エリーゼの死。
「シュナ!」
フィリップの悲鳴じみた声。
「お呼びで。」
「王都一の魔法医をここに。手段は問わぬ。」
エリーゼ。
「パウロ、お前はアルマンド様を」
俺は、ドアを開けて、寝室に入った。
エリーゼが、眠っている。
「フィリップ。」
「はっ。」
「エリーゼは、どうなる。」
「必ずや、お救い致します。どうか、お気を確かに。」
「眠っている、それだけだろう?」
フィリップは、応えない。
「なぁ、パウロ。」
パウロも応えない。
どうして、誰も応えない。
エリーゼは、本当に眠っているだけのように見える。
震える指先で、エリーゼの頬に触れた。
まだ、暖かい。
「魔法医を、お連れしました。」
シュナの声。
振り向くと、六十ぐらいだろうか。
豊かで、真っ白な髪と髭の爺さんが、目を見開いて、こちらを、いや、エリーゼを見ている。
「無理にお呼びだした所、申し訳ないがすぐに」
フィリップが言い終わる前に、俺を押し退け、爺さんはエリーゼの胸あたりに手をかざした。
その道に生きる者が、時折見せるたじろぐような眼をしている。
爺さんの手が、ぼんやりと青白く光る。
「この御婦人は?」
「俺の、妻だ。」
「そんな事は、どうでも良い。何故、ここまで放っておいた。」
何を言っている。
エリーゼは、健康だった。
妊娠の経過も、順調だった。
「侯爵でありながら、この屋敷に魔法使いはおらんのか。よく聞け、この馬鹿共。この御婦人は、魔力が枯渇しておられる。もう、ほとんど残っていない。出来るだけの事はするが、期待せんでくれ。」
それは、どういう意味だ。
「出ていけ。気が散る。」
いやだ。
エリーゼの傍に、俺がいなくて、誰がいると言うのだ。
「アルマンド様。」
フィリップが、声をかけてくる。
いやだ。
俺は、動きたくない。
「おいそこの。この阿呆を今すぐ担ぎだせ。邪魔だ。」
爺さんがパウロを怒鳴りつける。
貴様、何様のつもりだ。
パウロ、何故こっちに来る。
何故、声がでない。
「アルマンド様、失礼します。罰は、後に必ず。」
そう言ったパウロの手が動いた所までは、見えた。
目を覚ますと、俺は廊下の長椅子で寝かされていた。
辺りは、すっかり暗くなっている。
なんだ、夢か。
身体を起こすと、俺に向かって平伏しているパウロ。
苦しげな顔で立っているフィリップ。
「子供は、生まれたか?」
「無事に。」
フィリップの声が、酷く低く、暗い。
「エリーゼは?」
「未だ治療が続いております。」
やめろ。
あれは、夢だったんだ。
「魔法医が申すには、エリーゼ様の魔力はほぼ枯渇しているとの事でございます。この後、最期の時間を作って下さるそうですが。」
そう言って、フィリップは、俯いた。
床に、雫が落ちる音がした。
「長くは、持つまい、と。」
何を言っている。
どうして、お前が泣いている。
やめてくれ。
寝室のドアが開いた。
「アルマンド、奥方が、お話ししたいそうだ。長くは持たん。すまない。」
夢の爺さんが、ドアから顔を出す。
よせ。
何故、この爺さんが、謝っている。
何故、俺は頷いてるんだ。
俺は、ふらつきながら、寝室に入った。
ベッドの上で、エリーゼは笑っていた。
元気そうじゃないか。
皆揃って、俺を騙しやがって。
「アル、ここに、座って。」
エリーゼが、ベッドの端を手で軽く叩く。
「ごめんなさい。アル。」
腰を降ろした俺に、悲しい笑顔で、エリーゼは言った。
「いつものように、笑ってくれ。エリーゼ。」
言うと、エリーゼの頬を涙が伝う。
「ごめんなさい。」
どうして、謝るんだ。
「私、初めから、嘘をついてたの。ずっと、何度も。」
エリーゼが、話し始めた。
俺を初めて見たのは、王都の劇場からの帰り、馬車から供を連れて町を歩いている俺を見かけた時だった事。
もう一度会いたくて、父親に無理を言って王都のパーティに何度も足を運んだ事。
殿下の誕生パーティで俺を見つけた事。
病気にかかった時、本当は闘病などしていない事。
ある日、意識を失い目が覚めたら突然治った事。
魔力の変換が起こっている事に、気づいていた事。
いつ死んでも、後悔しないよう、自由に生きたかった事。
妊娠して、自分の魔力が一気に減り始めた事。
顔色は化粧で誤魔化し、出来るだけ寝ているようにした事。
「ごめんなさい。」
泣きながら、話したエリーゼがまた謝った。
「良いんだ。そんな事は。俺が、愛している事に、変わりはない。」
そうだ、そんな事は、些細な事だ。
だから
お願いだから
「これからも、俺の妻でいてくれ。エリーゼ。」
声が震える。
「ありがとう。アル。でも。」
やめろ。
聞きたくない。
「もう、私、ダメなの。頑張ったけど。ごめんなさい。」
よせ。
どうして、そんな事を言う。
「アル。」
涙を流しながら、エリーゼは微笑んだ。
俺が、大好きな笑顔だ。
この世に、二つとない、俺だけに向けられる笑顔。
「ありがとう。」
エリーゼの手が、俺の頬に触れた。
その手を、握る。
エリーゼの青い瞳が、違う何かになっていく。
エリーゼの手から、何かが抜けていく。
「ダメだ、エリーゼ。よせ。やめてくれ。俺を、俺を遺して、独りにしないでくれ。」
エリーゼの頬を、また一つ涙が伝う。
瞳を閉じ、俺が大好きだった微笑みを浮かべ、エリーゼは逝った。
どれだけ否定したくても、それだけは、はっきりとわかった。