初めてのグーパンチ。
ローフェン達が退いたのに合わせて、俺達も丘を駆け下りてローフェン達のところに向かった。
正直、年甲斐もなく興奮していた。
遠くから観戦しただけでも、映画の迫力など問題にならない。
ラドマンのように、先頭に立つような事はどう頑張ってもできないだろうが、最初の突撃ぐらいなら、俺でもついていける。
実際、それが許されるかどうかは別として、そんな自分を思わず想像してしまう。
ふと、馬を並べているシエーナを見ると、泣いていた。
それでも、前を向いて馬を駆けさせていた。
気丈ではある。
ドジでマヌケで頑固なくせにかまってちゃんと、ほとんど良いとこなしだが、根性だけは据わっている。それは、認めても良い。
ローフェン達の所に着くと、半数は臨戦体勢、半数は飯を食っていた。
小さな堅いパンと、塩漬けにして干した肉、それをそれぞれ齧っていた。
ローフェンとラドマン、それと将校格らしき数名は、円になって何か話し合っている。
邪魔するのも悪いので、俺達は馬を降りて待った。
「怖かったのか?シエーナ。」
暇なので、シエーナに話しかける。
シエーナは、黙ったまま頷いた。
護衛達は、地面に腰を降ろして他の者と同じものを齧っていた。
「そうか。」
話しが終わってしまった。
こういう時、なんと声をかけたら良いのか、よくわからない。
なんとなく、気まずいような気分になった。
「あの。」
しばらくの沈黙の後、シエーナがいつも通りおずおずと口を開く。
だが、今回は何処か違う印象があった。
初めて会った時のような、しょげしょげ感がある。
「旦那様、戻るのは、いつ頃でしょう?」
「なんだ。怖気づいたか。」
「ち、違いますッ。いえ、あ、その。」
なんだよ。はっきり言えよ。めんどくさい。
「良いから。笑わないから正直に言ってくれ。」
言うと、シエーナは耳どころか首筋まで真っ赤にして、俺の近くまで来る。
「誰にも、言わないでくださいね?」
怖がる事ぐらい、仕方ないだろ。誰にだって初めてはある。
特に、オバケ的な魔物の群れを目の当たりにしたんだ。
二人の秘密にしたいだけなら、わからん事もない。めんどくさいが。
「わかった。」
渋々、頷いた。
まぁ、どうせパウロや護衛達にはバレてるだろうし、と言うか、マルガンダに戻ればどうでも良い事にしかならない。
「少し、漏らしてしまったので下着を替え」
「はぁ⁉」
耳元で囁かれた言葉に、思わず素の声が出た。
それも、結構な音量で。
次の瞬間、頭に衝撃が来た。
シエーナのグーパンである。
親父にも殴られた事ないのに!とか思わず言いそうになったが、よく考えたら親父どころか、誰にも殴られた事など、俺にはない。
蹴られたり、訓練用の棒なんかで打たれたりはしたが、今世で殴られた事は、これが初めてだ。
あまり嬉しくない初めてを捧げてしまった。
シエーナは、スケルトンも泣いて逃げ出しそうな怖い顔をしてる。
首筋まで真っ赤である。
怒りなのか恥ずかしさからなのか、俺は一瞬だけ考えた。
正直、今度は俺がチビりそうだ。
見つめ合う事、数秒。
互いに我を取り戻し、互いに目を逸らした。
何事かと皆こちらを見ている。
「ご、ごめんなさい。」
消え入りそうなくらい小さな、シエーナの声。
「良い音がしましたねぇ。」
パウロがニヤニヤしながら野次を飛ばした。
皆の視線が、一斉に逸れる。
「パウロ、お前の馬はラドマンの隊に供出する事にしよう。なに、マルガンダに帰るまでには、良いの見繕ってやるから。」
俺の笑顔、パウロの青褪める顔。
お約束は守らないとな。
いや、きっとパウロは俺に虐められたくて言ってるんだろう。
期待には応えてやらねばならない。
「さて、シエーナ、とりあえず戻ろうか。今日見なければならないモノは見た、と言う気もするし。」
シエーナに視線を戻して言うと、シエーナはぎこちない笑みを浮かべた。
俺の後ろには、自分の馬に縋り付くパウロが見えている筈だ。
男は己が足で立つ。
ナヴァレもそんな事を言ってた気がする。
これは、とても大事な事なのだ。
そんなバカな事を考えて、シエーナのおもらしを忘れようと必死だった。
余計な事を考えたら、シエーナに向かってニヤッと笑ってしまいそうになる。
シエーナのグーパンは、結構痛かった。
出来れば二度と喰らいたくない。