綻び。
俺とシエーナは、案内人とパウロ達を連れて、一日かけて陣中を見て周った。
思ったよりも、しっかりと生活環境が整っていて、傭兵たちを見る限り、特に荒んだ様子はない。
中央に本営使っているらしい大きな幕舎があり、その傍に俺とシエーナの幕舎があった。
本営の裏手に武器倉と兵糧倉が五つ、周りには柵があり、見張りもいた。
ドワーフの鍛治場は三つあった。
使い物にならなくなった武器を溶かして作り直したり、修理などはもちろんだが、今後街を作って行く為に必要な道具も、急ピッチで製造されている。
井戸は方々に掘られている。
木や布で出来たものばかりが建ち並んでいるが、備え付けの水も用意されているので、火災で大きな被害が出る事はなさそうだ。
豚や羊を収容する小屋もあった。
それほど数もなく、規模も小さい。
従って、数もそれほどいないが、輸送隊が時折補充しているようだ。
食事は、他の者達と同じモノを食わせてもらった。
煮込んだ雑穀と、塩漬けにした肉片が一つ。
椀一杯で終わる、粗末な食事だった。
パウロ達はもちろんだが、シエーナまで平気な顔で平らげていたのには、少し驚いた。
本人曰く、これぐらい下層の庶民達には普通の食事で、もっと粗末なモノを食っている者たちもいるらしい。
糞尿は穴を掘り、溜まれば埋めているようだ。
奴隷時代が懐かしくなり、ちょっと吐きそうになった。
傭兵達は、寝ている者が多い。
夜の見張りは傭兵たちの仕事で、昼夜逆転の生活をしている者が殆どのようだ。
起きている者達は、見張りの当番だそうだ。
幾つかの傭兵団が集まっているようだが、諍いはほとんど起きていない。
指揮系統云々よりも、そんな事をしてもいざという時の連携が出来なくなるだけで、誰も得をしないと言う事を、皆わかっているのだろう。
そんなこんなを見て回り、夕日が差す頃、ラドマンの軽装騎士隊が戻って来た。
疲れた表情を出している者はいないが、全体的に雰囲気が暗い。
それに、皆どす黒い血や泥に塗れている。
「下馬。怪我人は手当てを受けろ。他の者は、馬を洗ってやれ。」
ラドマンの、低くよく通る声が聞こえる。
普段はそんな印象はないのだが、部下に指示を出す時の声だけは、不思議とそんな声になる。
本営の前で、俺とシエーナは、ラドマン達の様子を眺めていた。
シエーナは、俺の腕を抱くような格好になっている。
彼女は、微かに震えていた。
「怖いか。シエーナ。」
シエーナは、微かに頷いた。
眼に、うっすらと涙が浮かんでいる。
魔物の大群と戦う事がどういう事なのか、俺はそれを見る為に此処に来た。
他にも様々な目的はあるが、最低限、それはしっかりと見て帰らねばならない。
目を逸らして良いモノではないのだ。
それに、付いて来たいと言ったのは、彼女だ。
「中に入ろうか。じきに、ローフェンも帰って来るだろう。」
「此処で、待ちます。」
シエーナは、ラドマン達をじっと見つめていた。
地味だが、美人ではある。端正な顔立ちと、鼻筋が綺麗に通っていて、遠くを見つめている姿が、よく似合う。
そんな事を考えた自分に少し戸惑い、俺もラドマン達に視線を戻す。
シエーナの震えは、もう止まっていた。
ローフェンの隊が戻ってきた。
彼も騎兵には馬の世話を命じ、歩兵には死者の埋葬と怪我人の手当てを命じた。
ラドマンの隊より汚れていて、相当な激戦の中にいたのは容易に想像がつく。
俺とシエーナは、二人が馬の世話を終えるのを待って、パウロを加えた五人で本営に入った。
大きな円卓と、周辺の地図しかない、簡素な本営だ。
「奥方を伴われるとは。知らせを聞いた時は驚きました。」
ローフェンの言葉に、俺は苦笑するしかなかった。
シエーナがここに来る意味は、殆どない。
彼女の我儘でしかないのだ。
「それより、現状の報告を聞きたい。始めてくれ。」
五人で円卓を囲んだ。
椅子さえも、ここにはない。
「魔物の数などは、マルガンダに送った通りです。今日で歩兵の死者が三百五十、騎兵で百。殆ど、俺の隊から犠牲は出ています。」
「何故だ。ローフェン。お前の隊は調練が完全に終わってないとは聞いていたが。」
「それもあります。一応、集団で動く事はそこそこにできますし、俺の指示はよく聞いてくれます。後は、動きを身体に繰り返し叩き込んで、考えなくても動けるようになれば、今より多少はマシにはなるかと。」
「ふむ。」
「一番の原因は指揮権ですね。一緒に前線に出ると、俺とラドマンは少々揉めるんですよ。今は、魔物の群れには俺が当たり、ラドマンは周辺に散った魔物を狩るようにしてます。」
