シエーナ・ローラン
「シエーナ、一つ言っておきたいんだが。」
グズりながらも、シエーナがまた顔を上げた。
「俺は、君を妻に迎えたいと思ってる。」
シエーナが、突然泣き止み、固まった。
「だから、互いに隠し事はなしだ。君が今までどんな人生を歩んで来ようと、俺と君には関係ない。違うだろうか?」
言うと、シエーナは顔を赤らめて俯き、ごにょごにょと話し始めた。
シエーナは、養女だった。
が、ローラン伯爵家の血はきちんと受け継いでいる。
現当主であるジョセフ・ローランの孫で、本当の父親はその嫡男。
「ん、ローラン卿の嫡男っておかしくないか?」
ローラン卿は中々お盛んな老人で、確か六十を過ぎていた筈たが、正妻が産んだ嫡男は17歳と、まだまだ若い。
今年、結婚する筈で、同じ派閥の義理で俺にも結婚式の招待状が来ている。
シエーナの歳は知らないが、17歳よりは確実に上である。
「はい。お父さんは、お祖父様に追放されたとかで、家系図にも載っていません。」
マジかよ。
貴族の家系図に載らないと言う事は、家名を名乗れない事と同義である。
それはすなわち、あらゆる意味で平民と変わらないと言う事だ。
俺が潰した豚公爵でさえ、家系図から抹消される事はなかった。
まぁ、既にこの世にいないので、どうでも良いんだが。
家名を名乗れないと言うのは、結構キツい。
他家に仕官するにしても、ただでさえハードモードな難易度が更に跳ね上がる。
まして、贅沢を覚えてしまった伯爵家の嫡男ともなれば、平民として生きていくのは不可能に近い。
そこで、シエーナの実父は思いついた。
娘売れば良いんじゃね?
しかしながら王国では奴隷の販売には制限がある。
その一つに、貴族の血縁者は奴隷にはできない、と言うのがある。
俺は、エンリッヒ家そのものが取り潰されたので、この制限に引っかからなかったのだが。
ま、それはさて置き。
シエーナの実父は、ローラン伯爵家の一人息子と言う事もあってか、素行が尋常じゃなく悪かったそうだ。
家の金を使い込む、正妻なんぞ放っておいてあちこちで子供を作ってくるのは当たり前、税の徴収と称して民家に押し入って家財一式強奪したり、店構えが気に入らないとか言って町の店を物理的な意味で潰したりと、とにかく酷かった。
目があったと言う理由で、家宰を斬り殺したした事で、ついに父親であるローラン卿はブチギレ、夫を諌めるどころか煽っていた嫁は実家に強制送還、娘であるシエーナは父親が舞い戻る口実を与えない為に一緒に追放。
そんなバカな若造が、まともに働ける場所などこの世界にはない。
そんなこんなで、シエーナ達は物乞いでなんとか生きていける程度のモノを手に入れる事にした。
シエーナは当時五歳。
身体を売る事は、絶対にしなかった。
身体が成長していくにつれ、物乞いよりも市場で万引きしたり、農家の鶏なんかを盗んだりするほうが稼げるようになり、それからは二足の草鞋。
どぶネズミ生活を十四歳になる、一昨年まで続けて捕まったのだが、捕まえたのが父の実家の従士で、シエーナの事を覚えていたのが、貴族社会に復帰するきっかけになった。
ローラン卿も、成長してから現れた孫が不憫だったのだろう。すぐに養女として迎えいれた。
だが、シエーナの実父の悪行は忘れられてはおらず、家臣団との間で揉めに揉めた結果、すぐに嫁に出してしまう事になり、今に至る。
ちなみに、揉めに揉めていた二年ほど、シエーナを捕まえた従士の家でお世話になっていたそうで、そこで家庭の暖かさに触れ、自分もいつかこういう家庭を築きたいと思ったそうだ。
中々の苦労人である。
ここは共感する所なんだろうが、そんなもんはない。
俺の頭にあるのは、シュナにこの話しが事実なのか確認させる事、事実であればローラン伯爵家からどういう条件を引き出すか、そんな事ばかりだ。
シエーナの人生は、決して幸福なものではなかったのだろうが、そんなもん知ったこっちゃない。
俺の方が悲惨だった、とかそういうんじゃない。
ただ単純にどうでも良い。
彼女の不器用さはさておき、その意志は好ましく思える。
それと、今回の結婚は別の事だ。
ちなみに、俺から見たローラン卿の印象は、のんびりとしたお人好しそうな爺さんで、特に特筆するような事績もなかったと記憶している。
見方によれば、貴族っぽくない、普通の爺さんだ。
きっと、老いて情に流されたんだろうな。
シエーナが話し終えると、フィリップと向こうの執事がやってきた。
ちょっと長居し過ぎたか。
ま、今日はこれぐらいにしとこう。
また会う約束をして、俺達は別れた。
後日、ローラン伯爵家から何度も婚約を確かめる手紙が届いたが、それはまた別の話し。