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とある貴族の開拓日誌  作者: かぱぱん
第二章 〜食糧確保と町造り〜
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幕間 フィリップ・ロスチャイルド

アルマンドは、荒んでいた。

彼の荒廃を感じているのは、家臣の中でも、自分だけだろう。

エリーゼが死んでから、かなりの時を自室で過ごし、叩き出すようにしてエルロンドに会わせた後、アルマンドはただひたむきに働き始めた。


初めは、良かったのだ。


エンリッヒ家の領地を、誰も飢えを感じる事のない領地にしたい。

彼は、そう言って、それを実現する為に重農政策を推し進め、その実現の為には自らを顧みなかった。

かつての、アルマンドの父、フォレスタを彷彿とさせる働きぶりには、感動さえ覚えた。


違和感を感じたのは、マルガンダに本拠地を置いて一年が過ぎたぐらいか。

マルガンダ周辺で、解放奴隷達が自らの手で開墾した畑に麦の作付けを行い始めた頃、急に現地の視察をしたい、と言い出したのだ。

周辺地域と言えど、どんなに急いでも半月はかかり、その間アルマンドが決裁しなければならない書類が溜まっていく事になる。

アルマンドが目を通さねばならない書類は多く、とてもとは言えないが、そんな時間を作る事はできない。


当然、自分は止めた。


アルマンドはどうしても、と言って譲らず、結局今ある書類を全て片付ければ、と言う条件で視察を行う事になった。

そして、アルマンドは不眠不休で二日の間、働いた後、視察に出かけて行った。


普段のおよそ倍ほどの働きをしたのだ。


念の為、決裁された書類に自分も目を通したが、普段よりやや厳しくなっているものの、大きな間違いはなかった。

キートスは、何故そこまでして、と首を傾げていて、その時は自分にもアルマンドの行動が理解出来なかった。


あの時に気づいていれば、自分でもなんとか出来たかもしれない。

だが、自分がソレに気づいたのは、更に一年以上が経ってからだ。

アルマンドは、その後も領地の視察を行っていたが、三月に一度ぐらいなものだった。

それが、この頃から急激に増え始めた。


多い時は月に三回。少なくとも、月に一度は必ず視察に出掛けてゆく。

アルマンドが決裁すべき書類の一部は、自分が決裁するようになったが、それでも視察の前に片付けねばならない書類はかなりの量になる。

それに加えて、彼は王国の歴史や、魔物の生態、世界各地の物産などの資料を集め、それを学び始めた。

明らかに異常だった。このままでは、いつか倒れる。

ある日、パウロを呼んで視察が増える直前に、何か変わった事がなかったか尋ねた。

彼は自分に次いで、アルマンドの傍にいる事が多く、自分よりも私的な会話の機会が多い。


パウロは、エルロンドがしっかりとした言葉を話し始めた、と言った。

アルマンドは、大変喜んでいたらしい。

はしゃぎぶりも大層なもので、何度も何度もエルロンドに、アルマンドを呼ばせたそうだ。

その後も機嫌が良かった、と。


愕然とした。

自分は、エルロンドが話し始めた事はおろか、初めて立った、初めて歩いた、と言った話しを聞いた事がない。

それだけ、はしゃいでいたのであれば、アルマンドは必ず自分にも自慢してくる筈だ。

いても立っても居られなくなった。


その日の夜、アルマンドの部屋を訪ねた。

自分の主は、窓辺のテーブルで、独りワイングラスを傾けていた。

アルマンドの部屋からは、マルガンダの町が一望できる。

家臣の館と、商人ギルド、小さな市場と僅かな農民や商人が暮らすだけで、明かりは疎らだ。

将来の事を見据えた設計になっているので、夜になると、町と言うよりも村にしか見えない。


「どうした。フィリップ。こんな夜中に。」


酷く、暗い声だった。

元々、闊達な方ではないし、奴隷であった経験から殆ど表情が変わらないが、自分にはアルマンドの喜怒哀楽は手にとるようにわかる。

ここ一年ほど、少しだけ笑うようにはなったが、本当に笑っているのは、極稀だ。

今は、声に疲れが滲んでいた。

自分を失うほどではないが、酔ってもいる。

そして、エリーゼを思い出しているのだろう。


「申し訳ありません。パウロから、気になる事を聞きましたので。」


その言葉で、アルマンドはやっとこちらに目を向けた。

目が、赤い。泣いていたのかもしれない。


「エルロンドの事か。」


ゆっくりと頷いた。

アルマンドの姿が、心を刺す。

マルガンダに来た頃に比べると、いくらか痩せた。

目の下にも隈が浮いている。

そして、まだ二十半ばだと言うのに、目元と眉間に小さいが皺があった。

青かった瞳は灰色がかっていて、唇も血の気が失せている。

少し前までは、それなりに整った容姿であったのが、随分と草臥れた印象がある。


今まで、それに気付かなかった自分を、ただ恥じた。


「お前は、気付くと思ってたよ。」


言って、アルマンドは笑った。

凄惨な笑みだった。

こちらが苦しくなるほどに、悲しみに溢れている。


「何故、ですか。」


「あれは、エリーゼに似過ぎていると思わないか。」


「確かに、目元などはよく似てらっしゃいますな。」


そして、笑った時の顔は、エリーゼそのものだ。

