盗っ人シエーナ。
本日二度目の投稿。
四日後、予定通りソーテルヌを発った。
ローヌ河を渡るだけで、朝から昼過ぎまでかかる。
俺達が乗ったのは大型船で、二十挺櫓の帆船だ。
風向きが良ければ、帆を張るそうだが、今は畳まれていた。
風が、心地良い。
「旦那様、あまり風に当たりますと、お身体に障ります。」
昨日、シエーナがげっそりするほど、ハリーが選び抜いた奴隷、もとい当家の新しい使用人である、ランドルフが小言を言ってくる。
彼は、今年17歳。
長身の紳士然とした気品のある顔立ちに、執事として完璧な立ち振る舞いを身につけていた。
お値段、なんと金貨八十三枚。
元は商人の子だったが、父親から読み書きと四則演算を習っていた為、教養があると見なされ、奴隷商の下で教育を施された、エリート奴隷である。
どっかの鉱山で、うんこの穴を掘ってた誰かとは、えらい違いだ。
もちろん、今は奴隷の身分を解放して、戸籍上でも当家に仕える平民となっている。
「俺の病は、そう言った類ではない。元々、身体はかなり鍛えているから、これぐらいどうと言う事もないしな。」
甲板で、ランドルフとイェーガーを伴って、川面を眺めていた。
遠くに、ソーテルヌの南岸が見える。
サンテミリオンがある為、比較的遅くに開発したにも関わらず、北岸のそれに遜色のない活気があるそうだ。
北岸に比べると、造船所の規模が小さい、役所の類もそれほど多くはない、などの違いはある。
その分、今後産出するサンテミリオンの食糧を買い付ける拠点を、目敏い商人が築き始めていたり、漁師が多く住んでいるからか、市場も賑やかだと聞いている。
「しかし、旦那様に万が一の事があっては、ハリー様に顔向け出来ません。」
ハリー様、ねえ。
うちでは、家臣同士を呼ぶのに、様と言う敬称はあまり使わない。
直接の上司には殿、それ以外は認めた相手には殿を使うが、歳が近かったりして仲が良いとほとんど呼び捨てだ。
一応、序列はあるが、俺が余りそう言った事にうるさくないからか、貴族家としては非常に緩やかになっている。
寄せ集めの家臣団である事は、間違いないのだから、これぐらいで良いと俺は思っていた。
「なぁ、イェーガー。釣りはした事あるか?」
「ありません。釣竿、探して来ましょうか?」
「いや、ふと思っただけだ。お前なら、水の中にも弓矢を打ち込みそうだからな。」
「流石に、勢いが死んでしまうでしょう。普通の魚ぐらいなら、見えさえすれば射抜けそうですが。」
見えさえすれば、って言うあたりが凄いな。
やはり、魔法を使える人間ってのは感覚が違うわ。
「ランドルフは、どうだ?」
「恥ずかしながら、弓は得手ではありません。剣と槍なら少々の嗜みがございます。」
どこまでも、固いやつだが、ちょっと抜けてるなぁ。
普通、釣りをしたかどうかの話になると思うんだが。
もう一人の新参使用人である、コラリーはハリーに扱かれている。
貴族に侍る使用人として、必要な技量と教養を身につけねばならない。
オーズとアルファド、それに意外な事にバックスとシエーナは船酔いでダウンだ。
パウロは、シエーナの護衛兼吐瀉物処分係として勤労中。
甲板でなら、弓と短剣の達人であるイェーガーの方が立ち回り易いとは言え、哀れな護衛騎士隊長である。
名前のわからない少年は、オーズとアルファドと一緒にいる。
相変わらず何も話さない。
ハリーが診察と投薬を行ったが、全く意味を成さなかった。
身体の方は、やや痩せ気味だが、健康と言って差し支えないそうだ。
南岸に着いたら、パウロがとことん扱く予定だ。
「習いたいと思うのなら、パウロに頼め。他にもやりたい事があれば、遠慮しなくて良いからな。」
言うだけなら、タダだ。
転属となると、本人の適性によって、それが通るかどうかはフィリップやキートス、またはその部下達が判断する。
だが、本人が何かしら技能を習得したいのであれば、出来るだけ環境を整えてやりたい。
前世とは違い、こちらには学校すら無いと言って良いのだ。
「かしこまりました。」
畏まる必要はないんだがな。
これが普通なんだろうけど、他の家臣達との距離が近いだけに、違和感がある。
思えば、フィリップはそう言った所にも、気を回していたのだ。
侯爵家として、と言うよりも、俺にとって、まだまだ必要な人間だ。
元気にしているだろうか。
少しだけ、マルガンダが懐かしい。
