閑話 二人の護衛騎士
「待たせたな。すまん、バックス。」
「どうだった?」
娼館の向かいにある茶店に、やっとイェーガーが戻ってきた。
昼過ぎに入って、もう日が落ちる頃合だ。
「悪くはなかったな。そっちは?」
「外れだ。」
舌打ちして応えると、イェーガーは嬉しそうにニヤニヤと笑う。
俺が入った部屋で待っていたのは、そこそこ歳のいった、肥った女だった。
顔も技もそれほど悪くなかったが、俺は痩せた女が好みなのだ。
もちろん、やる事はしっかりやって出てきたが。
誘われて入ったとは言え、銀貨を払ったのだ。
侯爵直属の騎士と言えど、銀貨は決して軽くない。
「一杯、奢ってやるよ。」
「どうせなら、酒にしてくれ。来る途中に、一件あっただろ。」
ちらりと見た感じ、酒場と言うよりは、食堂のような雰囲気だった。
明日は、自分がアルマンドの警護の当番だ。
深酒する訳にも行かないので、丁度良いだろう。
「構わないが、大丈夫か?」
「一、二杯で、帰るさ。」
マルガンダの北に五つある集積地のうち、今いるのは北から四つ目だ。
アルマンドの護衛を一日毎に交代して、それぞれが休みを取るようになったので、ラターシュから此処まで、もう一月以上が経った。
旅は、まだ続く。
ほとんどが、見覚えのある場所だ。
マンシュタインの指揮下で、転戦した土地が多い。
死んだ人間の顔を、思い出すような場所も幾つかあった。
「なら、行こうか。遅くなると良くない。」
立ち上がって、勘定を済まし、少し歩いてすぐ、店に入った。
時間が早いからか、空いている席が多い。
「ミードを二つ。あと、適当に摘むのを、二つか三つくれ。」
座った卓に、注文を取りに来たのは若い女だった。
今はまだ、エンリッヒ領の最果てと言ってもおかしくないこの土地に、若い女は珍しい。
此処に辿り着くまでに、随分と苦労しただろうに。
「気になるのか?」
「なにがだ?」
「あの子さ。」
嫌味のない笑顔で、イェーガーは笑っていた。
イェーガーは、そこそこモテる。
良い年頃と言うのもあるが、これでも領内では、名前が売れている。
『白弓の騎士』と言う二つ名まで持っていた。
護衛騎士になる前は、白塗りの強弓を好んで使っていたらしく、そこから来ているんだろう。
「別に。抜いた後だしな。」
以前、アルマンドが言っていた賢者モード、と言うやつだ。
「そうかい。それじゃ、まぁ乾杯」
出された杯を、鳴らして、ちびりと口を付ける。
万が一の事を考えると、今日はそれほど飲めない。
なんとなく、煽るのは勿体ない気がした。
「さて、バックス。」
イェーガーも、似たような飲み方だ。
多分、俺に合わせたんだろう。
そういう気遣いは、さりげなくする男だ。
「アルマンド様の事か?」
「近からずも遠からず。この旅で、ちょっと気になってね。」
割りと、真剣な眼をしている。
大体の話の内容は読めていた。
と言うより、いつ話すか、互いに測っていたと言うのもある。
「心を病んだ人間は、アルマンド様だけじゃない筈だ。騎士団の中にも、そういう人間がいる事は、バックスも知っているだろ。」
「まぁ、そうだな。」
「そろそろ、はっきりさせておきたい。」
イェーガーが、ミードに口をつける。
舐めるような、飲み方だ。
「この先、侯爵家は大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃなかったら、どうだと言うんだ。」
イェーガーが、この旅の護衛に選ばれた理由。
それが、なんとなくだが、この旅でわかってきた。
「主の為に、死ぬのはかまわない。私は、腐っていくのが嫌なだけさ。」
良くも悪くも、己を知っている。
こう見えて、人並み以上には利己的な男なのだ。
それが、隊の動きを乱す事もあっただろう。
煌びやかで、派手な闘いを好むだけに、どちらかと言うと地味なマンシュタインの指揮には、合わなかったのかも知れない。
パウロが率いる護衛騎士は、そんなアクの強い連中が多い。
その大多数は、パウロに文字通り叩き直されているが。
「俺のように、か。イェーガー。」
言うと、イェーガーは首を横に振った。
「お前も、心を病んでいるのは、旅をしていてわかったよ。とにかく、やり過ぎる。殺し過ぎだ。それも、残酷な方法ばかり選んで。」
そうだ。俺の心は、どこかおかしい。
だが、おかしいと自覚してからは、多少マシにはなったのだ。
夜中に突然、外に飛び出して剣を振り回すような、そんな所まで行ってしまう前に、俺はそれに気付く事が出来た。
「でも、お前が腐っているとは、私は思わない。病んではいるが、腐っちゃいない。」
「そりゃ、どうも。」
俺が、この旅の護衛に選ばれたのは、多分そんな理由だ。
別に、それほど大した事ではない。
少なくとも、アルマンドのように、弱りきるような病み方はしなかった。
ただ、魔物を殺し尽くす為に鍛え上げた、魔法と剣を振るいたい。
「なぁ、イェーガー。」
そして、それに意味を与えてくれる主がいる。
だから、自分は人のまま、人らしく生きる事ができる。
難しい事は、何もない。
「お前が腐ろうが、そこらで死のうが、俺にはどうでも良いんだ。だが、お前の弓の腕は認めてる。本当に、大したもんだ。」
ミードに、口をつける。
この酒は、町によって少しずつ味が違う。
原料になる蜂蜜に、町ごとの種類がある、とサルムートから聞いた事がある。
「だから、黙って死ね。それが、騎士だ。」
言うと、イェーガーはニヤリと笑う。
「良いじゃないか。世間が言うほど、私は英雄的じゃないんだ。」
「良くないな。侯爵家がどうなるかなんて、上の連中が考える事だ。俺らは、黙って従っとけば良い。」
「つまらない理由で、死にたくないじゃないか。」
「死に方ぐらいは、選べるさ。それに、闘うのが馬鹿馬鹿しくなるような、カスみたいな闘いは、今まで一度もなかった。」
そうだ。
死にたくて、死んだやつは、今まで誰一人としていなかったと思う。
それでも、誇りを持ったまま、逝く事ができた筈だ。
「そこに関しては、私も信頼してるけどな。」
イェーガーは、まだ話足りなさそうだ。
そこそこ女にモテる、騎士でありながら浮いた話を聞かない理由。
それが、何と無くわかった気がした。