思っていたが。
そもそも、到着は明後日じゃなかったか。
急げば来れない事もないだろうが、急ぐ理由でもあるのか。
「良い。お通してくれ。」
言って、俺は書類を机の引き出しに仕舞う。
神がその気になれば、この程度の情報はすぐに掴まれるだろうが、これは飽くまで見られると困る、という意思表示だ。
「よう。アルマンド。」
オーガスタは、不機嫌そうだった。
衣服が、少々土埃で汚れている。
余程、急いだようだ。
「お久しぶりです。伯父上。」
笑顔を作って言うと、オーガスタは更に不機嫌そうな顔になった。
露骨に、眉が歪む。
「アルマンド、ちょっと立て。」
「はっ?」
「良いから。早く。」
首を傾げて、立ち上がると、オーガスタが近寄って来る。
いきなり、胸ぐらを掴まれた。
「ここに来るまでの村々を見て来た。なんだ。あれは。」
低い、怒りを押し殺したような声。
なんだ。何に、彼は怒っている。
「おっしゃる意味がわかりません。」
言うと、突然視界が回った。
頭が、何かに、いや床にぶつかる。
殴られたようだ。
俺は結構鍛えてる方だと思うんだが、拳が見えなかった。
頬が熱く、ズキズキする。
「お前の民は家畜か。四年も経って、自分達が食う分で精一杯だと、宿を断られたぞ。俺は。」
当然だ。
まだ、畑の土はそこまで肥えていない。
ローヌ周辺はそんな事はない筈だが、その間に点在する農村は、まだまだ貧しい。
収穫が足りず、こちらから少量だが食糧を送っているのが、実情なのだ。
「私が、精一杯やっても、それだけしか出来なかったのです。責められる謂れは、ないと思うのですが。」
言っていた。
はっきりと、自分の意思で怒るのは、久しぶりだ。
何が何だかわからないまま、暴走するのとは違う。
「お前はそれでもフォレスタの息子か。アルマンド。あいつは、血反吐を吐こうと精一杯やったなど、口にした事もない。まして、民をあそこまで荒ませるなど。」
荒ませる?
なんの事だ。
「お前がやったのは、民を食わせる事だけだ。食って働いて寝るだけが、人の営みだとでも思っているのか。」
俺は、そうだった。
だが、民にそれを強いた事はない。
「それも、人でしょう。」
「なんだと。」
「少なくとも、私はこの四年、ほとんどの時をそうやって過ごしました。それを、辞めようと思った事もありません。」
逃げたくなる事は、ある。
今も、そうだ。
だが、俺にそれは許されない。
オーガスタや、家臣達、領民とは、肩に乗っているモノが違うのだ。
「愚かな。」
「今、なんと?」
「愚かだと言ったんだよ。」
「いくら伯父上と言えど。」
「やかましい。」
オーガスタの怒鳴り声。
流石に、フィリップが入ってきた。
「お前は確かによく働いたのだろうよ。それこそ、家畜のように働く領民達に劣らぬ程にな。だが、領主たる者、それを口にしてはならん。そんな事、当たり前の事で誇れるような事ではない。」
言い返そうとした俺を、オーガスタは手で制した。
「アルマンド、お前はいつからそうなった。」
どう言うことだ。
「俺の知っているアルマンドは、民と全てを分かち合える男だったよ。エリーゼとの結婚式など、まさしくそれだった。今のお前が、民に分け与えているのは、苦しみだけだ。そんな事も、わからんのか。」
なんだ。
なんだよ。
なんで、そんな哀れむような眼で、俺を見る。
「魔力の濁り方からして、酒か。おい、フィリップ。」
「はっ。」
「主の醜聞を晒すような事を、家宰がさせるとは。フォレスタが期待していた男が、随分と落ちぶれたモノだ。」
よせ。
フィリップに、何を言われる落ち度はない。
フィリップ。
何故、黙っている。
「揃いも揃って、腑抜けになったもんだな。虫酸が走る。」
しばらくの沈黙の後、オーガスタはそう言って部屋を出て行った。
「アルマンド様。」
「なんだ。」
「申し訳御座いません。」
何故、お前が謝る。
「良い。お前は、よくやっていると思っている。謝らないといけないのは、俺だ。確かに、俺は伯父上の言う通り、腑抜けになったと思う。」
四年前は、外面はどうあれ、屋敷の中ではもう少し明るかったと思う。
エリーゼがいたからだと、今の今まで思っていたが、多分それだけじゃない。
任せる事が、あの頃は出来た。
こちらに来てから、いつの間にか全てを把握していないと気が済まなくなっていたのだ。
いや、少しでも家臣達の仕事にまぜてもらいたかったのだと、今は理解できる。
なんとも、情けない男だ。
「違うのです。」
フィリップが、俯いた。
「私は、初めから気づいておりました。アルマンド様が、耐えられている事、いずれ耐えられなくなるであろう事に。」
「良いんだ。フィリップ。俺が、弱過ぎた。もう少し、上手くやれると思ってたんだが。」
「そんな事、出来る筈も御座いません。失礼を承知で申し上げますが、幼少の頃からアルマンド様は奴隷であられた。領地の事など、何一つとして理解されていないのが、当たり前でしょう。」
「それは。」
「それが、先頭に立たれた。マンシュタインやキートスが驚いておりましたよ。そして、どこかで安心したのでしょうな。ただ、アルマンド様について行けば良い、と。それを見て、私は何も言えなくなったのですよ。アルマンド様が、無自覚のまま無理をされている、と気づいていたと言うのに。」
顔を上げたフィリップは、自嘲の笑みを浮かべていた。
「どうする事もできませんでした。どうすれば良いのかさえ、考えなかったと思います。シエーナ様に頼るような真似までして、このような事に。オーガスタ様の仰った事は、まさにそのままで御座います。弁解の余地も御座いません。」
淡々と述べるフィリップ。
声が、遠い。
どこか、不吉な響きがある。
そこまで、自分を責めていたのか。
いや、俺が彼を責めさせたのだ。
「それで、どうしようと言うんだ。フィリップ?」
言うと、フィリップの自嘲の笑みが深くなる。
不吉な予感が、強くなる。
「死を、賜りたく存じます。」
その笑みのまま、彼は深々と頭を下げた。
一切の無駄がない、美しさを感じるほどの動作だった。