ナヴァレ・ニュートン
ナヴァレ・ニュートン。50歳。
己が足で歩け、が会訓であるニュートン商会会長の次男として生まれた彼は、幼少の頃から商売に関するあらゆる知識、ノウハウ、情報をその頭に詰め込まれた。
商売の世界は、裏を返せば王宮貴族並の暗闘を日々繰り返している。
彼は、そんな商売の世界で生きていかねばならない自分の人生を呪っていた。
幼い頃の夢は冒険者。
世界を股に掛け、命を賭けて財宝を求めて困難に立ち向かう彼らに憧れたのだ。
学問の成績は人並み、武術は苦手で、魔法は日常生活に多少役立つ程度。
仲の良い友人と呼べるのは十名ぐらいで、そのうち一人は生涯の友になるだろうと、なんとなく思っている。
ニュートン商会において、最も必要な才能、商売に関する才能を除けば、ごくごく平凡な少年だった。
彼は五歳で才能の片鱗を見せ始めている。
商会を訪れた、とある伯爵家の家臣に非常に希少なミスリル製の小剣を巧みな話術、それも自分が子供である事を活かした上で、売りつけたのだ。
当時の価格で白金貨一枚と金貨三十枚。
五歳児が、一千三百万円の売上を取ってきたのだ。
その場にいた者はもちろん、これには当時の会長も驚いた。
だいたい白金貨一枚で小規模の店舗があげる、一月分の売上である。
が、所詮は子供のした事である。
一日で、それ以上の金貨を稼いだ事に対して、商会の幹部達は驚きこそしたものの、偶然の産物として片付けてしまった。
ナヴァレ少年は、その後も業績を積み重ねていったのだが、全て他の者に手柄を譲る事にした。
なぜそんな事をするのか、とお付きの執事が聞いた時、彼はこう答えている。
「己が足で立つ、我が商会の基本理念であるそれを、理解すらしようとしてない人を特定しているんですよ。僕が会長になった時の為に。」
五歳児の言う言葉では、なかった。
圧倒的な自信と、悪魔のような笑顔。
彼を平凡な五歳児として扱う者は、一気に減った。
その後、彼は成長すると共に、自分の信奉者を作っていった。
もちろん、五歳の時点で非凡の呼んで良い販売スキルに磨きをかけるだけでなく、仕入、運送、販売後のケア、新商品の開発などにも積極的に関わり、知識を蓄えるだけでなく、その商才を開花させてゆく。
14歳で支店長に昇進
18歳、王都本店長に就任。
21歳、ニュートン商会、生産部門の立ち上げ。その部門長を兼ねる。
25歳、兄を押しのけ副会長に就任。
気づけば、兄すらも自分の部下として使いこなし、33歳という若さでニュートン商会会長の座に就いた。
その後、商売に対する非常に攻撃的な姿勢と、王国貴族も及ばない程の謀略を用いて、ニュートン商会を国内有数の大商会にまで押し上げたのだ。
ナヴァレは、当代で最も優秀な商人である事は間違いない。
だが、彼は飢えを感じていた。
競争原理が働かねば品質の維持や進歩が難しくなると言う観点から、特定の分野で占めるシェア率には適正な数値があるのだが、ニュートン商会は扱っていない商品はないと言ってよいほどに膨張し、ほぼ全ての部門で適切なシェアを占めている。
更に利益を得るのならば、顧客の最大数、つまりは市場規模の拡大しか、道はない。
しかし、彼の商才を持ってしても、市場規模の拡大は容易ではなかった。
ニュートン商会には、国内ではもう伸びる余地はほとんどない状態にあったのだ。
東の帝国にまで赴き、そこに支店を構える事を検討し始めた矢先、エンリッヒ家の侯爵位叙任に纏わる事件が発生する。
己が足で立つ。
ニュートン商会の原点を体現したような逆転劇である。
少なくとも、ナヴァレはそう感じ、エンリッヒ家について調べたのだが、見事なまでに何も出てこなかった。
わかったのは、その筋では有名な「カイストの黒」と名乗る諜報集団がエンリッヒ家に肩入れしているぐらいである。
ナヴァレは更にエンリッヒ家に関心を示した。
純粋な好奇心と、商売人としての勘に由来する関心である。
一度、自ら侯爵家を訪問し、揺さぶりをかけてみたが、一切動じない。
それどころか、王国の大商会が御用商会になる事を申し出たにも関わらず、それを断ってきた。
アルマンド・エンリッヒ侯爵は、援助を求めていない。
独力で、歴代王家が、偉大な先人達が、歴史に名を残した大商会が諦め、見て見ぬふりをしてきた西部開拓を成し遂げようとしている。
成し遂げた暁には、王家を凌ぐ程の力を侯爵家は手にする事になるだろう。
そうなってから、対等な関係を築くのは不可能に近い。
己が足で立つ。
その精神は顧客との関係を築く上でも、揺るがない。
だが、自分は不可能を可能にする事によって地位を築いてきた。
下手に敵対するような手を打つ事はできないが、自分の能力に対する絶対的な自信がナヴァレにはある。
まずは機を待ち、そして機を逃さない為の準備をする事だ。
幼い頃から、自身の仕事と才能を呪っていたが、老境にさしかかり、やっと面白いモノと出会う事ができた。
ナヴァレは、新しいオモチャを前にした少年のように目を輝かせていた。