初めてその笑顔を見た時、驚かされたものだ。

これでアルマンドが立ち直るかもしれない、と思ったのをよく覚えている。


「それが、愛おしくて仕方ない。そして、恐ろしい。」


はっ、とした。

アルマンドの言葉にではない。

どうしようもないほどの陰りが、アルマンドの顔に差したのだ。


「何故、あれがエリーゼではない、と考えてしまう自分が、堪らなくなる。愛おしくて仕方ないのに、エルロンドを憎みそうになるんだ。」


アルマンドは、立ち直ってなどいなかった。

アルマンドが苦しむ姿を見たくないと、いや、見ないように、自分はしていなかったか。


「それも、生きると言う事でございます。エリーゼ様が悲しむような事は、なされませんよう。」


咄嗟の言葉が、出てこなかった。

こんな言葉は、何にも響かない。


アルマンドは、それでも笑った。

やはり、悲しみが見え過ぎる笑みだった。


「飲まないか。フィリップ。俺は、少し酔った。このままだと、言ってはいけない事まで、言ってしまいそうだ。」


「御一緒しましょう。しかし、この爺めには何を言っても構いませんぞ。」


「やめておく。死に際にチクリと言われそうだからな。」


言いながら、アルマンドは立ち上がって、自らグラスを取り出し、ワインを注いだ。

家臣として、執事として、あってはならない事だが、今はそれを求めてはならない。

それを言えば、何かが毀れる気がした。


「ありがとうございます。」


アルマンドと、向かい合って座る。

こうして飲むのは、初めてだった。

自分は、常にアルマンドの後ろに控えて来た。


「良い。今夜だけは、家臣として此処にいないでくれ。昔のように、叱ってくれても良い。」


アルマンドの言葉に、様々な事が頭に浮かんでは消える。

ただ、一つだけわかった事がある。

アルマンドは寂しかったのだ。

頂点に立つ者の孤独に、共に道を行く筈だった者を失った事に、耐えられなくなって来ている。

不憫ではある。

だが、それは自分が癒す事などできない。


それからは、他愛もない昔話ばかりだった。

懐かしくはあったが、主と過ごす時が苦痛だったのは、後にも先にもこの時だけだ。


夜更けまで二人で飲み、アルマンドが眠り始めた所で、使用人を呼んでベッドに運ばせた。


その後、アルマンドは視察に行く数は減ったものの、政務に口を出すようになった。

口を出すと言っても、実際は任せきりである事は変わりなかったのだが、異様なほど細かい所まで把握したがった。

物流を管理しているダルトンなど、初めは不正を疑われているのかと憤慨していたが、徐々にそれはなくなった。


不正を見つけても、何もしない事が多かったのだ。


勿論、一応の指摘はするが、大抵は確認以上のものではなく、シュナやアルフレッド、キートスも把握していた事ばかりだった事もある。

アルマンドは、自分が働ける場所を探していたのだと、把握しきった後に興味を失った事で気づいた。

それも、執務室に篭り、一人きりでするような仕事ではない。

家臣達と肩を並べてするような仕事を、探していたのだ。

当然の事ながら、貴族の当主にそれを許すような事はできない。

そもそも、仕事に抜けができるような人の配置を、自分もキートスもして来なかった。


アルマンドは、それから全ての事にムラができるようになった。

集中力がもたないのだ。

時折、はっとするようなキレを見せたかと思えば、投げやりになったとしか思えない判断をする事もある。

それも、無自覚でやっている節があり、その後始末に追われる事も時折あった。


これ以上、見ていられない。

丁度、エルロンドが三歳になる頃に、もっともらしい理由をつけて再婚を薦めた。

あっさりとアルマンドはそれを認め、王都へ向い、シエーナと言う娘と再婚した。

色々と曰くのある娘だったが、素直さは失っておらず、率先して貴族としての教育を施した。

シエーナは、容姿こそ優れていたが、内面はどこにでもいる、少し不器用な娘だ。

よく失敗はするが、それは過度の緊張によるものだと、思えた。

実際、貴族らしい貴族がいないマルガンダではさほど大きな失敗はしていない。


だが、アルマンドとは中々上手くいかない。


シエーナは結婚してから、徐々に想いを募らせていったようだが、アルマンドはそうはいかなかった。

まるで、逃げるかのように執務に精を出し、資金を得る為、と発掘に出かけ、戻って来てすぐに妾を囲い、視察に出かけると言い始めた。


このままでは、手遅れになる。


アルマンドは、自分でも気づかないまま、自分を傷つけていた。

逃げれば逃げるほど、自分の内面が浮かび上がってくるのだ。

自分には、そこでもがくアルマンドがよく見えた。


シエーナを言いくるめ、視察について行かせたのは、それほど深い意味はない。

ただ、自分ではアルマンドを救う事はできない。シエーナに賭けるしかなかったのだ。

視察に関しては、許可を出すまでもなく最初から自分が仕組んだ。

流石に、騎士団の視察になるとまでは思っていなかったが。


明日、アルマンドとシエーナはマルガンダに戻って来る。

二人がどれほど距離を縮めたのかは、わからない。

それでも、確実に近くはなっている筈だ。


フィリップは、祈るように、ただそれを願っていた。

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