三年が経ちました。
エリーゼが死んで三年。
俺の領地は、その広さからすれば極一部に過ぎないのだが、幾つか人が自給自足できる村や町が出来てきた。
住民達は、解放された開墾奴隷よりも、移民の方が多い。
主になっているのは、国境の小競り合いで村を失った者たちや、王国内で貧困に喘いでいた貧民層だ
特に、発展が著しいのは俺が本拠地に定めた『マルガンダ』とマンシュタインが築いた『ローヌ』の二都市だ、
最初期から開発を進めただけはあり、ローヌは当初計画した規模から更に拡張され、今では渓谷から流れる『ローヌ河』沿いに築かれた船着場と造船所に向かって街は膨張を続けている。
一昨年、マンシュタインの三男であるファーブルが代官として赴任し、渓谷の関所から周辺の村までを掌握している。
土地の広さや、将来的に見込める税収を見れば、男爵級の領地を管轄している事になる。
うちの家臣団の中でも、最も若い者の一人だが、キートスの元部下達を付けたのでなんとかやっていけているようだ。
ファーブルの苦労が実ったのか周辺には、既に完全な自給自足を成し遂げている村が三つ出来ている。
森沿いに二つ、川沿いに一つだ。
森沿いの二つは、沼が多い周辺の平野に農地を拡げ、森で狩りや採集での食糧はもちろんのことながら、腐葉土を集めて肥料の調達までしている。
また、土の魔法使いが数人帰農して居着いた為、多少の土壌改良も行ったようだ。
人の魔法で出来る事は知れているが、要は積み重ねだ。
他の村ではまだ免除されている税の徴収も始まっているが、王国では破格の三割五分の税率と言う事もあり、他所に食糧を回す余裕もあるようだ。
川沿いの村は、漁で生計を立てている。
僅かな農地もあるにはあるが、野菜を育てているだけで、余った魚を売り、先程の村から穀物などを買っているそうだ。
こちらは、まだ税の徴収は行っていない。
三百以上の人口がある森沿いの村に比べ、こちらの村は三十名ほどしかおらず、舟などの初期投資の回収もまだできていないからである。
また、ローヌの街そのものも大変な賑わいである。
まず、冒険者ギルドが完成するや否や千人ほどの冒険者達が王国中から押し寄せた。
未知の領域を探検したり、周辺の植物の分布調査、新たに造られ続ける村々周辺に生息する魔物を調査するなど、彼らの仕事は山のようにあった。
次に完成した商人ギルドによって、彼等がもたらした情報は、多大な資金をもたらす事になる。
マンシュタインが創設し、初代団長となった騎士団が討伐した希少価値の高い魔物の毛皮や、牙などを、サルムートが心血を注いで育てあげたこの領地の固有種である薬草を、ドワーフ達が掘り出した宝石や銀鉱石を、彼らは渓谷を越えて王国の貴族やお抱えの職人達に売り払った。
王国の法により、行商人を除く商人達には利益の五割に税が課せられる。
他に、関所の通行税もあり、商館を築いた商人にも税が掛けられる。
更に、彼らは宿にも泊まるし、数日であれローヌに必ず滞在する。
もちろん護衛の傭兵達も、それは同じだ。
うちの領地で買えるモノは少ないが、彼等がうちに落としていった金貨は、かなりのものになる。
一方、マルガンダは、中心に俺の屋敷、それを囲むようにして、領地の中枢になる家臣達の屋敷や、施設が建ち並び、その外側に今はまだ空き地が目立つが、商人達の店や酒場等の商業区、更にその外側に宿屋や住居などの居住区がある。
元々、王都に匹敵する規模の街を造る設計で縄張りをした為、一見すると野放図に拡がった町のようにも見えた。
解放奴隷達が、道沿いではなく、マルガンダ周辺の農耕に適した立地に村を築く者と、狩人や木こり、木工匠など、手に職がある者たちが築いた、『マルガンダ』の北西にある山の麓の村に住まう者達に別れた。
マルガンダ周辺に住む元奴隷の農民がおよそ八千、山の麓に住む者たちがおよそ五百といった所か。
未だに苦しい生活を強いられているようだが、時折、騎士団の第一隊長となったポレスが屯田兵を率いて見回っては開墾を手伝ったり、必要な物資を安価で提供したりしている。
本当の自給自足には、まだ遠いが、マルガンダに居着く商人が現れれば、物が動きやすくなり、生産さえ追いついていれば、生活は楽になる筈だ。
今の領地の発展具合からすれば、それはそう遠い話しではないだろう。
マルガンダとローヌを結ぶ道沿いにも、いくつかの村が出来ている。
今の所、農業を生業にする者たちの村が三つ、商人を相手にした宿屋や商品を中継する問屋のような商人達が住む町が二つ。
