帰ってきました。
視察を終え、マルガンダに戻ってきた。
仕事としては、非常に有意義だったが、俺個人としては不愉快な事が多かった。
なんか、ドッと疲れた気がする。
ラドマンはあの後倉庫に監禁され、父であるマンシュタインからの処分を待っている、と言うか、俺たちが帰るついでに護送してきた。
早馬を飛ばしたので、既に事情は伝わっている筈だ。
正直、ラドマンの言葉はキツいもんがあったのと同時に、気が楽になったような気もする。
奴隷ごときに、と内心思われていないか、と気にはしていたのだ。
思われていたのは、ショックはショックだが、そうわかったらわかったで納得はできる。
誰がそんな事を考えているかわからない、と言う状況より、よっぽどマシだ。
そう言った意味では、ラドマンには感謝している。
出来れば穏便に済ませたいし、マンシュタインにもそう言うつもりだが、どうなるかはわからない。
シエーナは、戻って来れた事にホッとしている。顔に、それがハッキリと出ていた。
旅に慣れていない彼女からすれば、それも致し方ない事だろう。
しっかり休むように言って、フィリップにハーブティーを頼んどいた。
なんか二人とも、これぞ『わたし驚きました』って顔の代表格ですみたいな顔をしてた。
いや、今からサボってた分の勉強やらなんやらをやれとか、俺そこまで鬼畜な事言わないから。
失敬だぞ。
実際、シエーナは失態や失言は多かったものの、最後までよく付いて来れたな、とは思う。
馬を乗りこなせると言うのが大きかったが、やはり中々の根性をしている。
長時間の移動と粗食に耐え、堅い寝台で眠る、普段の生活よりかなり過酷な環境だった。
俺は、シエーナの根性は認めているのだ。
それぞれの私室に戻り、俺は少しだけのんびりした。
執務室に入るのは明日からだが、俺がいなかった間の報告や、ラドマンの処分は今日中に済ませたい。
まぁ、晩飯の後で良いだろう。俺も少々疲れた。
その旨をフィリップに伝え、晩飯までは私室でボーッと過ごす事にした。
ここのところ、そういう時間を過ごしていなかった事に気付いたのだ。
フィリップが持って来た、様々な種類のベリーがやたらと乗っているパイを食べながら紅茶をすする。
身体のあちこちが溶けるような、そんな感覚があった。
知らず、気を張っていたようだ。寝る時までずっと誰かと過ごす事が、最近は少なかったから、ちょっと緊張してたのかもな。
その相手がシエーナだと尚更だ。
そんな事を考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。
即座に、フィリップが取次ぎに入る。
「アルマンド様。エルロンド様が、お会いしたい、と。」
あら、今日のお勉強はどうしたんだ。我が息子よ。
いや、丁度終わった頃か?夕日が差しているから、それぐらいの時間ではある。
時計がない、と言うのはこういう時にちょっとした苛立ちになるな。ないもんは仕方ないんだが。
「良い。入れてやれ。あと、エルロンドの分も菓子と飲み物を頼む。」
かしこまりました、とフィリップが出て行き、代わりにエルロンドが入ってきた。
キラッキラした目をこちらに向けて来る。
「お帰りなさい。父上。」
そう言って、エルロンドはきちんと貴族式の礼をした。
なんとも出来た三歳児である。いや、ちょっと前に四歳になったのか。
いくら貴族の嫡男で、これから異母兄弟が増える事はあれど、同母兄弟が増える事はない事などを考えても、多少やり過ぎのような気がしなくもない。
貴族としての隙が少ないのは良い事なのだろうが。
「ただいま、エルロンド。座りなさい。そう畏まる事はない。」
言うと、エルロンドは眩しくなるような笑顔で、俺に近づき、俺の向かいのソファーに腰を降ろした。
繰り返すようだが、四歳である。
普通、隣に座るだろ。いくら貴族でも私室なんだしさ。
「エルロンド、隣に座りなさい。」
言うと、エルロンドは、きょとん、とする。
「良いんですか?」
頷くと、エリーゼの笑顔になった。
ここ数ヶ月で、エルロンドは実に多彩な表情を見せるようになった。
同じ感情を表現するのにも、少しずつ表情が違うのだ。
エルロンドは慌てたように急いで、勢いよく俺の隣に座った。
「父上。」
「なんだ?」
「お話しを聞かせて下さい。」
また、か。
エルロンドは、俺が何処かから帰って来る度にせがんで来る。
どう話したもんか、毎回頭を捻っているのだ。
四歳児相手に、仕事の話しなんかしても仕方ないからな。
「そうだなぁ。ロックボアに二度出会ったよ。パウロが片づけてくれたが。」
帰りにも、出会ったのだ。あの地域には結構な数生息しているようだ。
落とし穴でも掘っておけば対策としては充分なので、農村や町に住む人々の脅威にはなり得ない。
その為、余り積極的に狩られていないのだろう。
エルロンドは、こういった冒険臭がする話が大好きだ。話しを聞きながら、こちらを見つめてくる目からは、キラキラ光線が常に発射されている。
俺は、行き帰りに出会った魔物や、神殿のアンデット達との戦いを話してやったり、神殿の発掘調査で見つかった遺物のスケッチや、絵が上手い者に描かせた予想復元図なども見せてやった。
「すごいです。」
エルロンドは大はしゃぎだ。
あれやこれやと色々聞いてくる。
俺は、丁寧に一つ一つの質問に応えていった。
明日になれば忘れているのだろうが、エルロンドには正しい知識を身につけて欲しい。
俺は、今世でかなり勉強した。それはこの世界の学問のありように少々疑問を抱いたからだ。
嘘は言っていないのだが、理論と言うモノが根本にないのだ。
神の声だとか、国王がそう命じたからとか、そんなモノで思考を止めてしまう傾向がある。
エルロンドがもう少し大きくなったら、現代日本的な教育を施すつもりだ。
ゆとりとかそう言う意味ではない。
過去の偉人達が、生涯を賭けて遺した知識を、きちんと伝えて行く。
教育の一面に過ぎない事だが、大事な一面ではある筈だ。
「アルマンド様、ご夕飯の準備が整いました。」
フィリップの控え目な声。
のんびりタイムは終了である。
「シエーナは?」
俺がスケッチやらなんやらを片付けている間、エルロンドがフィリップに聞いていた。
「御同席なさいますとも。シエーナ様からも、お話しが聞けると良いですな。」
小便を漏らした事とかな。
エルロンドも、たまにやるそうだから、話しが合うかもしれない。
思わず、ニヤついてしまった。我ながら良い性格してるとは思うが、笑ってしまいそうになるんだから仕方ない。
「行こうか、エルロンド。」
言うと、エルロンドは笑って頷き、俺の前に立った。
「どうした?」
何か言いたげだが、言葉にならないらしい。
口元をちょっと動かしながら、俯いてしまった。
「アルマンド様、たまにはお子様を抱き上げるのも良いものですぞ。」
あ、なるほど。
フィリップの言葉で気が付いた。そういや、そんな事もしてこなかったな。
普通の親子として過ごせる時間が、俺達にはあまりに少ない。それが、俺の心に微妙に引っかかってはいた。
多分、時間の長短ではないんだな。こういうのは。
子供が出すサインに、親が気付けるかどうかなのだ。
俺は、エルロンドを抱き上げた。
まだまだ小さな身体だが、随分と重くなった。
エルロンドは嬉しそうに笑っていた。