到着。
食事を終え天幕に戻ると、シエーナは寝台の上で横になり、背を向けていた。
別の焚き火にいたのを見かけたので、食事はきちんと摂ったようだ。
俺は地面に寝転がり、剣を抱くようにして、目を閉じた。
愛している。
もう、どうしようもない。
シエーナの言葉が、頭を巡る。
俺からしても、どうしようもない。
愛すると言えるほど、シエーナの事は知らないし、向こうも俺の事をそれほど知らない筈だ。
それぐらい、俺はシエーナと距離を置いてきた。
考えるのはよそう。
熱は、いずれ冷める。
思考を断ち、俺は眠る事に意識を傾けた。
翌朝、朝食の硬いパンと豆のスープを口に押し込み、後片付けをすると、すぐに出発した。
隣に馬を並べるシエーナの目元には、隈が張り付いている。
あまり、眠れなかったのだろう。口数も少ない。
こちらから、あえて話しかけたりはしない。
気まずい、と言うのもあるが、すぐ隣でぐっすり眠っていた気後れの方が大きかった。
「アルマンド様、魔物です。」
パウロが馬を寄せて来た。流石に、疲れを顔に出すような事はしない。
「打ち払えるか?」
「待ち構えると、犠牲が出ます。何人か連れて俺が行きたいんですが。」
発見されたのは、ロックボア。
巨大な猪のような魔物で、濃い灰色の毛皮に象のような大きな牙、瞳は緑で魔力を帯びており、目を合わせると身体が一瞬硬直する事がある。
並の傭兵程度では、五人でかかっても返り討ちに遭うそこそこの魔物だ。
毛皮が非常に硬く、巨体に勢いをつけた突進は、大木をへし折るぐらいの威力がある。
雑食性だが、平原では穴を掘ってミミズや昆虫を、森ではキノコや樹木の新芽を好んで食べる。
割と大人しい部類の魔物だが、他の魔物の例に漏れず、人を発見すると襲ってくる。
嗅覚が尋常ではなく、俺達も捕捉されているだろう。
「行って来い。出来れば、解体して牙と目玉は持って帰ってきてくれよ。」
ロックボアの牙は、細工物の素材になる。
ロックボアの牙製チェスセットや首飾りは、上流階級でも人気がある。
目玉は魔法薬の材料だ。
鎮痛や増血効果がある薬ができ、こちらは騎士団にとって、あればあるだけ良い薬だ。
毛皮はそれほど値がつかない。
コツさえ掴めば割りと狩りやすい魔物であるし、その巨体のおかげで毛皮はかなりの量が採れる。
革鎧にしたり、盾の裏地に使ったりと防具的な意味で用途は多いが、他の材料に比べて突出しているほどでもない。
肉は独特の臭いがあって好みが分かれる。
冬が近いこの時期だと、脂が乗っていて食べ頃なのだが、別に食物に困っている訳でもない。
パウロが十騎ほど連れて駆け出していく。
ロックボアを狩るコツは、正面から眉間を射抜く事だ。
それなりの弓の腕さえあれば、後は度胸の問題である。
他に、腹部は比較的毛皮が柔らかく、槍はもちろん、剣でも突き刺す事ができる。
まぁ、パウロなら問題あるまい。
シエーナが不安そうにしていたが、放っておいた。
俺達は、まだ魔物を見てすらいない。
気にした所で、馬を進める事以外に、する事はないのだ。
四十分ほどで、パウロ達は戻ってきた。
牙が二つ、目玉は一つ。
矢を外して、目玉を潰してしまったらしい。
獲物は、輸送隊の荷物に放り込んだ。
十騎のうち、三名ほどが軽い傷を負っていたが、どうと言う事もなさそうだ。
「だ、旦那様。」
恐る恐る、と言った感じにシエーナが話しかけてきた。
怪我人を見て、動揺したようだ。
だが、報告を聞く限り、ローフェンとラドマンはもっと凄惨な戦いを繰り広げている。
「なんだ。」
「怪我をしている方が。」
「あんなもの、怪我には入らん。牙が掠めた程度だ。」
「でも。」
「あいつらは、君よりもそういった経験が豊富だ。何もせずにいるなら、それで大丈夫なんだろ。」
「でも、血が。」
「シエーナ。俺達の行く先がどんな所か、わかってるだろ。この程度で取り乱すな。」
シエーナは、まだ何か言いたげだが、俺はそれ以上相手にしなかった。
シエーナを連れて来た事を、俺は後悔し始めていた。
彼女は、何も知らない。
そして、安全な場所で生活する事に慣れきっていた。
屍の山を築いて道を拓いた俺達とは、何かが違う。
仕方のない事だが、苛立ちを俺は感じていた。
その日は、ロックボアが現れた以外は特に何事も起こらず、予定していた野営地に辿り着いた。
俺が発掘調査を行う際、大規模な魔物狩りがあった上、何度も輸送隊が通る度に魔物を狩っているので、かなり数を減らしているようだ。
ローフェンとラドマンの所まで、犠牲を出す事はなさそうだ。
その後も何度か魔物と出会ったものの、手こずる事はなく、旅は進んだ。
後半日もすれば、到着するところまで来た時、ラドマンが五十騎ほど率いてやって来て、俺達を先導した。
「随分と、久しぶりな気がするな。ラドマン。」
言うと、ラドマンはあの凄味のある笑みをこちらに向けた。
横で、シエーナが小さな悲鳴をあげる。
「申し訳ありません。シエーナ様。」
ラドマンは苦笑して、顔を逸らした。
謝るべきは、シエーナだ。
俺も、この笑みに慣れるのに時間はかかったが、声を漏らすような事はしなかった。
主君たる者、家臣を恐れてはいけない。少なくとも、それを露骨に出すような事は、してはいけないのだ。
「すまない、ラドマン。」
俺が言うと、ラドマンは慣れてますから、と笑っていた。
シエーナは、俯いたまま、黙っている。
なんか言ってやれよ。
思ったが、口には出さない。
シエーナが、ラドマンにどう思われようと、俺には関係ない。
一千の傭兵が守る陣が見えてきた。
今はまだ騎士達や傭兵の駐屯地にしか見えないが、いずれは町にする予定である。
土塁に囲まれ、幕舎が整然と並んでいて、櫓も組まれていた。
土塁の隙間には木でできた門があり、十名程の見張りが立っていた。
彼等は俺達を認めて、門を開けた。
「アルマンド様とシエーナ様の幕舎は用意してあります。少し、休まれますか?」.
「シエーナは、休みたいだろう。案内してやってくれ。俺は、先に此処を見て周りたい。」
「私は大丈夫です。旦那様。」
ラドマンが、おや、と言う顔をしてシエーナを見た。
「好きにしろ。ラドマン、お前は隊の指揮に戻れ。」
「わかりました。案内の者を一人、つけます。俺達も、日暮れまでには戻りますから、それまでは好きにしていて下さい。」
言って、ラドマンは部下を連れて、陣を出て行った。
彼からは、切迫したものは余り感じられない。
日に十数名は死者が出ている筈だ。
数だけ見れば、渓谷に道をつける最初期の頃に比べて少ない犠牲ではある。
だが、今の騎士団の実情からすれば、かなり手痛い犠牲の筈だ。
その辺りは、帰って来てから、聞いてみるしかない。
今回の視察は、サボる為に来ている訳ではないのだ。