視察がデート。
それから半月が経った。
ローフェンとラドマンは、なんとか迷宮の魔物を押しとどめていた。
こちらの兵力七千弱に対して、魔物は三千との報告があがってきている。
元神殿騎士と思われるスケルトンナイト、魔法を使ってくるゾンビメイジが合わせて百ほど、他は通常のスケルトンやゾンビ、グールなのだが、総じて普通の個体よりも力が強く、タフなようだ。
ローフェンの隊から三百、ラドマンの隊から五十ほど犠牲が出ている。
「これは、もたんな。フィリップ。」
ローフェンからの報せに、俺は思わず顔を顰めた。
「周辺の安全確保の為、と積極的に打って出ているようですな。ローフェンはともかく、ラドマンは血の気が抑えきれないのでしょう。」
それもあるのかも知れない。
が、現場を見ていないのでわからないのが、正直なところだ。
うちの家臣達は、騎士団に所属している者たち以外、軍事に明るい訳ではないのだ。
最も理解があるのがダルトンなのだが、十人隊長程度だったのが騎士団の設立前に文官になったので、それほど戦略や戦術に詳しいわけではない。
何より戦う事よりも、そういった方面の方が向いているとの判断で、異動になったのだ。
文官の目から見た騎士団の内情は、当てにしない方が良い。
文治にかなり傾いている当家だが、いざと言う時に騎士団が弱体化していては、目も当てられない。
文官は、本能的に軍が力を持つ事を嫌う。
前世の歴史、とりわけ中国の古代中世史では、そうやって外敵を防げず、もしくは反乱を抑えきれずに王朝は滅んでいった。
もちろん、原因はそれだけではないが、それが大きな原因の一つになったのは間違いない。
その芽を摘む為にも、自分の目で確かめるべきだ。
「一度視察に行く。日程の調整を頼む。」
「おやめください。危険過ぎます。」
フィリップがノータイムで反対する。
まぁ、気持ちはわからんでもない。
「かまうものか。パウロ達がいれば、なんとかなるだろ。まして、騎士団もいる。」
「しかし、御身に万が一の事があれば」
「その時は、エルロンドを支えてやってくれ。何年後かならまだしも、今俺が死んだところで、混乱する余裕もあるまい。」
言って笑うと、フィリップは俯いた。
「パウロを呼べ。すぐに準備にかかる。」
それから、三日間、俺は片付けねばならない書類と格闘し、なんとか十日は向こうに滞在する余裕を作った。
補給物資を積んだ輸送隊と同道する事にし、およそ一月ほど視察に費やす予定である。
出発の朝、自室で目覚めてすぐに持ち物のチェックをする。
騎乗するので、板金鎧ではなく、革鎧を身につけた。単純に、軽い方が馬は速く駆けるからだ。
腰にはドワーフ製のミスリルと鋼の合金で出来た長剣、細々とした事に使うナイフ、非常食と干した薬草を入れた麻袋、水筒代わりの革袋、火打石。
馬の鞍にくくりつける大きめの麻袋には、麦の粉を練って干したモノと鉄の鍋、雨の時に羽織る外套、小さな毛布など。
他にも鞍にぶら下げる短い弓や、矢筒など、主に緊急時に生きて行く為の準備が中心である。
前線に出る事はないので、こう言ったモノは俺が持っていた方が良いのだ。
使用人の手を借りず、自分で用意した。
さて、持ち物チェックも終わり、いざ出発と袋を担いでドアを開けると、そこに旅装を整えたシエーナが立っていた。
俺の思考が止まる。
「私も、行きます。」
何言ってんだこいつ。
「どこに行くのか、わかって言ってるのか?」
「もちろんです。」
「なら、わかってるだろう。ダメだ。」
「旦那様は約束して下さいました。フィリップの許可があれば、視察に連れてゆく、と。許可はもらいました。」
マジかよ。
「これはただの視察じゃない。毎日死人が出るようなところだぞ。連れて行ける訳がないだろう。」
「嫌です。約束は、約束です。」
嫌ですってあんた。
子供じゃないんだからさ。
参ったなぁ。てか、なんでフィリップ許可出してんだよ。ダメだろ。どう考えたって。
「なら、その約束を破る事にしよう。屋敷に残れ。」
「それなら、私も旦那様の命令に背きます。なんと言われてもついて行きます。」
シエーナが、ジッと俺を睨みつける。
目には涙が溜まっていた。
「そこまでして、なんでついてきたいんだ?」
「もう嫌なの。何も知らずに、何もわからずにただ待ってるのは。」
ポロリ、とシエーナの頬に涙が伝う。
だが、シエーナは目を合わせたまま動かない。
「貴方が行くなら、私も行く。」
駄々っ子か。
俺は、深い溜息をついて、シエーナの足元から顔までゆっくりと視線を這わせる。
革のブーツに薄い鉄甲の脛当て、腰に魔物の革のスカート、ベルトには短剣が差してある。
胴にはこれまた薄い胸甲、肩からは外套を羽織っている。微妙に魔力が漂っているので、特殊な布で作ったのだろう。
手甲もしているが、これも薄い。
「物見遊山に行く訳じゃない。使用人に言って、干し肉を分けてもらってこい。出来れば、毒消しの薬草も。馬には、乗れるな?」
言うと、頬に涙を伝わせたままシエーナは笑い、はい、と元気良く返事をして駆け出して行った。
「あの野郎、今度会ったらどうしてくれようか。」
シエーナの背中を見送って、独り呟いた。
もちろん、フィリップの事だ。
ヤツは今マルガンダの役所でキートスと話しをしている筈だ。
屋敷の前には、既に護衛が集まっていて、俺を待っている。
輸送隊は既に出発しているが、馬なら昼過ぎには追いつく筈だ。
というより、追いつかねばならない。
道がしっかり整備されていないので、見失うと大変な事になる。
今から、役所に寄る余裕はなかった。
屋敷を出ると、護衛騎士が整列していた。
赤虎馬に跨った俺を、一斉に見つめてくる。
「パウロ。」
呼ぶと、パウロが馬を寄せてきた。
「すまん。シエーナがついて来る事になった。」
「えっ?」
「手間をかける。」
パウロはぼかん、としている。
そりゃそうだよな。
「冗談でしょう。身の回りの世話なんか、俺達にはできませんよ?」
「血筋は貴族だが、元は市井にいたんだ。自分でなんとかするだろう。」
言ったところで、背後から馬蹄の音が近づいてくる。
振り向くと、見事に馬を乗りこなしているシエーナが、馬をこちらに駆けさせていた。
「驚いた。あのシエーナ様が。」
パウロが小さく呟いた。
そりゃ俺のセリフだ。
何処で馬術を習ったんだ。
「お待たせしました。旦那様。パウロ、迷惑かけないように気をつけるから、よろしくね。」
晴々とした笑顔でシエーナは言った。
開いた口が塞がらない、とはこの事か。
「昼までは駆け通す。遅れたら、置いて行くからな。」
言うと、シエーナは満面の笑みで頷いた。