いずれも、最高の立地に陣取っているので、マルガンダとローヌが発展するにつれて、賑やかになっていく筈だ。
この三年はあっという間だったような気もするし、まだ三年、と言う気もする。
エリーゼがいた一年に比べるべくもないが、充実した日々ではあった。
「随分と、様になってきたなぁ。」
「まぁ、三年ですからね。キートス殿の働きを見てると、これぐらい当たり前、と思ってしまいますよ。」
そんな発展途上領の領主である俺は、ここの所、パウロと他に家臣を誰か一人連れて領地を見回る日々を過ごしていた。
領地に来てすぐは、それこそ山のような書類が俺の机を侵略し、俺は常に誰かの報告や指示を求める声を聞きながら、書類にサインするだけの、簡単なお仕事を毎日毎日繰り返していた。
一度、キートスに文句を言いに、彼の部屋を訪れたのだが、鬼神のような形相で床まで埋めている書類と格闘する彼の姿を見て、心が折れた。
今は、大抵の事が軌道に乗り始め、その微調整を行うのが主な仕事だ。
少なくとも、一年ほどはこれ以上どう頑張っても生産力が伸びない、と言う所まで来ている。
この三年でノウハウも蓄積され、新しい村を築くだけなら、俺がいなくても仕事は回るのだ。
そうなると、俺の怠け癖が出てくる。
一応、視察と言う事にしているのだが、フィリップとキートスに誰か連れて行くように言われている。
今回の供は、ダルトンで、前回はサルムート、前々回はポレスを連れて行った。
この三年で、パウロは俺の護衛隊長として、五十名ほどの騎士を従えるようになった。
本人は柄じゃないと断ったそうだが、今では百名までの指揮なら、マンシュタインやその息子達にも引けを取らないらしい。
最初の二年ほどは、よくコテンパンにされていたようだが。
「モノはまだまだ足りませんがね。もうちょっと住み良くなれば、職人達も集まってくると思うのですが。」
ダルトンは、今では領内の物流を管理している。
エンリッヒ家としての物流と、商人達の物流、両方を良く見ていた。
税の徴収も含まれているので、いつ不正が起きてもおかしくない所であり、腐りやすい部分だと言える。
今のところ、おかしな気配はないのだが、気になる所には自分で足を運び、実際に検分したりして、賄賂で誤魔化そうとするのを牽制しているようだ。
キートスほどではないが、彼も家臣の中でも忙しい方の男である。
「そういや、御用商人の件はどうなった?」
ふと思い出して聞いてみる。
領地に入る前から話しはしていたが、まだ決まっていない。
「エンリッヒ家の領地は、売るモノの種類はあれど、量が足りませんからね。大きな商会に声をかけづらいんですよ。最近は、うちで育てようかと、キートス殿とは話しを進めてます。」
あらま。
まぁ、まだ構想の段階なんだろう。
もうちょっと案が固まれば、俺のとこにも上がってくる筈だ。
「育てる、と言えば、エルロンド様はどうされてます?」
「おう。よくぞ聞いてくれた。これがもう可愛くてな。笑った顔は、やはりエリーゼのモノだ。最近、家庭教師をつけたが、中々飲み込みも早いそうだぞ。俺の神童ぶりには劣るそうだが。」
そう。俺を教えた家庭教師は、今エルロンドを教えている。
募集したら、応募者の中にいたので採用したのだ。
記憶の中の彼は中年のそれでも若く見えるおにーさんだったのだが、初老、と言うのがピッタリなオジサマになってらっしゃった。
時の流れは残酷だ。
エリーゼの事は、未だに夢に出てくる事はあるが、胸の痛みはどこか遠いものになっている。
決して忘れる事はできないのだが、それでも遠い。
フィリップは、どこかでそれを見抜いていて、伸ばし伸ばしになっていた俺の後妻を決めるように言ってきていた。
その為にも、来月あたりに俺は王都に行く事になっていた。
俺の、十九年ぶりの誕生日パーティを行うらしい。
奴隷時代はともかく、貴族社会に復帰した後も何かと忙しかったり、とてもそんな気分になれなかったりで、そういう事はしてこなかった。
かつてのエンリッヒ男爵家でのパーティを知っているフィリップとサルムートは、張り切ってその準備の為に、一足早く王都の屋敷に行っている。
そんな雑談を交えながら、ドワーフが築いた石畳の道を行くと、村が見えて来る。
まだ、小さな村だが、住民の活気に満ちていた。
ナヴァレと丘の上から眺めた、かつてのローヌにどこか似ている気がする。
小さな、夢だった。
だが夢が、村を育てた。
ダルトンが馬の腹を蹴って、駆けて出した。
宿の、交渉でもするのだろう。