目を離す度に近づいてくる、ソーテルヌの南岸。
風が、強くなってきた。
「死ぬかと思った。」
船着場で、船酔い組の回復を待ち、宿に入ってすぐ、シエーナが言った。
顔色は随分と良い。
いつも通り、元気に飯を食うだろう。
「何処か、食事に行こうか。北よりも、魚が美味いそうだぞ。」
甲板で一頻り景色を楽しんだ後、船長と雑談していて、教えてもらった。
ソーテルヌを出るまで、侯爵の身分は隠せない。
着ている物で、すぐにわかってしまうからな。
「行く。」
流石、シエーナ。
どんな時にも食欲を裏切らない。
「使用人達も、たまには連れて行くか。」
「新しい人もいるしね。良いんじゃない。たまには。」
思いついただけだ。
特に、深い意味はない。
そう言えば、前にオーガスタ神がそんな事をしている、と聞いた事がある。
ハリーを呼んで、手配を頼んだ。
「魚が美味い所が良い。使用人達も連れて行くから、余り難しい料理は出さないようにな。」
教養のない庶民には、食べにくい料理と言うものが、結構ある。
作法もそうだが、味にしても、そうなのだ。
コクと酸味が、王国の庶民には、特に嫌われる。
飢饉の時に食べるモノと、腐ったモノを連想するからだろうか。
まぁ、土地によって、味覚は変わるものだ。
俺は、此処を食いたいモノが食える領地に出来れば、それで良い。
「かしこまりました。貸切で宜しいでしょうか?」
「構わない。無理強いはするなよ。」
頭を下げて、ハリーが出て行く。
「お金、大丈夫?」
心配そうなシエーナ。
あのな、一応侯爵だぞ。
何もなかった領地を開拓していて、身分の割りには質素な生活をしているが、金がない訳ではない。
エンリッヒ侯爵家では、公費と侯爵家の私費は、別に金庫がある。
税や発掘などの収益の一部を運用して、結構な額になっていた筈だ。
その気になれば、自分の箱庭として、大きな街を造る事ぐらいはできる。
見た目の割りに、そこらの貴族よりも金持ちなのだ。
「お前が心配する事じゃない。」
「でも、あの子達を買うのに、結構使ったんでしょ?」
その辺り、まだ庶民的だな。
まぁ、俺も買う時にはちょっと腰が引けたが、全部で白金貨一枚ちょっとだ。
財産の規模からすれば、大した額ではない。
「気にするような額じゃなかったがな。お前も、一応侯爵夫人なんだから、白金貨ぐらいぱーんと使って見ろ。」
「え。そんなにお金あるの?」
「知らなかったのか。」
「だって、マルガンダの屋敷、凄い殺風景じゃない。領地の方が大変で、火の車なんだと思ってた。」
殺風景ってお前。
まぁ、大きな屋敷の割りには、貴族としての装飾品の類が少ないのは認めるが。
一応、家具や扉、階段の手摺なんかの木材は、東の帝国にしかない一級品を使ってるし、床に敷いている石材も、南の王国から取り寄せたモノだ。
壁に塗った漆喰も、ドワーフに言って良いのを作ってもらったんだぞ。
素材には拘った屋敷です。
「美術品だの、そう言ったモノまで買い揃えている暇がなかったからな。欲しかったら、使用人の誰かに言えば用意してくれた筈だ。」
「そんなの、私わかんないよ。でも、もうちょっと飾っても良いんじゃない?」
そんなもんか。
俺は特に気にならなかったが。
まぁ、シエーナが言うなら、美術商なんかを呼び寄せてみても良いかも知れない。
余り際限なく金貨を使われても困るが、屋敷を飾るのも必要経費だ。
「あと、アルのワインセラー、もうちょっと拡張しましょ。」
「あれは、俺のコレクションだ。くすねるくらいなら、自分のを作ってもらえ。」
「ワインもわかんないもの。アルのワイン、美味しいのばっかりだし、そっちの方が良いの。」
「ばっかり、ってお前。何本抜いたんだ。」
「何本って言うか、何十本?」
マジか。
これはいかん。
至急、在庫の確認が必要だ。
「中でも、銀で飾ってあった黄色いラベルのワイン、あれ美味しかったぁ。また買ってよ。」
ま、まさか。
それは、ピュイデスタン・マフーの王国歴1250年記念ワインじゃないだろな。
一級職人が醸造したグレートヴィンテージの七十年ものだぞ。
こ、これは、いかん。
「お前、今日は晩飯抜きな。」
「えっ?」
「お前の罪は重い、一晩反省しろ。」
特別な祝いの席で振る舞うつもりだったんだぞ。
ちくしょう。
金貨積んだって、買えねえものだってあるんだよ!
シエーナが、泣きそうな顔になってたが、俺だって泣きそうだった。