「何を言っている。二人で協力すりゃ良いだろ。」
「俺もローフェンも、自分の指揮に自信を持っています。譲れない部分はあるんですよ。」
ラドマンが言い、ローフェンは苦笑いを浮かべた。
特に仲が悪いと言う訳ではなさそうだ。
それでも、そんな事が起こるのか。
「アルマンド様が、どちらか決めて下さい。それがあれば、従えます。」
「報告に、なぜあげなかった。」
「報告をあげるのは、ラドマンと言う事になっていました。マンシュタイン殿の息子がそれを言えば、自分に指揮権をくれと言うようなものです。」
「それを決めたのは?」
「キートス殿です。と言うより、今回の事は全てキートス殿が管轄しておられるようです。城郭の建設と並行して行うので、わからない事もないのですが。」
ローフェンに続いて、ラドマンが何か言いかけたが、ローフェンが手で制した。
苦り切ったラドマンの表情を見る限り、キートスには思う所があるのだろう。
「指揮は、ローフェンが執れ。ラドマン、それで良いな?」
言うと、ラドマンは頷いた。
なんとなくだが、ローフェンは腰を据えているような所がある。
武人として、マンシュタインの影響を受けたのだろう。
ラドマンは、前から暴れればそれで良いと言う所があった。
それはそれで悪くはないが、指揮官向きではない。
「よし。他に報告は?」
「迷宮から湧く魔物ですね。あれは、無理に押し込むのは難しい。騎士団の全軍を二月、ここに留められるなら不可能だとは言いませんが。」
「それほど、手強いか。」
「多分、真祖がいますね。迷宮からは出てこないでしょうが。」
真祖。
意志を持った魔力の淀みが、アンデットに宿り他の魔物とは比べ物にならない程、強力になった個体である。
詳しい生態などはよくわかっていない。
大抵は地下迷宮に住み着き、所謂ボス的な存在として君臨するのだが、ただ強いだけではない。
真祖となった個体は、高い知性を宿し魔物を集団戦に耐え得る程にまで統率する。
これがとんでもなく厄介で、単なる群れとは桁違いの戦闘力を発揮し、かつて小国を滅ぼした例もあるほどだ。
「現状の兵力で、どこまでならやれる?」
「やれ、と言われれば、命を賭けてやりますよ。俺は軍人ですから。」
言って、ローフェンは笑った。
ラドマンは、もう話すのは任せた、と言う感じだ。
「そうか。とりあえず、明日は休んで、明後日、お前達について行きたいと思ってる。そこで、どこまでやれそうか判断したい。」
「出来れば、遠慮して頂きたいのですが。」
「パウロ達がいる。それに、俺だって剣が使えない訳じゃない。」
「それでも、俺達はアルマンド様を守る動きをしなきゃいけなくなります。」
「俺は、いないものと思え。」
「しかし」
「おい、ローフェン。」
突然、パウロがローフェンの言葉を遮った。
パウロは、その端正な顔に、薄い笑みを浮かべている。
「俺がいるんだ。それでもアルマンド様が死んだら、それはそれで仕方ない。万が一の時には、エルロンド様を皆で盛り立てるよう、フィリップ殿に言い置いても来られた。お前は、黙って戦ってるとこを見せりゃ良いんだ。」
「しかしな、パウロ。」
「黙れ。万が一の時は俺と、俺の部下、とりあえず全員が死ぬまではアルマンド様は守り抜く。どうしてもと言うなら、その先はお前がなんとかしろ。」
ローフェンが俯く。
微かだが、笑っているようだ。
「わかった。俺達の戦いを見てもらおう。ただ、アルマンド様を気にしている余裕はこちらにはない。だが、万が一など、あってはならん。頼むぞ。パウロ。」
「おう。それで良い。」
すぐに顔を上げたローフェンとパウロがニヤリと笑いあった。
なんとなくだが、こいつらに任せてだいじょぶなのか不安になる。
いや、信用はしてるが、理解できない会話だった。
「私も、行きたいのですが。」
シエーナがおずおずと口を開いた。
もう俺は驚かない。
絶対言うと思った。
他の三人は目を見開いているが。
「シエーナ様、それは。」
「言っても無駄だ、ローフェン。これでも、シエーナはそこそこ馬を乗りこなす。戦えはしないが、逃げるぐらいならなんとかなるだろう。」
俺が言うと、他の三人はもちろん、シエーナも驚いていた。
シエーナは出発の時から言い出した事は、それを頑なに押し通して来た。
何を言っても聞かないだろうと、思っただけだ。
決まる事が決まった後は、夕食になった。
ラドマンの部下が、鹿と猪を狩って来たらしい。
他にも何頭か羊と豚を潰したようだ。
俺達が視察に来たと言うだけで、そういった事をさせてしまった事に、俺は少しだけ申し訳ないような気持ちになった。